06.AIを探す必要があります。
「さて」
ソフは一人つぶやいて、住居エリアのハッチを開けた。住居エリアも相変わらず真っ暗だ。だが、システムが生きていることは分かっている。照明らしきスイッチを押してやると、照明が一気に点灯した。
ソフはため息をついて、ハッチを半開き状態で閉めた。
マイニングはエネルギー切れで動けなくなったAIを目覚めさせ、エネルギー供給をちらつかせて言うことを聞かせるほうが簡単だ。だが、当たり前のように照明が点くあたり、このコロニーにはまだエネルギーが有り余っているらしかった。
……あまりいい状況ではない。
エネルギーに余裕がある。それはつまり、自律的活動を外部エネルギーに依存するAIも元気いっぱいということだ。言うことを聞かないどころか、ソフの宇宙船やレックスのジェムを力尽くで奪うという
AIは人間に対して好意的だが、彼らの感情は所詮シミュレートにすぎない。性質上は生物を殺そうが、死体と一緒に仕事をしようが、まったく忌避感を覚えないということだ。コロニーを守るという至上命令を守るために、ソフやレックスという侵入者をうっかり殺したとしても、AIは反省こそすれ葛藤はしないだろう。
とにかく、気を引き締めなければ。ソフは息を一つ吐いて、住居エリアを見渡した。
正面には扉が一つ。道は左右に分かれている。正面の扉には『食堂』のプレートが掲げられていた。左右に分かれた道の先には広い廊下が続いており、左右にドアが並んでいる。
ソフは、まず右の廊下に進んだ。
ずらりと並んだドアはすべて薄い金属製で、下部には細長い換気口が開いている簡易なものだ。試しに一室を開けると、ベッド、テーブル、クローゼットがコンパクトにまとまった小さな個室だった。おそらく、住人用のプライベートルームだったのだろう。クローゼットには私物が納められている。
プライベートルームを一部屋ずつ物色しながら奥に進んでいくと、五つ目で首から下げるストラップ付きのカードを見つけた。身分証で、チップが埋め込まれており、部屋のキーにもなるようだ。
プライベートルームには鍵がなかったから、おそらく研究室に入るための身分証だろうと思われた。原始的な方法だがコストが安く済む。宇宙服の腕につけたコンピュータで適当に読み取ってみて、チップの反応が生きていることを確認してから、ソフはカードを懐にしまった。
そして、無線でレックスに話しかけた。
「レックス、聞こえる?」
『はい』レックスはすぐに応答した。
『パスワードはまだ解析できていません』
「住居エリアを探していたらICカードを見つけたわ。住居エリアの撮影を終えたら研究室に入る」
『承知しました。それでしたら、研究室でパスワードになりそうな数字の組み合わせを見つけたら教えてください。日付だけでも百年はあるので、絞り込みができると助かります』
「分かったわ」
右側の廊下の途中、左手の壁には大きなシャワールームが備え付けられている。シャワールームを奥に進むとランドリールームがあり、そのまま向かいの廊下に突き抜けるための出口があった。いわゆる回遊導線。
右手の壁には半透明のエラストゲートが嵌まっていて、それぞれ医療室と研究室に繋がっていた。
医療室のエラストゲートにはロックはなかったが、壊れていて開かなかった。こうなるとゲートをハッキングするのが難しくなるのが怖いところだ。あとでレックスと合流するついでに、エントランス側からハッチを開けて入ることにする。
研究室側のエラストゲートにはロックが掛かっていたが、幸いにも扉の機能は生きていた。
とりあえず研究室をパスして、左右の廊下の合流地点まで進む。食堂の裏手にあたるであろうスペースにも部屋が設けられていた。こちらは二部屋に区切られていて、それぞれ『運動室』『娯楽室』とある。
運動室には有酸素運動や筋力トレーニングができる機器が揃っており、壁の一面が鏡貼りになっている。娯楽室には長方形のデスクが転々と置かれていて、壁面収納にはゲーム用のカード、チップ、サイコロがしまわれている。奥には防音室があって、私物らしいキーボードやギターなどの楽器が納められていた。
特筆するべきものはないが、とりあえずドローンでくまなく撮影をしてから、ソフは来た道を戻り、再び研究室の前に立った。
「レックス。これから研究室に入るわ」
『了解しました』
レックスの応答を聞いてから、ICカードでエラストゲートを解除する。
静まり返った研究室をザッと照らして、脅威がないことを確認してから、慎重に壁のスイッチを入れた。
研究室が照明に照らされた。壁面にはガラスをはめ込んだ収納棚があり、埃一つない実験機器が並んでいる。部屋の中央にはデスクが固定されていて、その上には薄いタブレットがぽつんと置かれていた。
タブレットの電源を入れると、問題なく稼働した。ロックはされていないようで、画面には数個のアプリケーションが並んでいる。
〝ログ〟とラベリングされたアプリケーションを開くと、プレーンテキストが延々と続いていた。おそらく研究時のメモなのだろう。一行目には「プラグド・イン・プロジェクト」とタイトルがつけられている。
「
この手の謎を解くのはマイナーの仕事ではないし、ソフ自身も苦手意識はあったが、なんとなく、最初のほうをじっくり読んでみる。
25.10.19
始動
25.10.20
両前腕
5V,10Hz,100ミリ秒,50%
△ 熱損傷あり(要解剖)
次回,電圧を下げる
25.11.02
背部,両脚
3V,20Hz,50ミリ秒,50%
○ 脚,脊髄周辺,歩行△
速度制御が可能である
損傷は軽減
次回,電極を追加する
実験記録だ。メモの断片を読み取る限り、生体組織に電気刺激を与えて筋肉の動きを見ているようだった。下へとスライドさせると、さらに暗号じみた略語や数値が増えてきて、何のことだかさっぱり分からない。
ソフはテキストから目を離さず、レックスに話しかけた。
「レックス、聞こえる?」
『はい、聞こえます』
「いま研究室で実験記録を見つけたところよ。それらしい数字があるから伝えるわ」
『ありがとうございます。伺います』
今なおパスワード総当たりをしている最中だというのに、レックスの口調は相変わらず涼しげだ。彼女であれば、この実験ログの意味を読み取れるのかもしれない。そんなことを考えながら、ソフは片手でタブレットをスワイプする。
「ここで行われていたプロジェクトの始動日が25.10.19。たぶん三○二五年の十月十九日ね」
『承知しました。それでは三○二五年からあたってみます』
「よろしく」
そう言いながら、一気にしたまでスライドさせる。最初に目に飛び込んできたのは画面いっぱいの×。滅多に使わない手書き機能をわざわざ使って、先に書かれた実験結果を否定するように、何度も線を重ねてあった。
28.09.21
筋肉群,間接群,脊髄
5V,40Hz,10ミリ秒,100%,矩形波
PMC-Plug,電解ゲル,LFBS制御
反射・動作の調整可能
実用性あり
本当なら消してしまいたいが、実験のログを消すことは研究者として許容できない。そういう類いの葛藤を感じる。
実験ログを閉じてデスクトップに戻り、他のファイルを開いてみることにする。どうやら平面映像のようだった。奥行きのない二次元の映像形式で、立体映像よりも容量が小さいので、実験記録として優れている。
最初の映像は、研究者同士で行う会議の様子だった。場所はどうやらこのコロニーではない、もっと広い研究所のようだ。会議のようすを見てもさっぱり分からなかったので途中で止めて、代わりにいちばん最後の平面映像を開いた。
それは奇妙な映像だった。大量の電極が取り付けられたヒト型の物体が手術台に横たわっていて、それを簡易宇宙服を着た一人の男がジッと見つめている。男がタブレットを操作すると、おそらく電極を稼働させたのだろう、ヒト型の腕が跳ね上がった。それを見て研究者は黙々と何かを入力してから、もう一度操作をした。今度は腕がゆったりと持ち上がったが、奇妙な方向にねじれている。男は電極の操作と記録を繰り返したが、ついぞヒト型が自然な動きをすることはない。激しく跳ね上がるか、奇妙な方向にねじ曲がるかのどちらかだ。
ソフはシークバーをスクロールし、映像を飛ばした。
そこには、タブレットを操作する男と、人間のようなスムーズさで手術台から起き上がるヒト型の姿があった。
実用性ありか。ソフは苦々しく息を吐いて、映像を切った。
映像に当てられたのだろうか、嫌な予感が胸のあたりにじわじわと広がった。隔絶した空間で、研究とは名ばかりの〝儀式〟が進められるのはよくある話だが、そういう星間遺跡に長居すると碌なことにならない。
AI攻略を放棄して、コロニーから速やかに離脱するべきだろうか?
いや、まだ早計だ。深く沈みかけた思考を無理矢理に引き上げたところで、レックスの無線が入った。
『
そう呼びかけるレックスの声は心なしか弾んでいる。
『コントロールルームのパスワードを突破しました』
ソフは手を叩いた。
「やったわね! ずいぶん早いじゃない。素晴らしいわ」
『貴女が年代を特定してくれたおかげです。……ハッチは開けておきましょうか?』
「いいえ。そのまま待機して。わたしと一緒に開けましょう。奇襲をかけられるかも」
『了解。待機します』
ソフが報告を続ける。
「こっちは研究室で何をしていたか、概ね予想がついたわ。だからどうということもないけどね。三○二五から四年間、一つの研究に集中していたみたい。名前はプラグド・イン・プロジェクト」
『
レックスが聞き返した。しばらく考え込むような気配があった。
『それはどういった研究なんですか?』
うーん、とソフは唸る。彼女は研究畑にいたことがない人間だ。研究ログを呼んでもすべてが理解できるわけではない。
「わたしが把握できた限りでは、電極を使って生体の筋肉を動かす実験かしらね。興味があるの?」
『いいえ。関心があるわけでは……』
レックスは即答したが、その後に続いた言葉は思いがけないものだった。
『ただ、それに類似するプロジェクトの被験体に心当たりがあります』
「ふうん。知り合いなの?」
『はい。私の肉体です』
ソフはレックスの返事をうまく処理できなかった。私の肉体? 奇妙な表現だ。
「それはどういう――」
ソフが聞き返そうとした瞬間、腕のコンピュータがアラートを出した。レックスの宇宙服に異常ありの知らせ。
ソフは立ち止まって腕のコンピュータを見る。宇宙服の破損。バイオモニターは、わずかだが血圧低下と心拍数上昇を示している。
考えられるのは出血。まだ命に関わるほどではない。
「レックス。応答して」
ソフはつとめて冷静に呼びかけた。二度、繰り返して呼びかけるが返事はない。
一瞬だけ逡巡したが、ソフはすぐに走り出した。ヘルメットを被って気圧と大気の変化に備える。
「レックス、応答して。今、コントロールルームに向かってる」
ソフは息を切らせながら、無線に話しかけ続けた。
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