春風のマイクロフォン

島原大知

本編

桜の花びらが風に舞う4月の昼下がり、私立百合ヶ丘高校の放送室に、いつもと同じように放課後の賑わいが戻ってきていた。


「はい、七海さん。マイクチェックお願いします」

少し緊張気味に言うのは、放送部に所属する2年生の泉美咲だ。彼女にとって憧れのパーソナリティである七海凛のアシスタントを務められることが、何よりの喜びだった。


「はーい。マイクチェック、1、2」

マイクの前で元気な声を響かせるのは、放送部の人気者、七海凛。彼女の声を耳にするたび、美咲の心は弾むのだった。


もとより内気な性格だった美咲は、自分がマイクの前に立つことなど考えたこともなかった。けれど七海の声に惹かれ、放送部への入部を決意。それ以来ずっと、裏方として番組作りを支える日々を送っていた。


「よし、OKね。それじゃあ収録は5分後、いつも通りお願いします」

「はい!」


ふだんならここからの5分間は、美咲にとって控室に戻るだけのひと時だった。しかしこの日、いつもと違う出来事が彼女を待ち受けている。


「うっ…」

不意に苦しそうな声をもらす七海。そのまま、ストンと倒れこんでしまった。


「七海さん!どうしたんですか!」

慌てて駆け寄る美咲。熱のこもった額に触れた途端、事態の深刻さを悟る。


このままでは到底収録などできそうにない。頭を抱える美咲の前に、颯爽と現れたのが放送部部長の蒼井明臣だった。


「どうした美咲。…って七海、大丈夫か!」

「熱が高くて…。このままじゃ番組が…」

「そうか…なら、代役を立てるしかないな」


代役、と聞いて真っ先に美咲の頭に浮かんだのは、他の部員の顔だった。同期の誰かに頼めば、なんとかなるかもしれない。けれど、その考えは次の蒼井の言葉ですぐに打ち消された。


「みんな新入生歓迎会の準備で忙しい。…美咲、きみしかいないんだ」

「え…わ、私ですか!?」


狼狽する美咲に、蒼井は穏やかな笑みを見せた。


「きみは裏方として番組のことをよく知ってる。誰よりもこの番組を愛してるはずだ。...きみなら絶対できる」


美咲はただ愕然と蒼井を見つめるばかり。自分にパーソナリティが務まるはずがない、そう言い返したかった。けれど不思議と、声が出ない。


七海の倒れた姿が目に焼き付いて離れない。あの子のためなら、自分はなんだってするべきなんだ。


奥歯を噛みしめたまま、美咲は覚悟を決めた。


「…わかりました。私が代役を務めます」

「よし、きみならできる。さあ、時間がない。行こう」


そう言って美咲の背中を押す蒼井。美咲はわずかに震える足を引きずるようにして、スタジオのドアを潜った。


ヘッドフォンを耳に当て、マイクに向き合う。隣には、もう誰もいない。


深呼吸を繰り返し、美咲は意を決してマイクに口を近づけた。


「こんにちは、リスナーのみなさん。いつもと声が違うなって思った方、鋭いですね。番組パーソナリティの七海さんが急病のため、本日は代役の泉美咲がお送りいたします。よ、よろしくお願いします…!」


精一杯の大きな声で語り始めるも、終わりの方でついつい萎れてしまう。自分の声のこもり方に、美咲は落胆を隠せなかった。


それでもなんとか最後まで番組を終えると、美咲はヘッドフォンを外してほっと息をついた。無事に終わってよかった、という安堵とともに、もう二度とマイクの前には立てないだろうという思いが脳裏をよぎる。


収録を終え、控室に戻った美咲の前に、珍しく下級生の小鳥遊恵が顔を出した。


「先輩、お疲れ様でした!今日の放送、すっごく良かったですよ!」


ぱあっと目を輝かせて言う恵に、美咲は虚を突かれた。


「そ、そう?私なんかでも…」

「全然違います!先輩の優しい声、めちゃくちゃ響いてました。それに、七海先輩との掛け合いを楽しみにしてるって、リスナーからもメッセージが来てるんです」


そう言って恵が見せたのは、スマートフォンに映し出されたリスナーからのメール。予想外の反響の多さに、美咲は目を丸くした。


隣のベッドで目を覚ました七海が、うっすらと微笑んだ。


「みんな、美咲の実力に気付いたんだね…」


さらに驚いたことに、七海が美咲に向かってこう言ったのだ。

「これからも私と一緒に、番組のパーソナリティをやってくれない?」


急な申し出に美咲は言葉を失う。喜ばしい反面、表舞台に立つことへの不安が頭をもたげてくる。


尊敬する七海と一緒に番組ができる。けれど、自分なんかに務まるのだろうか。


美咲の脳裏を、さまざまな思いが駆け巡った。春の日差しが、まだ肌寒い放送室の窓ガラスを優しく照らしている。


新しい季節の始まりとともに、美咲の放送部ライフもまた、大きな転換点を迎えようとしていた。


「番組のパーソナリティを、一緒にやろう」

七海の言葉が、美咲の脳裏に深く刻まれた。


夢にまで見た憧れの人からの誘いに、美咲は有頂天になる自分を抑えきれない。けれどすぐに、不安の影が心を覆った。


自分なんかでいいのだろうか。番組を台無しにしてしまったら。そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。


次の日の放課後、美咲は七海を放送室に呼び出した。向かい合って座る二人。美咲は俯いたまま、ずっと自分の手をじっと見つめている。


「あの…七海さん。私、やっぱりパーソナリティなんて務まりません」

「どうして?」


美咲の言葉に、七海が眉を顰める。


「だって私、七海さんみたいに上手く喋れないし、いつもマイクの前だと緊張しちゃうし…」

「昨日の美咲は、十分魅力的だったよ。リスナーだって、そう思ってる」


七海の言葉に、美咲ははっとした。確かにリスナーの反響は良かった。けれど、それでも…


「いいの。一緒にやろう、美咲」


不安そうな美咲の手を、七海が優しく握る。途端、美咲は顔から火が出そうなほど赤面した。


「わ、わかりました…!七海さんと一緒なら、頑張れる気がします…!」


美咲が顔を上げると、七海が満面の笑みを浮かべていた。


ーーーーー

美咲と七海のコンビでお送りする番組は、すぐにリスナーから好評を博した。美咲の優しい語り口と、七海の軽快なトークが絶妙にマッチし、学内で「百合ヶ丘ラジオ」の人気は日増しに高まっていく。


ある日の放課後、いつものように七海と打ち合わせをしていた美咲は、ふと不思議なことに気が付いた。


「ねえ七海さん。私たち、授業以外の時間はほとんど一緒にいるのに、七海さんのプライベートなことって何も知らないなって」

「プライベート?」


七海が一瞬言葉に詰まる。その反応に、美咲は妙な違和感を覚えた。


「うん。趣味とか、好きな人のタイプとか」

「ふーん…じゃあ美咲は、私のどんなことが知りたいの?」


美咲の問いを、七海が問い返してくる。真っ直ぐな瞳に見つめられ、美咲はどきりとした。


「え、えっと…たとえば、七海さんの好きな人のタイプとか…」


おずおずと言う美咲に、七海は一瞬黙り込んだ。そして覚悟を決めたように、口を開いた。


「美咲、ごめん。私、女の子が好きなの」


その告白は、美咲の心を大きく揺さぶった。


「えっ…」


七海はレズビアンだった。驚きを通り越して、美咲の頭は真っ白になる。


「引いちゃった?」


不安そうに問う七海に、美咲は慌てて首を振った。


「そ、そんなことないです!私、別に気にしませんから…!」


本当は戸惑っていたけれど、美咲はそれを必死で隠した。七海を傷つけたくない、そう思ったから。


七海は安堵の表情を浮かべると、美咲の手をぎゅっと握った。


「ありがとう、美咲。私、もっと美咲のことを知りたいな」


七海の言葉に、美咲の心臓が早鐘を打った。


ーーーーー

次の日、いつものように放送室に向かった美咲は、七海の姿が見当たらないことに気づいた。


いつもなら、もう来ているはず。どこかで時間をつぶしているのだろうか。


美咲がスマートフォンを取り出そうとした、その時だった。


「美咲ーっ!」


後ろから響く七海の泣き声に、美咲は飛び上がらんばかりに驚いた。


振り返ると、目に涙を浮かべた七海が立っていた。


「七海さん、どうしたんですか!?」

「み、美咲、ごめん…番組のメール、見た…?」


言葉少なに言う七海に、美咲は首を傾げた。そのまま七海に導かれるように、スマートフォンでメールを確認する。


そこには、番組宛に届いた差別的な投稿の数々があった。


『気持ち悪いレズビアンは番組から消えろ』

『同性愛者の言うことなんて誰も信用しない』

『百合ヶ丘高校は同性愛者の巣窟なのか』


あまりの心無い言葉の数々に、美咲は言葉を失った。


隣で、七海がぽろぽろと涙を流している。美咲は何も言えないまま、ただその肩を抱き寄せた。


春の陽光が二人を照らす放送室。けれど美咲の心は、まるで冷たい雨に打たれているかのようだった。


人の心の壁は、思っていたよりずっと分厚かった。偏見という名の荒波が、二人の行く手を阻もうとしている。


美咲はそっと目を閉じ、震える七海を強く抱きしめた。二人でこの困難を乗り越えよう、そう心に誓いながら。



差別的な投稿の衝撃から数日後、美咲は放送室で一人、深い思案にふけっていた。


七海のカミングアウトを機に、番組には心無いメッセージが相次いで寄せられるようになった。中には、番組の打ち切りを要求する声すらある。


しかし美咲は、番組を続けたいと思っていた。七海の勇気ある告白を、このまま貶められるのは悔しい。何より、こんな形で七海との別れを迎えるなんて、耐えられない。


「美咲、どうしたの?」


ふと我に返ると、目の前に蒼井と恵の姿があった。


「美咲先輩、元気ないですね…」


心配そうな恵の言葉に、美咲は小さく頷いた。


「実は、番組のことで悩んでて…」


事の顛末を二人に話すと、蒼井は眉間に深い皺を寄せた。


「なるほど、大変なことになってるんだな」

「せっかく七海さんが勇気を出して言ったのに、こんな反応じゃあまりにも可哀想です…」


うつむいて言う美咲に、蒼井は力強く言った。


「でも、諦めるのはまだ早い。私たちにできることがあるはずだ」

「そうですよ先輩!差別をなくすには、僕たちが行動するしかないんです!」


恵も熱い眼差しで同意する。二人の言葉に、美咲ははっとした。


「二人とも…ありがとう。私も、七海さんのためになんとかしたいです」

「よし、じゃあ作戦会議だ。差別と偏見をなくすために、私たちができることを考えよう」


そう言って蒼井は、大きくうなずいた。


ーーーーー


作戦会議の結果、美咲たちは『多様性』をテーマにした特別番組を制作することにした。


様々な立場の人々にインタビューをし、一人一人の思いに耳を傾ける。そうすることで、世の中の多様な価値観を伝えようと考えたのだ。


話を聞いた七海は、目を輝かせた。


「みんな、私のためにそこまで…!」

「当たり前じゃない。私たちは仲間なんだから」


美咲が優しく微笑むと、七海は嬉し涙を流した。


ーーーーー


放課後、インタビューに訪れた美咲と七海。しかし道中、七海の様子がどこか暗いことに美咲は気づいた。


「ねえ七海さん、どうしたの?」

「ううん、なんでもない…」


うつむいて言う七海。美咲は訝しんだが、これ以上は聞けない雰囲気だった。


インタビュー中も、七海の様子はどこか上の空だ。いつもの朗らかさが感じられない。


そして、学校に戻る途中で事件は起きた。


「おい、そこのレズ女」


突然、後ろから男の嫌な声が聞こえた。振り返ると、見知らぬ男子生徒が数人、ニヤニヤと立っていた。


「お前、あのラジオで同性愛者だって公言したんだってな。気持ち悪りぃレズ女が、うちの学校にいるって本当かよ」

「それって、お前らのことだろ?」


男子生徒たちが、美咲と七海を指差して笑う。


「ち、違います!私は…」


思わず否定しようとした美咲。けれどその時、七海が美咲の前に立ちはだかった。


「ええ、そうよ。私はレズビアン。でも、それがどうかした?」


キッと目を鋭くして言う七海。その凛とした姿に、美咲は息を飲んだ。


男子生徒たちは、面食らったような顔をしている。が、すぐにまた意地悪な笑みを浮かべた。


「気色悪い。お前みたいなキモいレズのせいで、学校の評判が落ちるんだよ」

「うちの学校から、出ていけよ」


嘲笑うような声が響く。が、七海は微動だにしない。真っ直ぐ前を見据えたまま、毅然とした口調で言った。


「私は、私のありのままでいいって信じてる。好きな人を好きになる自由が、私にはある。それを否定されるいわれは、ない」


その言葉に、美咲の心が熱くなった。


そう。誰だって、自分らしく生きていい。それを侵す権利は、誰にもないはず。


美咲は、七海の隣に立った。


「私は七海さんの味方です。誰だって、好きな人を好きになっていい。多様性を認め合うことの素晴らしさを、これからもラジオで訴え続けます」


きっぱりと言い切る美咲。その凛々しい姿に、七海が驚いたようにこちらを見る。


美咲は微笑み返した。あなたの隣が、私の居場所。そう、心の中で呟きながら。


二人の前に、夕焼けが広がっていた。


波打つような雲の合間から、オレンジ色の光が差し込む。七海の髪が、その光を浴びてきらきらと輝いて見えた。


春の陽が、いつの間にか初夏の様相を見せ始めている。


美咲の胸に芽生えた、新しい気持ち。それは、恋に似た温かなものだった。


特別番組の制作は順調に進んでいた。


学内外のさまざまな立場の人々に取材を重ね、多様性の尊さを訴える内容になりつつあった。


しかし美咲の心は、もやもやとしたままだ。七海への想いが、日に日に大きくなっていくのを感じる。


これは…恋なのだろうか。


「ふぁ~、ちょっと休憩しない?」


編集作業をしながら、大きく欠伸をする七海。

美咲はその横顔を、じっと見つめていた。


「ねえ七海さん、私…」

「ん、どうしたの?」


美咲の語気の重さに、七海が怪訝な顔をする。


伝えるべきか。いや、番組の途中で気を散らすわけにはいかない。けれど─


美咲の激しい内面の葛藤を、七海は不思議そうに見ている。美咲は観念したように、小さく息を吐いた。


「…ううん、なんでもない。七海さん、ここの編集はこんな感じでいいと思います」


話題を逸らすように、美咲は画面を指差した。七海は少し拍子抜けしたようだったが、それでも作業に戻る。


二人の間に、微妙な空気が流れた。


ーーーーー


「よし、明日いよいよ特別番組の放送だな」


深夜の校舎。生徒のほとんどが帰った放送室で、蒼井が満足げに言う。


「うん、私たちなりのメッセージは込められたと思う。…どうなるかな」

「大丈夫、みんなの想いはきっと伝わるよ」


恵が力強く言うのに、七海も笑顔で頷く。


美咲は、そんな仲間たちの顔をぼんやりと見つめていた。


みんなの優しさに、どれだけ救われただろう。支えられただろう。


そして─


美咲の視線は、自然と七海に向かっていた。


いつからだろう。七海のことを、特別に想うようになったのは。


一緒にいる時間が、どんなに心地よいことか。


七海の笑顔を見るだけで、胸が熱くなる。


もしかしたら、ずっと前から。美咲の心は、七海一色だったのかもしれない。


「美咲、どうしたの?ずっと私のこと見てる」


不意に七海が話しかけてきた。


「え、ええっ!?そ、そんなことないです…!」


慌てて視線を逸らす美咲。二人のやり取りを、ニヤニヤ笑いながら見ている蒼井と恵の姿があった。


ーーーーー


そして迎えた放送当日。


いつになく張り詰めた空気の中、美咲と七海は最後の打ち合わせをしていた。


「私たち、今日のラジオでできることを精一杯やろう」

「…うん」


いつもなら明るい七海の、晴れない表情が気になる。


美咲は七海の手を、そっと握った。


「どうしたの、七海さん。元気ないよ?」


心配そうに覗き込む美咲に、七海はふっと笑みを浮かべた。


「ううん、大丈夫。ちょっと緊張してるだけ」


その笑顔は、どこか寂しげに見えた。


放送は順調に進んでいく。リスナーから寄せられたメッセージに丁寧に答える二人。多様性を尊重することの大切さを、真摯に訴えかける。


放送の反響は上々だった。番組中にもたくさんの共感の声が寄せられる。それでも、差別的な意見が混ざるのは変わらない。


美咲は言葉を選びながら、毅然と反論した。


一人一人が多様性に理解を示す一歩を踏み出せば、社会はもっと住みやすくなる。誰もが自分らしく生きられるようになる。


その思いを込めて、美咲は語り続ける。隣では、七海も熱っぽく頷いていた。


ーーーーー


放送を終え、疲れ切った体でスタジオを出る二人。外は、もう夜の帳が下りていた。


「美咲、ありがとう」


不意に七海がつぶやいた。


「どうしたの、改まって」

「ううん、ただ…私、美咲がいてくれて本当によかったなって」


七海の瞳が、星屑のようにきらめく。


美咲の鼓動が、ひときわ高鳴った。


「七海さん、私…!」


言葉を探す美咲に、七海が首を傾げる。


「私、七海さんのことが…」


続く言葉に詰まる美咲。七海はゆっくりと瞬きをした。


「美咲…」


期待に満ちた眼差しを向ける七海に、美咲は意を決した。


「好きです…!七海さんのこと、好きになってしまいました!」


ついに言葉にした、美咲の想い。


七海の目が、見開かれる。


「美咲…私も、美咲のこと…」


そこまで言って、七海はふと言葉を切った。悲しそうに、俯いてしまう。


「ごめん美咲。私には、まだ整理しないといけないことがあるの」


「整理…?」


「今の私には、美咲の気持ちにまっすぐ応えることができない。ごめんなさい…」


そう言い残して、七海は夜の闇へと消えていった。


残された美咲は、ただ呆然と立ち尽くすばかり。


冷たい風が、制服の裾をはためかせる。潤んだ瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


春はもう終わりに近づき、夏の気配が色濃くなりつつある。


けれど美咲の恋は、もう冬のように冷たくなってしまったようだった。


あれから数日が経った。


美咲は七海を避けるようになっていた。放送部の活動にも、身が入らない。


何より辛いのは、七海との関係だ。以前のような楽しげな会話もなくなり、必要最低限の会話しかしなくなってしまった。


そんなある日、美咲は一人、放送室で遅くまで作業をしていた。


ふと顔を上げると、そこに蒼井と恵の姿があった。


「美咲、ちょっといい?」

「蒼井先輩、恵ちゃん…どうしたの?」


二人の真剣な表情に、美咲は不安を覚えた。


「実は七海から聞いたんだ。美咲が告白したって」


蒼井の言葉に、美咲の体が強張る。

「それで、七海はどんな顔してた…?」

「悲しそうだったよ」


その言葉に、美咲の心が痛んだ。


「七海は、自分の気持ちに自信が持てないみたいなんだ。美咲に対する気持ちも、きっとわからなくなってる」


そう言う恵に、美咲は目を見開いた。


「私に対する、気持ち…?」


「うん。七海先輩、美咲先輩のこと好きなんだと思う。けど、女の子を好きになるのが怖いんだって」


「そうなの…?」


美咲の脳裏に、七海の姿が浮かぶ。


元気で明るくて、誰よりも優しい七海。でも、時折見せる寂しげな表情。


「七海は昔、好きな女の子に振られた経験があるらしくてね。それで、同性を好きになること自体に恐怖心を抱えてるみたいなんだ」


蒼井の言葉は、美咲の胸に突き刺さった。


七海の整理しないといけないこと。それは、過去の傷だったのだ。


「わかった。私、七海さんのところに行ってくる」


そう言って立ち上がる美咲に、二人は微笑んでうなずいた。


「がんばれ、美咲」

「美咲先輩なら、絶対に七海先輩の心を開けるよ」


温かな応援の言葉を背に、美咲は放送室を後にした。


ーーーーー


夕暮れ時の教室。


オレンジ色に染まる空が、窓から見える。


そこに七海の姿を見つけた。


「七海さん…!」


振り返る七海の顔に、驚きが走る。


「美咲…どうして私がここにいるかわかったの?」


「七海さんなら、ここに来るって思った。いつも放課後、一人でここにいるもんね」


窓際の席に腰掛けながら、美咲は微笑む。


「…ごめん美咲。この前は酷いことを言って」

「謝らないで。私こそ、七海さんの過去を知らないで告白するなんて…ごめんなさい」

「美咲…」


俯く七海の顎に、美咲はそっと手を添えた。


「でも、私の気持ちに嘘はない。七海さんのことが大好きなの」

「美咲…」


潤んだ瞳で見つめ返す七海。

その目に、美咲は真っ直ぐ語りかける。


「私は、七海さんのすべてを受け入れる。過去も、今も、未来も。だから、どうかあなたの気持ちに素直になって」


その言葉に、七海の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「美咲、私…私も、美咲のことが大好きだよ…!」


泣きじゃくりながら、七海が美咲に抱きついてくる。


「怖かったの、また好きな人を失うことが。だけど、美咲は違った。美咲は私の過去も、弱い部分も、全部受け止めてくれる…!」


「うん。私はずっと七海さんの味方だよ」


美咲も涙を流しながら、七海を抱き締め返す。


穏やかな風が、二人の髪をそよがせた。


「美咲、付き合ってください。私、もう美咲のことを離したくない」

「私こそ、お願いします」


額を合わせて微笑み合う二人。


初めてのキスは、オレンジ色の夕日を背景に交わされた。


ーーーーー


「本日は特別ゲストをお迎えしています。七海凛さんです!」

「よろしくお願いします!」


文化祭の野外ステージ。そこに、美咲と七海の姿があった。


晴れ渡る空の下、詰めかけた大勢の観客。


この日、二人は堂々とカップルとしてステージに立っている。


周囲を驚かせることは承知の上だ。


けれど、もう怖くはない。


「私たちはこの秋、お付き合いを始めました」


美咲の告白に、歓声と拍手が沸き起こる。


「正直、偏見の目で見られることもあります。けれど、それでも私たちは前を向いて生きていきたい。誰もが自分の幸せを追求できる、そんな社会を目指して」


美咲の言葉に、七海も力強く頷く。


「みんなにも伝えたい。あなたらしく、生きていいんだって。周りの目を気にせず、自分の人生を歩んでほしい。応援するよ、私は」


七海の呼びかけに、観客たちも感銘を受けた様子だ。


拍手喝采の中、美咲は七海の手をぎゅっと握った。


「さあ、これからも百合ヶ丘高校放送部の特別番組『りんといっしょ!』をよろしくお願いします!」

「よろしくお願いしまーす!」


二人三脚で、大きく宣言する。


木々の葉が色づき始めたグラウンド。


新しい季節の訪れを感じさせる、爽やかな風が吹いていた。


美咲と七海の、特別な物語はまだ始まったばかり。


これからも二人で、たくさんの笑顔と涙と、 かけがえのない思い出を作っていくのだ。


カーテンコール。


満開の歓声に包まれながら、美咲は七海にキスをした。


愛する人の唇は、どんな季節よりも甘美な味がした。


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春風のマイクロフォン 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

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