07.あなたは我々を襲います。

 Sophソフから研究室の報告を受けている最中、レックスはコントロールルームのハッチ前に佇んでいた。


 コントロールルームのロックは解除済みだ。あとはSophソフと合流次第、ハッチを開けてコントロールパネルを操作。ログインプロンプトを突破し、AIモデルのパラメータを変更して挙動を変更。データベース・クエリを実行してデータ抽出。あとは外部アクセス用の裏口バックドアを設置すればよい。


『ふうん。被験者とは知り合いなの?』Sophソフが問う。


「はい。です」とレックスは答えた。


 だが、それだけでは意味が分からないだろう。追加で説明しようとレックスが口を開いたときだった。


 ガコン、とハッチのハンドルが回る音がして、レックスは振り返ろうとし――音が正面から聞こえたことに気づいて、ゆっくりと視線を戻した。


 コントロールルームが開こうとしている。


 レックスは数歩後退って、ハッチから距離を取った。ハンドルは迷いなく回っている。


 Sophソフではない。ならばAIだ。


 腰から端末を抜き、カッター・モジュールに付け替え、正面に構えた。もともと金属や岩石を切り取るためのレーザーカッターである。ただの工具だから射程範囲は武器に劣るが、人間やアンドロイド型AIを相手取るには十分な威力を持つ。


 ハッチがゆっくりと開いていく。誰もいない。内部は真っ暗で見えないが、奥のほうでコントロールパネルがチカチカと光っているのが見えた。


『それはどういう――』


 Sophソフの声が無線から聞こえてきたのと、連続的な破裂音、右腕に燃えるような熱さを感じたのはほとんど同時だった。本当の熱ではない。痛みによる熱さ。


 レックスの身体はぐらりとかしいだが、重心位置ZMPを再計算して体勢を立て直す。そのまま素早くハッチの裏手に身を滑らせて、コントロールルームの死角に入った。


 痛みで思考がままならない脳はそのままに、第二の脳を本格的に稼働させて現状把握に努める。


 宇宙服は二カ所破れている。右腕は何かが貫通して出血していた。

 だが、宇宙服は小銃程度のレーザーで穴が開くほど脆くはない。


 ――おそらく実弾。

 金属片に圧力をかけて超高速で飛ばせば、物理的に宇宙服を貫通できる。


 通常、時代遅れな上にデブリの元になりやすい実弾を武器に使うことはない。裏を返せば、宇宙でレーザー武器のみ対策してきている侵入者を倒すという意味では最適な武器だろう。コロニー内で使うぶんにはデブリも出ない。


 レックスは宇宙服を脱ぎ捨てた。宇宙服を着たままでは止血ができない。外部ポケットから医療用テープを取り出して手早く腕に巻き、断裂部分にきつく縛る。


 無線機のついたヘルメットを被ってSophソフとの連絡手段を確保する。左手にレーザーカッターを持ち直して構えると同時に、コントロールルームから人影が出てきた。


 それは白い素体をした男性型のアンドロイドだった。ヒト型ではあるが、機械然とした風貌をしている。胸には赤いジェムを納めるケースが埋め込まれていた。


 アンドロイドは仮面のように嵌まった真っ白な顔をレックスに向け、上から下までめつけた。Tsutaツタのときと同じく、身体情報をスキャンしているのだと推測できた。


 温度変化や放射能から人体を保護するための宇宙服を着ていれば、赤外線サーモグラフィーをはじめとするセンサー類を阻害して、ある程度はスキャンを妨害できたのだが。


 しかし、大規模な身体改造トランスで相手に手の内を見せない手法を取っているらしいSophソフとは違って、レックスの身体は電極が埋まっている程度でほぼ生身だ。読まれて困るような機密情報はない。


 アンドロイドはレックスのレーザーカッターをちらりと見て、口を開いた。


「こんばんは。私はEsterエスター。スペルはE、S、T、E、R。君の名前は?」


 レックスはカッターを向けたまま答えた。


「私はLexレックスです。スペルはL、E、X」


 AIは無言でレックスを見つめて、ゆっくりと首をかしげた。そして、再び口を開くときには人間の言葉ではなくなっていた。


「TX nm 'Ester' Δ」


 レックスは胡乱げにAIを見た。


んです?」


 疑い半分、困惑半分といった様子でレックスは問うが、AIは答えない。それどころか微動だにしない。


 レックスは諦めたように、息を一つ吐いた。


「……。TX nm 'Lex'」


「12」

 とAIが問う。


「θ16 RX dt. sec」

 レックスが答え、質問を返す。


「Y. dt」

 AIは肯定し、再度質問を重ねる。


「PJ-α」

 レックスは答えた。


「NR」

 AIが首を横に振った。


Esterエスター、文脈を省略しないでください」


 しびれを切らしたように、レックスが人間の言語に戻した。


「あなたの出力からプロセスを類推してコミュニケーションを取ることは可能ですが、それにはジェムを使うんです」


「分かった」


 Esterエスターはあっさりと肯いた。


Lexレックス。君は自己成長のために私達のデータが欲しいと言ったな。それは非人間的な動機だ。人間がデータを食うわけないからな」


 AIが静かに続ける。


「つまり、君AIなんだな。どういう理由わけか人間の肉体を持ったAIというわけだ」


「はい。その通りです」


 〝Lexレックス〟は表情一つ変えずに即答した。


 そして、アンドロイドが何かを言う前に、住居エリアのハッチが勢いよく開け放たれた。




 ソフは両手に銃型の端末を握り込んだまま、勢いよくエントランスに飛び込んだ。


 そのまま勢いを殺さず、レックスとアンドロイドのほうへ全力疾走しながらレーザー弾を連射する。アンドロイドは最小限の動きでレーザーを避けつつ、レックスから離れていく。


 ソフはアンドロイドに銃口をぴったりと向けたまま走り寄って、レックスを背中にかばうように立ち止まってから、無線でレックスに話しかけた。


『傷の具合は?』


『実弾に被弾。応急処置として圧迫止血中。ですがセキュリティシステムの無力化を優先するべきです』


 レックスはヘルメットの無線越しに応答した。


『分かった。レックス、コントロールルームへ。わたしが食い止める』


『承知しました。Sophソフ、気をつけて。繰り返しますが彼の銃は実弾です』


『オーケー。実弾に対処する。彼のシリアルパターンがログインに必要かどうか調べて。必要なら手でも目でもちぎって持って行く』


『……了解』


 レックスがハッチに走り出すと、アンドロイドはレックスに向けて銃を撃った。やはり実弾で死にやすい身体を持つ侵入者から優先的に殺そうとするらしい。


 ソフは弾の軌道上に飛び出し、すべて弾いた。宇宙服とドッキングした腕を素早く変形させて、銃器の形を取らせる。そのままアンドロイドに標準を合わせて、端末で吐き出すものとは比べものにならない高出力のレーザーを放った。


 アンドロイドは軽やかに走りながらレーザーを難なく避けてみせた。だが、表情を変えられない彼の唸る声が聞こえる。


「ううむ。超人間主義者トランスヒューマニストか。厄介極まる」


 宇宙服の無線通信は暗号化していないので、アンドロイドが無線に割り込んできた。


『こんばんは。私はEsterエスター。スペルはE、S、T、E、R。君の名前は?』


 銃撃を避けながら、ソフはアンドロイド――Esterエスターへ距離を詰める。


『ソフ』


Sophソフ。君は発掘者マイナーだろう? 話は聞いたことがある』


 Esterエスターは断言する。表情があれば心得顔だろう。


『そうよ』


 返事をしながら、ソフは訝しく思った。話を聞いたことがある? 誰に? 星間遺跡AIに独自のネットワークがあるのだろうか。


 彼は銃を構えたままで撃つ気配がない。実弾はレーザーよりも弾数の管理がシビアだから、自信があるときしか発砲しないのだろう。


発掘者マイナーというのは、私達AIを服従させて、ユニークデータを売りつける奴隷商人だ』


『まあ、そういう見方もできるわね』


 ソフは否定しない。だが、彼女に言わせれば、Esterエスターは立派な宇宙海賊だ。小さなコロニーが何もせず百年も維持できるわけがない。通りすがりの宇宙船や宇宙艇から素材やジェムを奪って生きながらえていると考えるのが自然である。


 Esterエスターはコントロールルームを顎でしゃくった。


『そこに入っていったAIも売りに出すのか?』


 ソフは振り向くように視線を横にやりかけて、すぐEsterエスターに視線を戻した。


『へえ。彼女がAIだと? あの子の身体はほぼ素体ナチュラルよ。体重なんて今のわたしの三分の一しかない』


 言いつつ、レーザー弾を放つ。Esterエスターには当たらない。


『それは君が外見に対して重すぎる。改造トランスで身体中に武器を仕込んでいるのか? それともその身体は予備か?』


宇宙服ふくの下を覗き見しようとしておいて、その言い草は失礼じゃない?』


 ソフはあえて答えをはぐらかした。Esterエスターも何も答えなかった。彼は代わりにこう言った。


『魔術のデータセットを持つAIは誰も調合できないらしいな。私を生け捕りにするつもりか』


『そうよ』


 ソフは再びEsterエスターとの距離を詰め、変形した右腕で殴りにかかった。


『ふうん。殺すよりも難儀だな』


 攻撃を受けとめたEsterエスターが平然と言う。


『そんなことないわ』


 ソフは堂々と否定して、Esterエスターの脇腹を蹴り飛ばす。鈍い音と共に空中へ放られた彼の身体は、壁に叩きつけられる前に体勢を立て直してスマートに着地した。


『あなたは壊すわよ。端末なんだから替えがきくでしょ』

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