08.ハッキングを開始します。
エアロックに滑り込んだレックスは、素早くハッチを閉じてハンドルを締め、コントロールルームに侵入した。
まず目に入ったのは、壁に取り付けられた大画面のスクリーンだ。プライベートルームを除き、公共のスペースを監視しているようだった。奥には座り心地の良さそうな椅子が五つ、壁に向かって設置してあって、それぞれの椅子の正面にディスプレイが備え付けられている。
奥の部屋にもハッチがあり、コロニーの機能維持に必要なシステムが集まるメンテナンスデッキへ出られるようになっていた。メンテナンスデッキは、レックスの目的地でもある。
レックスは迷いなく奥へと進み、メンテナンスデッキの入口に備え付けられたセキュリティパネルの前に立った。セキュリティパネルは赤く光っており、入口をロックしていることを分かりやすく主張していた。
レックスは懐からケーブルの束を取り出し、接続ポートに合うコネクタを選び取る。片方をセキュリティパネルのポートに接続し、もう片方は彼女が胸につけている
ロケットに納められたジェムがぼんやりと光る。補助脳が稼働し、暗号化されたプロトコルを解析する。ほどなくパネルのライトが緑色に代わり、ロックが解除される音がした。
レックスは迷いなくハッチを開けて、メンテナンスデッキに足を踏み入れた。
配線ダクトを目で追って
接続確認。システムのログインプロンプトをざっと確認した後、レックスはソフに無線を飛ばした。
「
『オーケー』ソフが短く答える。
「ハードウェア側で書き換えができないか試してみますが……」
『それができたらありがたいけどね。システムロックダウンに気をつけて』
「承知しました」
*
レックスの報告によれば、あのアンドロイドの虹彩情報が必要らしい。
つまり、眼球だ。
朽ちた星間遺跡では、たいていAIセキュリティの端末がシステムの最高責任者に繰り上げられている。
『警告。メンテナンスモードを開始』
唐突に
『これよりエントランスは真空状態、および無重力状態に移行します。三秒後に環境変化を開始……』
「ええ? 正気?」
ソフは心底困惑したが、身体はいち早く状況に適応した。訓練で染みついた動きだ。ほとんど無意識に宇宙服のボンベを稼働させ、真空に備える。
『……三、二、一、ゼロ』
「んんん……」
ソフは唸って、足下の重力増幅装置を作動させ、自らとコロニーそのものが持つわずかな重力を頼りに、慎重な動きで壁に着地する。
『環境変化は黙って進めたほうが有利なのは知ってるよ。でも、私はコンピュータだからな。こういうことは絶対に言わなければ気が済まないんだ』
聞いてもいないのにぺらぺらと話す
ソフは壁を蹴って空中に飛び出し、推進装置で飛ぶ方向をコントロールしながら弾を避けた。
ふと
魔術はブラックホール研究の産物であり、瞬間移動は魔術の原点。
いつかレックスが言っていた言葉だ。
ソフは素早く体勢を変え、彼を正面に見据えながら、左手の端末銃を構え直した。空中かつ銃撃戦で高い位置に陣取られるのは致命的だが、幸いここは無重力空間で、上下の概念は存在しない。
ソフは推進装置で宙を舞いながら銃弾を避けつつ、壁を蹴って天井まで飛んだ。照明を踏まないよう、推進装置を逆噴射して速度を落としながら降り立つ。
ソフよりも早く、
『はあ。君は無重力戦にも魔術戦にも慣れているんだな。本当に厄介だ』
『それはねえ、こっちの台詞だわ』
幸い、一対一の銃撃戦に持ち込めた。実力差があっても優位性は出にくい状況だ。戦況が拮抗する状況が続くならば、最後に勝敗を決めるのは運しかない。
だが、ソフはこと戦闘においてギャンブルに身を委ねるつもりはさらさらない。状況を一変する奇策を打って、この均衡を崩すつもりだった。
例えば、奇襲のように一瞬だけ暗闇を作り出すとか。
視線は
照明そのものを壊すのは難しい。壊して回る間に相手はこちらの意図に気づくだろう。それに、無重力空間では破片がデブリになって危険だし、重力が切れた瞬間にガラスの破片と有毒な蛍光体の雨を浴びることになる。
しかも、相手は魔術のデータセットを持つAIだ。
ソフは
左手に持った端末中をそっとホルスターに収納する。左腕を胴体で隠しつつ
レーザー弾で
ドローンが目的の場所に着いたことを確認してから、
エントランスは一瞬で暗闇に包まれた。
ソフの網膜に埋め込まれたセンサーアレイは赤外線を視覚情報として処理できるため、暗闇は障害にならない。だが、それは
暗視モードに切り替えるまでわずか数秒。
だが、
ジェム。正確には、魔術発動時の反応光。
ソフはジェムの発動光を目印に狙いを定め、槍投げの要領で左腕を投げた。空気抵抗のない無重力空間だ。方向さえ間違わなければ速度は決して落ちない。
衝撃音。
反応光がガクンと揺れ、流れ星のように遠ざかっていく。
視界が暗視モードに変わる。
ソフの腕が、
「あ、」
ソフは唐突に理解した。まずい。天井から降りなければ。
だが、そう気づいてしまったことで一瞬、行動が遅れた。
串刺しになった
『メンテナンスモードを解除。エントランスの無重力および真空状態が終了します。三秒後に環境変化を開始……』
*
メンテナンスデッキで作業をしていたレックスは息を吐いた。外部から無理矢理にアクセス認証を突破することは理論上可能だが、今すぐに、というわけにはいかない。
セキュリティシステムの攻略はいったん中断し、
コントロールルームからアラームが響いた。
レックスは足早にスクリーンを確認する。コロニー内の環境を監視するモニタリングパネルからの知らせだった。システムがエントランスをメンテナンスモードに切り替えている。室内の人工重力をオフにして、減圧して内部を真空状態にしたことを示していた。
考えるまでもなく、
「今の状態でエントランスへ行っても、
レックスの宇宙服は穴が開いて使えない。魔術で真空状態を生存することはできるが、その場合はジェムを生命維持に割く必要がある。セキュリティシステムの攻略だけならともかく、生身で真空に適応しながら戦闘に参加することは困難だ。
レックスはスクリーン越しに
レックスはパネル上に手を滑らせ、コロニー内のマップを開いた。住居エリアから医療室に続くエラストゲートのロック不良エラーのポップアップを読み飛ばし、これまでレックスが移動した距離の記憶と併せてエントランスルームまでの座標を取得する。ジェムを握り込み、現在地からエントランスまでの距離計算を始めた。
スクリーン内の二人がしばらく銃撃戦を繰り広げた後、いきなりエントランスの照明が落ちた。映像が暗視モードに切り替わる頃には、
あ、とレックスの口から声が出た。ジェムを握る手に力がこもる。創っている時間はない。距離を計算しなければ。
案の定、
「メンテナンスモードを解除。エントランスの無重力および真空状態が終了します。三秒後に環境変化を開始……」
レックスはスクリーンを凝視しながら、魔術を発動した。
*
ソフは咄嗟に推進装置を稼働させたが、重力に引きずられる身体を留めるには威力が足りなさすぎる。
ああ。初歩的なミスだ。慢心したな……。
ソフは落下しながらもどこか冷静に、自分が叩きつけられる予定の床を見ていた――が、自分の目の前に突如として出現した半透明の板をうまく認識できなかった。
何かを考える前に、ソフの身体はゼラチン板のようなものにぶつかった。弾力こそあるが柔らかく、ソフの身体はみるみるめり込んでいく。だが、決して向こう側へは突き抜けない。
先に口を開いたのは
「エラストゲート? こんなところに設置した覚えはないが……」
気づけばソフは四肢を投げ出し、エラストゲートの上にうつ伏せで載っていた。
ソフと
「ああ、ズレてなくてよかった」
コントロールルームから、表情にあからさまな安堵の色を
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