03.探索準備を進めましょう。

 立ち去るレックスの背中が見えなくなるよりも前に、ソフは体内端末でミルを呼び出した。彼はものの数秒で応答した。


『やあ、ソフ。無事にAIハンターには会えた?』


『ええ。でも……』


 ソフは喉を使わず、脳内だけで答える。そして、レックスとの会話で始終頭の片隅にひっかかっていた違和感と向き合うことにした。


『奇妙だったわ。確かにAIハンターの協力が得られたらマイニングがはかどりそうよ。でも、Lexレックスっていう宇宙航行士の話なんて誰からも聞いたことないってのが怖いのよね』


 レックスねえ、とミルがおうむ返しに言う。


『レックスって名前は確かに聞いたことないな。ま、僕だって全員知ってるわけじゃないよ。知らない人もいるさ』


『でもレックスは魔術師なのよ』


 そう言って、ソフは眉間にしわを寄せた。


よ。分かるでしょ? そんな人材、噂にならないわけがないじゃない』


『ううん……宇宙航行してるフリーの魔術師ね。信じがたいけど……』


 唸るようにつぶやいて、ミルは黙りこくった。考えを巡らせているようだった。


 宇宙航行士には独自のネットワークがある。宇宙航行士の資格を得るには高等教育機関を卒業しなければならないからだ。安全に宇宙へ飛び出すには宇宙航空士の訓練を年単位で重ねる必要があるし、宇宙航行士の資格が確認できなければ基幹システムを管理するIBを完全なコントロール下に置けないので、星間航行は極めて危険なものになる。


 ソフとミルは訓練生時代からの知り合いだ。特に、誰とも滅多に視線を交わさないほどいつも脳に情報を流し込んでいる情報通のミルが、優秀な宇宙航空士を知らないというのは考えにくい。ミルはもう飛んでいないが、それだけで卒業生アルムナイネットワークから弾かれるわけではない。


 宇宙航行士は訓練生も含めると膨大な数だし、学生以外にもさまざまな分野の学者が名乗りを上げるが、もし魔術師が宇宙航空士訓練を受けていれば話題にならないはずがないのだ。


 宇宙航行士は原則、魔術を使わないよう訓練されるが、魔術適性は優秀な処理能力の証左だ。また、物理法則を魔術があれば研究開発の期間をかなり短縮できるという。


 目に見えて有能な人材は、民官を問わず引き抜き合戦が起こる。遅かれ早かれソフやミルなど卒業生の耳に入るのは避けられないはずだった。


 つまり、レックスはすでに飛んでいる宇宙航空士で、どこからも引き抜きの話が出ていない魔術師ということになる。かなり不可解な存在だ。


『そんな得体の知れない人とは思わなかったよ。ごめんね、ソフ。組むのは辞めたほうがいいかもしれないな』


『そうかもね。でも、決めるのは攻略が終わった後でもいいわ』


 ソフは残りのコーヒーを一気にあおって立ち上がった。




 レックスと顔合わせをしてから二日後。


「お待たせ、レックス。待った?」


「いいえ。時間通りです。気にしないでください」


 友人か恋人同士のような会話を淡々とこなしたソフとレックスは、並んで宇宙港へ向かっていた。


 レックスの宇宙船は修理中ということで、今度の調査をソフの宇宙船で行うことになった。その後も何度か遠隔通信(リモート)で話し合った結果、二つのことをするために落ち合ったのだった。


 一つ目。ソフの宇宙船に、レックスを搭乗者として登録すること。

 二つ目。ソフが目星をつけているエリアで星間遺跡を探査すること。


 ここで遺跡が見つかれば御の字だ。見つけても上陸できるとは限らないのが、AIが操作する星間遺跡の嫌なところだが。


 ほどなくして、ソフとレックスは宇宙船の燃料供給を行っている宇宙港の入り口に立っていた。巨大な透明窓からは星が見えるが、強い人工灯に晒された宇宙港の中からは、ぽつぽつと小さい光が見えるのみだ。


 宇宙客船へと続く入口は上へ下へと数え切れないほどあったが、その中でもひときわ目立たない非常口のほうへ、ソフは迷いなく進んでいった。細く薄暗い通路の先に「個人宇宙船ドック」という小さな案内板が貼られている。二人は案内板に従い、最低限の機能だけ備えたという体の通路を歩いた。


 個人宇宙船ドックは、画一的に仕切られたプライベートなエリアだった。入口の一つ一つには、不透明なゼラチン板のようなものが扉のように嵌まっている。それをレックスが興味津々という目で見ていた。


 真顔が多いレックスだが、大仰なリアクションを取らないだけでポーカーフェイスではないらしい、というのがソフの見立てだった。ここ数日、雑談を重ねて分かってきたことだ。特にレックスの目は雄弁で、感情が読み取りやすい。


「エラストゲートよ」とソフは笑った。


 エラストゲート。物理的な衝撃を受け流す材質でできたドアだ。防犯上は優れているが、今では古い施設でしかお目にかかれない。災害時に壊しにくく閉じ込めなどの二次災害が起きやすいため、使いどころが限られるのだ。ちなみに、星間遺跡ではよく目にする。


 ソフは「触ってみたら?」と軽い調子で提案しながら、〝205〟と書かれたプレートの前に立った。そして、レックスを振り返った。


「ここ。205。試してみる?」


 レックスはうなずき、ためらいなくゼラチン板に両腕を突っ込んだ。ゼラチン板は弾力こそあるが柔らかく、両腕がみるみるめり込んでいく。だが、どれだけ力を入れてみても、決して向こう側へは突き抜けない。


 知らない物質だろうに、エラストゲートにいきなり両腕を突っ込んで前進しようとするレックスの目はどこか楽しげだ。何でも試したがるのが彼女の性格らしい。


 そもそも、レックスのリスク許容度はずば抜けて高い。そうでなければ、なんて思いつくわけがないのだ。レックスが好奇心に負けて命を賭けている状況があったとしても、ソフは何ら不思議に思わないだろう。


 レックスがエラストゲートから離れたところで、ソフは壁に埋め込まれた生体認証装置に掌をかざし、パスコードを入力した。エラストゲートは上部に設置された穴のなかへするすると吸い込まれていった。


 ゲートの先には、繭のようなフォルムをした小型宇宙船が浮かんでる。船から伸びる数本のコードが、碇のように繋がっていた。宇宙船の見た目はカタログそのまま。装甲も内装もほぼ純正品だ。宇宙船を手ずからカスタムする流行を面倒がったソフの意向だった。


「さすがに充填は終わってるでしょ」と言いながらソフが近づくと、宇宙船の扉が静かに開いた。

「まあ、入って」


 レックスが軽く頭を下げて、ソフの後に続く。二人が宇宙船に足を踏み入れると、船内にハキハキとした声が響いた。


Sophソフ! おかえりなさーい!」


 姿は見えない。宇宙船に搭載されたIBアイビーの声だ。


 ソフは歩みを止めなかった。さほど進まず電子操縦室ガラス・コックピットに着いたので、ソフはレックスを招き入れ、操縦士の席に収まってから声に命令した。


「ツタ。搭乗者を一時的に増やして。生体情報は掌紋。クリアランスは2」


「了解です!」


 声はすぐに反応した。同時に、複数のディスプレイが一斉に起動する。


「じゃあ、搭乗者を追加しますね。あと、ライフサポートシステムと物資管理計画も変更しておきますよー」


 声はいったん言葉を切り、レックスに話を振った。


「新規搭乗者の方、はじめまして! 私はプレイン・ジェーン号の基幹システム〈Tsutaツタ〉です。スペルはT、S、U、T、A。あなたの名前を教えてくれますか?」


「……Lexレックスです。スペルはL、E、X」


 レックスの名乗りには、ヴン……と機械音だけが返ってくる。そのまま数秒の間があり、再び声――Tsutaツタが発言した。


Lexレックス。改めまして、プレイン・ジェーン号へようこそ! 歓迎しますよ。次に、生体情報を登録しますね!」


「はい……」


 レックスはTsutaツタの元気さに気圧されていたが、言われる通りにテキパキと掌紋を登録していく。


 レックスとTsutaツタを横目に、ソフはソファに横たわった。レックスをぼんやり眺めつつ、ダウンロードしておいた電子書籍を適当に選んで展開する。


 どうやらレックスは情緒豊かなIBに馴染みがないらしい。昨今の機械は皆こんな調子で話すので、慣れないと大変そうだ。


 そんなことを思っていると、Tsutaツタがのんびりとした調子でレックスを呼んだ。


Lexレックス。ライフサポートシステムの調整をするから、ちょっと居住エリアに来てー」


 レックスの目が不安げにさまよったので、ソフは先んじて言った。


「レックスがどれくらい身体改造してるかを調べるだけよ。食事とか、大気とか、重力とか、肉体に依存するでしょ。今はわたしに合わせてるから」


 レックスは二、三度目を瞬かせてから、Tsutaツタの案内に従った。


 三十分後、「終わった、終わった!」というTsutaツタのはしゃいだ声が聞こえてきた。操縦室の扉が開いて、どことなく釈然としない表情をしたレックスも入ってくる。


 ソフの体内端末には、早速レックスの身体情報に関する報告書が送られてきた。仕事が早いTsutaツタにお礼を言いつつ、ザッと目を通す。搭乗員の身体情報を把握し、命を守るために手を回しておくのも船長の仕事だ。


 簡単に目を通すだけのつもりだったのに、ついじっくりと読んでしまう。それほどレックスの身体情報は興味深いものだった。


「へえ。ほとんど素体ナチュラルじゃない? 今どき珍しいこと」


 そう言われて、レックスは苦笑した。


「外見は換えたくなくて。反改造派アンチトランスではないですよ。……そういう貴女はどうなんです? 改造しているようには見えませんが」


 ソフはにこりと笑い、肘から下を外して内部の機械構造を見せた。


「あたしは形態変形トランスフォームにロマンを感じるタチなの」


 レックスが目を見開く。驚きと関心が混じった、ギャップに対する純粋な反応だ。


 反改造派アンチトランスではない、という言葉にウソはなさそうだな、とソフは冷静に断ずる。


「協力ありがとう、レックス。ライフサポートはレックスに合わせておくわ」


「ありがとうございます。お世話になります」


 レックスは礼儀正しく頭を下げた。

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