その戦役のあとのこと
つるよしの
それから半年
環恒星機関の主幹恒星である、デネブ星域アルファ-14コロニーで、二年に渡ったいわゆる「マルフォリア=カライ戦役」の終結が両陣営の首脳により宣言された報を、私は勤めているバーにて星間ラジオから流れるニュースにて知った。
半年前のことだ。
もちろん、それを耳にして思い出したのはオスカーのことだ。
戦地に赴いた彼からの手紙は一年前に早々と途切れ、彼が今どこでどうしているかは、私には知りようがない。居場所どころか、生きているか死んでいるかどうかさえ、私には分からない。
なにせ、終戦からこんなに時間が過ぎても、音沙汰がないのだから。
なので、はっきり言って、私の心中では、オスカーのことは既に望みを捨てた存在となっていた。もう、諦め、忘れてしまった方が良いことなのだと、私の中の理性がそうさせていた。
だから私は彼に関する事柄は、もう早々に、まとめて胸の奥にしまい込んでいた。そして、それでいいのだと思っていたのだ。
そんなわけだったから、昨日の夜、突然、幼馴染のレオンがバーにやってきてこう言い出したのは、私にとって、青天の霹靂以外の何物でもなかったのだ。
「ライラー、いるんだろ」
唐突に、怒っているような声が聞こえてきて、狭いキッチンからカウンターに顔を出してみれば、そこには赤い髪を揺らすレオンの姿があった。
その顔はなぜか、いつも以上に険しい。
私と同い年の二十一歳でありながら、まだニキビさえ見える童顔の持ち主である彼がそんな顔をすると、不釣り合いが過ぎて私はなんだか可笑しくなる。
するとレオンがますます不機嫌そうにこう言う。
「なに笑ってるんだよ」
薄暗いバーを見渡せば、まだ客はレオンだけだった。
だから私は、黒ビールをサーバーからついで、ジョッキをレオンの前に置くと、表情を変えぬまま、こう言ったのだ。
「だって。やっと戦争が終わったんだもん。そりゃあ、いい気分になっていられないわけ、ないでしょう?」
「そりゃそうかもしれないけど、お前はそれでいいのか?」
私を見つめるレオンの顔はなおも厳しい。
その顔つきのまま彼はジョッキを傾け、勢いよくビールを喉に流し込む。そして、唇に付いた泡も拭わぬまま、もう一度私を睨みつけると、こう語を放った。
「あいつ……オスカーを探しに行かなくて、お前はそれでいいのか、って俺は言ってるんだよ……」
「レオン。だって、あなたも知っているでしょう? 彼からの手紙は一年も前に、途切れてる。それも激戦地だったルナフ星域から発信された
「それは分かっている」
「だったら、彼が生きている確率はとてつもなく低い、っていうことは、あなたにも分かるでしょ」
「そう簡単に諦めるなよ、ライラー!」
急にレオンの口から、激しい言葉が爆ぜ、私は戸惑う。
この年になるまでいっしょにこの前線基地の惑星で育ってきた彼が、そんな口調でものを言うのは、極めて珍しいことだったから。
そして、続いてレオンの唇から漏れた言葉に、私の心は激しく軋む。
「だって、あのおっさん。ここを出る前夜、言っていたんだろ、死にたくない、本当は出征なんてしたくないんだ、って。そしてこう言ったんだろ、俺は、絶対に生きて帰って来たいんだ、って。……お前を抱きながら」
その最後の言葉に、私は思わず息をのむ。
「……誰から聞いたの」
「ルカだよ。俺にそう教えに来た。ルカが俺らの前から姿を消した日の、早朝のことだ」
私は二年半を経て明かされた思わぬ事実に数瞬、呆然とした。
たしかにルカの聴力は、アンドロイドだけあって、人間のそれより優れていた。だけど、まさかあの夜、ルカがあんな瀕死の状態にありながら、私たちの睦言を感知していたなんて。
私は、ルカに情事を聞かれていた恥ずかしさよりも、そのことに驚いてしまい、思わずこう言葉を零すことしかできなかった。
「……ルカ、あの子ったら……、ほんとに、最後の最後まで……」
「それはそうとしてだよ、ライラー」
それからしばらく続いた仄暗いバーの沈黙の帷を破ったのは、レオンだった。
「俺としてはさ、お前とオスカーができていたことは……まぁ、ショックでしかなかったんだけど、それ以上に衝撃だったのはさ……あれだけ俺は怖いものなんかない、って素振りしか見せていなかったあのおっかないおっさんがさ、内心はそんなこと思っていたってことなんだ。思いもしないことだったから……」
「……」
私は唇を噛みながら、カウンターに目を落とす。
ああ、そうだ。私も彼の肌に触れながら、そう思ったものだった。
それまで聞いたことのないような弱々しい声音で、私の汗ばんだ胴にしがみつきながらそう告げてきたオスカーの泣きそうな顔を、ただひたすらに懐かしく、思い出す。
そのとき、思い出に浸りかけていた私の鼓膜をレオンの言葉が打った。
「だったら、あいつを探しに行ってやれよ」
そして、なにかをごそごそとズボンのポケットを探り取り出すと、彼に似合わぬ乱暴な仕草でカウンターに叩きつける。
私の目はカウンターに差し出された一枚の
そう、オスカーからの最後の手紙が発せられた、あの。
「ルナフ
チケットに記載されたホログラムの文字が、カウンターの上の宙に、ふわり、浮いていた。
「行ってこいよ、ライラー。あいつを探しに。今を逃したら、お前、一生この惑星でオスカーを思って暮らすことになるぞ。俺は、そんなライラーは見たくないよ」
「……でも、レオン」
「なあ、ライラー。お前はもう、この惑星に縛り付けられる必要は、一切ないんだよ。たとえ、このバーがライラーの母さんの思い出の場所だったとしても」
「……」
「いや、そうだったとしたら、なおさらだ。お前の母さんだって、自分の娘が、自分と同じように、還ってこない男をひたすらに待ち続けて、この惑星で老いていくのなんか見たくないはずだよ」
私はどのくらい、カウンターの前で黙りこくっていたのだろう。
知らず知らずのうちに、息が震える。手も震える。
だが、その震える指先はいつしか目前に置かれたチケットに近付いていく。激しく迷い、動揺する心とは裏腹に、掌はおずおずとそれににじり寄っていく。
そして、いつしか私は、チケットを手に握りしめて、こう語を零していた。
「私、行ってくる。ルナフに」
それから、レオンの榛色の瞳をじっ、と見つめて、こう決意を告げる。
「そして、オスカーを連れてこの惑星に帰ってくる」
「……ばぁか」
レオンは、私の宣言を聞くや否や、肩をすくめて笑った。
「この惑星でお前らが仲良くしてるところなんて、俺は見せつけられたくないよ。この惑星に拘るな。おっさんの故郷でも、そのほかのコロニーでも、どこでも好きなところでいっしょに暮らせよ。そして、幸せになれ」
そしてレオンは、思わぬ言葉になにも言えなくなった私の黒髪をぐいっ、と一房掴んで引き寄せる。
途端に至近距離にて見つめ合う格好となった私に向けて、レオンはただ一言、こう囁いた。
「自由に生きろよ、ライラー」
堪えきれず、私の瞳から、つうーっと熱い涙が一筋二筋と溢れ出す。
それでも目の前の榛色の瞳はなおも穏やかで、それがなによりありがたくて、私の涙はますます止まらなくなる。
レオンの瞳から注がれた熱は、私が僅かばかりの荷物を詰めたトランクを手に、住み慣れた惑星のゲートを超え、新たな旅路に踏み出してもなお、心をあたためてくれていた。
そして、それから数十年を経て、今は遠い星で伴侶と暮らす、この年老いた私の胸中をも、たしかに、眩く照らしている。
その戦役のあとのこと つるよしの @tsuru_yoshino
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