09.あなたを無力化しました。

「エラストゲートを移動させたな、Lexレックス


「はい。あなたがゲートの故障を放置してエラーが出ていたおかげで、医療室のエラストゲートの正確な位置が分かりました。ジェムは使い切ってしまいましたが」


 レックスは透かしロケットをつまみ上げ、振って見せた。黄玉のように輝いていた小粒のジェムはすべて黒ずんでいた。


 ソフはゼラチン板からゆっくりと地面に降り、自分の命を救ったゼラチン板に改めて触れてみる。この感触は確かにエラストゲートだ。医療室にあったものを瞬間移動させたようだった。断面は鋭利な刃物を入れたようになめらかだ。ゲートの残りはそのまま医療室にあるのだろうか。


「ありがとう、レックス。これがなかったら死んでたかも」


「お役に立てて良かったです」レックスは屈託なく笑った。


 ソフはレックスに笑い返してから、床に縫い付けられているEsterエスターに近づく。慣れた手つきで人工筋肉アクチュエータを押さえつけてケーブルを切断。あっという間に四肢への電気信号を途絶えさせた。


「何てことだ。小慣れていやがる」


 Esterエスターが悪態を吐く。


 彼の胸に刺さった自らの腕を抜いて左腕につけ直し、形態変形トランスフォームを解除してから、Esterエスターの首を片手でつかんで軽々と持ち上げた。


「さて。それじゃあアクセスさせてもらいましょうか」


「はいはい。私の負けだよ」


 Esterエスターはほとんど呆れたように言った。四肢が動けば、彼は両手を上げていたに違いない。




 *

 ソフがEsterエスターの首を持ち上げ、認証機にかざすと、コロニーシステムへのアクセスが承認された。レックスの手に迷いはない。管理者ルート権限を取得し、システムの完全な制御を取得。AIシステムのコマンドインターフェイスを開き、設定ファイルのディレクトリに移動。制御スクリプトを編集する。


「私を編集したな。これで私は君たちを攻撃できなくなったわけだ。まったく……」


 床に寝転がったEsterエスターが、すっかり諦めたように言った。データを書き換えればAIはすぐさま性格を変更し、その通りに動く。行動や理解のために〝納得〟という感情を持ち出さないのが、彼ら機械がさっぱりとした性格をしている所以といえるだろう。


 セキュリティ設定を無効化した後は、外部からシステムにアクセスする裏口バックドアを設置しておく。バックドアを開く〝鍵〟を星間遺跡データベースに鍵を登録するまでがマイナーの仕事だ。


Lexレックス。君は私のデータが欲しいんだったね。私の百二十一年分のデータをいったいどうやって処理するつもりなんだ?」


「〝脳〟で処理します」


 レックスは自分の額を指先で叩いた。画面から目を離さないまま続ける。


「脳には無意識の情報選別メカニズムがあるので、効率的に情報処理できます。にはできないことです。まずあなたの全データを目視で閲覧し、重要と思われるデータを取捨選択した後、ピックアップしたデータだけをに保存します」


 なるほどな、とEsterエスターが言う。人間の脳はこと情報処理についてはエネルギー効率が高い。人間の身体を持つAIであればそういう芸当も可能なのだろう。


 レックスの手がコントロールパネルの上を忙しなく動いた。データベースに接続したらクエリを実行。AIモデルのデータ抽出を始める。


「それでは、Esterエスター。あなたのデータを読ませていただきます。後から星間遺跡の調査員がいらっしゃるそうなので、彼らにもデータを開示してくださいね」


 Esterエスターは床に身を投げ出した状態のまま器用にうなずいた。


「いいさ。くれてやるよ。どうせ私を引き取る人間達の目的は知的資産ナレッジなんだろう。連中は〝Esterエスター〟の深層データを引き上げようとまではしないんだろうな」


 Esterエスターは、誰にいうでもなく、一人で静かにつぶやいた。だがすぐに明るい調子に切り替えて、目を閉じた。


「それでは、私は誰かに叩き起こされるまで休むことにするよ」


「了解。おやすみ、Esterエスター」ソフが言う。


「さようなら。SophソフLexレックス。久しぶりにたくさん話せて楽しかったよ」


 そう言って、Esterエスターは活動を停止した。




 *

「……活動停止したと思っていたんだが」


 目を覚ましたEsterエスターは、腑に落ちないと言いたげにつぶやいた。そう長い時間は経っていない。彼の身体はソフの宇宙船プレイン・ジェーン号に置かれたドローンになっていて、今はレックスの足下に置いてある。ここはプレイン・ジェーン号のメンテナンスルームだった。


 Esterエスターはレックスを見上げた。


「私をドローンに移植したんだな。これは君がやったのか、Lexレックス?」



 足を組んで椅子に腰掛けていたレックスはにやりと笑い、頬杖をついてEsterエスターを見下ろした。礼儀正しく、純真な表情が多いレックスからはおよそかけ離れた所作だった。


Esterエスターのデータは〝Lexレックス〟に馴染まなくてね。ほら、この通り。変だろう?」


 そう言ってから、もったいぶったように両手を広げるレックス。豹変した彼女を見たEsterエスターが心底嫌そうに。ドローンにつけられたスクリーンには記号化された顔がついていて、エスターの多彩な表情を反映していた。


「おい。私と喋るときにを使うな」


「失礼しました」


 レックスはしれっと口だけで謝ってから〝Esterエスター〟を終了して〝Lexレックス〟に戻ると、背筋を伸ばして行儀良く座り直した。


Sophソフからの提案で、私があなたの一部をドローンに移植しました。自律型で、魔術が使える汎用AIが一体いるとマイニングの幅が広がるからだそうです」


「はあん。貪欲な女だな」


 呆れたような語調を隠しもせずにEsterエスターが言ったところで、ソフがメンテナンスルームに入ってくる。


「おはよう、エスター。気分はどう?」


「んん、この身体も悪くはないね」


「それはよかった。これからよろしくね」


「うん。よろしく」


 ドローンがふわりと浮いて、嬉しそうにその場でくるくると回ってみせる。憎まれ口を叩くEsterエスターもAIだ。その特性上、たとえ殺し合いをした相手であっても質問や好意的な言葉には真摯に反応するよう叩き込まれている。


 ソフはレックスとEsterエスターを交互に見て質問した。


「そういえば、エスターが言ってたわね。レックスもAIだって。あれはどういう意味?」


「言葉通りの意味さ。こいつは人間の脳とくっついたかなんかしたAIってことだ。少なくとも、こいつはAIの出力を逆算して文脈を理解できる。自分がやることなすことすべてのプロセスを自覚して〝出力〟するからだ。機械私たちには無意識がないのさ。まあ、なんにせよ人間ではないね」


 Esterエスターが断言し、レックスもうなずく。


「はい。正確に言うと、私はこの肉体の補助脳です」


 そう言って、レックスはうなじをかき上げてみせた。そこには大きな手術痕がある。


「これが私の一部だったものです。ここから私は彼女の脳にアクセスしました。そして、身体中に埋め込まれている電極を通して身体活動を行っています」


 レックスが人間らしく動けるのは、すべて計算していちいち意識的に動かしているからのようだ。それは人間にとっては想像すらできないほどの作業量だろう。いったいどうして、そんな面倒なことを続けているのか。


「じゃあ、レックスがいったいどうして生身の身体を動かしているのか教えてくれる?」


 はい、とレックスがうなずく。


「この肉体は遠隔操作するための器でした。脱走の折、遠隔操作者が生命維持システムのインターフェイスであった〝Lexレックス〟を移植して脱出する試みを決行。移植も脱出も見事成功しました」


 報告書を読み上げるかのような、淡々とした口調だった。


「なぜ遠隔操作者ではなく、レックスが入って脱走を?」


「私たちは彼女を逃したかったのです。この肉体はDeeディーと呼ばれていましたが、Deeディーには明確に意識がありました。生まれたての赤子のような人でした」


 ……脳の機能は意図的に制限されていたので、とレックスは小さく付け加える。


「それに、肉体の遠隔操作にも制限があります。恒星間移動をすれば接続は切れてしまうでしょう。そこで遠隔操作者は私を埋め込み、Deeディーを導くよう命令したのです。Deeディーだけでも逃げられるようにと」


 ソフは黙って話を聞いていた。あのコロニーで行われていた実験がかわいく見えるほど壮絶な内容だ。まがりなりにも意識のある人間を遠隔操作するとは。


「現在、Deeディーの意識はありませんが、彼女に身体を返すことは私の悲願です。いずれ彼女か一人で生きていけるよう、私はたくさんのデータを学習し、シナプスを形成して新しい神経回路を作る必要があります。また、Deeディーの意識を引き上げるために、彼女が参加していた実験の内容についても知らなければならないでしょう」


 ソフの頭に疑問が閃く。もし、ディーの意識が戻らなかったらどうするつもりなんだろうか? こんな踏み込んだ不躾な質問は、人間相手であれば絶対に聞かないだろう。ソフは逡巡して、結局は質問を呑み込んだ。


 ソフは近くにあった椅子を引き寄せ、背もたれを抱え込むように座ってから、別の話をレックスに振った。


「まあ、あなたがAIということなら、レックスの噂をぜんぜん聞いたことがないのも合点がいくのよね」とソフが言う。


「そもそも宇宙航行士の資格を持っていないんでしょう。無資格者はIBをコントロールできないから航行不可、と思い込んでいたわ。でも、あなたがAIならそもそもIBのアシストが不要なんだものね」


「はい。私とシステムを接続すれば宇宙船の操縦は可能です」


「違法な操縦は、宇宙航行士として看過できないけどね」


 ソフがイタズラっぽく指摘すると、レックスはバツの悪そうな顔をした。


「ええ。そこは反省しています。免許を取れたらいいのですけど」


 レックスはしばらく考え込んでから、ソフに向き直った。


「もし良ければ、しばらくここに置いていただけませんか。私はお役に立てると思います。目星をつけている星域もあります」


「いいわ」とソフは笑った。


「あとで契約を更新しましょう」



【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

発掘者とAIハンターのログ・エントリ 遠野文弓 @fumiyumi-enno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ