自己愛の塊

棚霧書生

自己愛の塊

 浅い切り傷ほどじくじく痛むような気がするのは、この行為が僕とのものだけではないとわかっているからだ。

 今日も美しい僕たちの主人、ディーン・バートリー様は今朝の食事の相手に僕を選んでくださった。差し出した僕の首筋にディーン様の牙が刺さり、血液を吸い出される時間は魂が恍惚とするような特別な魅力をたっぷりと含んでいる。

 吸血鬼であるディーン様は人間の血を必要としている。孤児であった僕がディーン様に拾われ、こうして生きながらえているのはこの世に二つとない奇跡に思えた。

「はあっ……ディーン様……」

 思わず声が漏れてしまう。ディーン様はお優しいからすぐに僕の顔を覗き込んで、心配そうに尋ねてくる。

「うん? どうしたの、レイ……もしかして疲れちゃったかな? 今からでも別の子に頼んだほうが……」

 目の前がカッと真っ赤になった気がした。それはディーン様の口から一番、僕が聞きたくない言葉だったから。

「ダメですっ! ディーン様は今朝は僕の血を飲むとおっしゃいました!」

 考える前に否定の声が口から飛び出した。言ってしまってから慌てて口を塞ぐ。

「お、大きな声を出してしまって申し訳ありません……。ただ僕は……」

「うん、大丈夫。わかってるよ。私との愛の時間を他の者に横取りされるようで嫌だったんだろう?」

 僕は頬が熱くなっていくのを感じた。心臓がドクドク鳴って、頭からつま先まで甘美な喜びが体中に巡る。ああ、お慕いしています、ディーン様……。

 食事が済むとディーン様は僕のはだけた服を直してくださった。ディーン様の優しさが嬉しいのにこの何にも代えがたい最上の時間がもう終わってしまったのだと思うととても名残り惜しい気持ちになる。

 次に僕がディーン様の食事の相手に選ばれるのはずっと先になってしまうだろう。このお屋敷には僕以外にもたくさんの人間が……、ディーン様の食事の相手がいる。全員がディーン様の下僕で、血液を提供するための生き餌だ。十二歳から十八歳までの少年を選んでお屋敷に連れてきているのだとディーン様には教えてもらった。長らく様々な人間の血を飲み比べてきて、年若い男のものが一番まろやかでそれでいて味が濃くて美味しいのだとディーン様は楽しそうに語っていた。

 僕が拾われたときの正確な歳はわからない。だけどまだ十四、五くらいだろうとディーン様は言った。どのくらい長くディーン様のお屋敷にいられるかはディーン様の気分次第。周囲を見ても老けた者は一人もいないので、きっとここにずっといることはできないのだろう。ディーン様のお側にいられるのは限られたほんの短い時間だけ。

「まだ、離れたくありません……」

 僕はディーン様の服の裾を掴んだ。

「おやおや、また甘えたかい? レイは欲張りさんだね」

「ディーン様、あなたを愛しています」

「ありがとう。私も君を愛してるよ、レイ。私の可愛い子」

 僕が、じっとディーン様を見つめると彼はちょっと呆れたように笑った。

「私はみんなのディーン様だからね。次にレイと食事をするのを私は楽しみにしてるよ。だから、今日はこれでおしまい。そんなに物欲しそうにしても駄目だよ」

 僕はディーン様の部屋から追い出される。扉の閉まる音がつららみたいに心臓に刺さった。さっきまで体がぽかぽかとして暖かかったのに、今はすごく冷たい。

 ディーン様の血肉がずっとずっと僕の血液だけでつくられればいいのに。僕はそう願わずにはいられなかった。


 今日はなんだかムシャクシャする。食欲がなくて昼食のパスタをあまり食べられなかった。ディーン様に吸血してもらうためにも、しっかり食べていい血液をつくりたいと思っているのに。

 お腹も空いていないのに胃がぐるぐると鳴る。最近、お腹の調子が悪い。僕はいつだって、ディーン様のために健康的な肉体でいなくてはいけないのだが、ここしばらくはずっと不調を抱えていた。思わず、ため息が出る。

「なにかお悩みか、レイ?」

「……ギルバート、……ふん、お前には関係ない」

 僕が今、最も嫌っているやつが話しかけてきて、悪かった気分がさらに悪くなる。

 ギルバートはこの館で異質な存在だった。顔だけはすごく綺麗だけれど、ディーン様を尊敬せず呼び捨てにしている。ここには十八歳までの者しかいられないと聞いているのに、こいつだけはどう見ても僕らより歳上だった。たぶん、見た目から推測するに三十近いのではないだろうか。

「おっ、いいのか俺にそんな態度をとって。レイの大好きなディーンに告げ口しちまうかも」

「ッ……、ディーン様が目をかけてくださっているからって、調子に乗るな! なんで、お前なんかが!」

「お気に入りなのかって? そりゃ、俺の血が美味いからさ。毎晩飲みたい飲みたいってディーンに迫られて、もう大変だよ」

「……クソッ」

 ギルバートとこれ以上話していたら、手が出てしまいそうだった。僕たちが揉め事を起こすこと、それはディーン様が望まないことでもある。僕は自分の中に湧き上がった衝動を押さえつけ、踵を返そうとした。それなのに、ギルバートは不躾に僕の腕を掴んだ。振り解こうとした瞬間、ギルバートが僕の耳元で囁く。「俺の血の秘密を知りたくないか?」と。


 ギルバートは広い一人部屋を与えられていた。中に入ったのはもちろん初めてで、ついなにがあるのか見回してしまう。

「え……」

 ベッドサイドチェストの上に拳銃と銀色の弾が置いてあった。ギルバートが、僕が目に留めていることに気がついて、チェストの中にそれらを仕舞う。

「お守りだよ。化け物と一緒に住んでるわけだからな」

「…………ディーン様はお優しい吸血鬼だ」

「お優しい吸血鬼は、気に入った人間の少年をわざわざ親元から離して自分の館に囲ったりするかね?」

 僕はギルバートに反論しようと息を吸い込んだ。が、ギルバートが僕の目の前に掌を突き出すことでそれを制した。

「無駄話はやめにしよう。お前が知りたいのは美味い血の秘訣だろ」

「本当に教えてくれるのか……? ギルバートはどうして、その……僕に……」

 ディーン様に好かれるために切磋琢磨している子は多い。ディーン様に最も寵愛を受けているギルバートの言う“特別な血のつくり方”など、知りたがる子は僕以外にもたくさんいるだろう。

「ディーンの相手を毎晩するのは怠いんだよ。それにな、俺はディーンの相手はレイが一番だと思ってるのさ」

「僕が一番……?」

 ディーン様に自分は相応しいと言われるとギルバート相手でも、とても嬉しくなってしまう。

「俺じゃ力不足なんだ。頼むよレイ」

 窓から西陽が差し込む、紅い光がギルバートを照らしている。その光景があまりに美しくて僕はちょっとだけギルバートに見惚れてしまった。

「俺の血を飲め、レイ」

「……はあ!?」

 ギルバートが何を思っているのか僕にはさっぱりわからなかった。僕は吸血鬼のディーン様に憧れてはいるけれど、吸血鬼になりたいわけではない……。

「美味い血の正体は感染症なんだ。俺の血を経口摂取することでお前は病にかかる。安心しろ、死ぬようなモンじゃない。ちょっとばかし熱っぽくなるだけだし、病自体はすぐに治る。ただ一度かかると副産物として、吸血鬼のやつらに好かれる血液になるんだ」

「そう……だったのか……」

 ギルバートはポットでお湯を沸かしてハーブティーを淹れてきた。僕の分のティーカップの上で自身の指先に果物ナイフの刃を当てている。

「飲むよな……?」

「もちろん。お願いするよ、ギルバート」

 ハーブティーにギルバートの血が垂らされる。元々の色に血の色が混ざって、毒々しい奇妙な色合いになっているそれを僕はじっと見つめてから、ゆっくりと、だけど一息に飲み干した。

「うっ……」

 心臓がドクンと跳ねる。指がカップから自然に離れ、床にぶつかったそれは粉々に砕けてしまった。

「ギル……バートッ……! これは本当にっ……」

 大丈夫なのか、というセリフは喉が詰まって上手く言えなかった。体が燃えるように熱い。細胞のひとつひとつが狂ってるみたいだった。全身が痒いような痺れるような未知の感覚。僕はギルバートを睨みつける。

「血が多すぎたか……? レイ、少し俺の部屋で休んでいくといっ……!?」

 僕はギルバートに飛びかかった。そうするつもりは全くなかったのに、脳と体が別々になったみたいにコントロールがきかない。

 ギルバートの白い首筋を見て、かぶりつきたい気持ちになった。口の中によだれが溜まっていく。あぁ、なんて美味しそうなギルバート!

「痛ェなぁ……!!」

 首を噛むつもりだったけど、ギルバートが直前で腕を出してきたので、そこにかぶりついてしまう。噛みついたままでいたら、ギルバートに思い切り壁に叩きつけられた。

「うぅ……ぐぅ……」

 痛みと衝撃でギルバートを美味しそうだと思っていた思考が吹き飛ぶ。ハッとして、ギルバートを見ると彼は場違いなほど綺麗に笑った。

「少しは正気に戻ったか……? 体調が最悪なところ悪いんだけどよ、今夜のディーンの相手を……この出血だと俺はもうできそうにないからさ、お前が代わりに務めてきてくれよ」

「ご、ごめん……ギルバート……。ぼ、僕、どうして噛みついたりなんか……」

「気にすんな。病の症状が強く出たんだろうさ。それはお前にとっていいことだぜ。症状が強く出れば出るほど、血は美味くなるって言われてるからな。それより、ディーンの食事の相手、代わってくれるよな?」

 僕はすぐさま頷いた。窓の外は日が沈み、丸い月が顔を見せ始めている。もうすぐディーン様の食事の時間だ、僕らの都合であの方をお待たせするわけにはいかない。


 ギルバートから聞いたとおりディーン様は中庭にいた。今夜は満月だから、外で食事の時間をしたいとギルバートはディーン様に頼んでいたらしい。

 病で火照った体には夜風が気持ちいい。頭はあまり回らなくて体も変なのに、どうしてか気分は昂揚していた。

「ディーン様……、ギルバートの代役で来ました、レイです」

 ディーン様は僕を見て不思議そうな顔をした。

「あれ、ギルはどうしたの?」

「具合が悪いと言っていました」

「そうなの? それで、君はどうしてギルの血の匂いをぷんぷんさせているのかな? 彼になにかした?」

「えっと……」

 ディーン様が鋭い目つきで僕を射抜く。

「私の愛ほしいからって、ギルを傷つけたのか。ギルの具合が悪いというのも君の嘘かな」

 ディーン様の冷たい声には僕を軽蔑する意思がこめられていた。

「待って、話を聞いてくださいディーン様!」

「……まずはギルの状態を確認する。話はそれから」

 ディーン様は僕に背を向けて歩き出す。ギルバートのところに行くために。先に僕の話を聞いてくれたっていいじゃないですか、僕はディーン様をこんなに愛しているのにどうしてギルバートを優先するのですか。

 行き場のない感情が全身を駆け回る。体中をめちゃくちゃに掻きむしりたくなった。涙がこぼれそうになって、ふと上を向くと、月が見える。空恐ろしさすら覚える黄金の光を放つ満月を僕は見た。

 ピキンッ……。

 ヴァイオリンの弦が切れるような音が頭の中で響く。次の瞬間、僕はディーン様に襲いかかっていた。ディーン様の首筋に何度も何度もかぶりつく。ぐるぐると腹が鳴っていて、僕は口の中にあるものを食べなくてはならないと直感していた。初めて食べる吸血鬼の肉は驚くほど美味しかった。夢中になって、噛みついて食いちぎって飲み込むのを繰り返していたら、いつの間にかディーン様はいなくなっていた。

「あれ……? ディーン様……どこですか?」

 自分の腹が見たことのないくらい膨らんでいる。満腹になって体が喜んでいるのが、恐ろしかった。そうだ、今すぐ食べたものを吐き出そう。そしたら、ディーン様が帰ってくるかもしれない。

 僕が指を喉に突っ込もうとすると誰かに手首を掴まれて、止められた。

「おつかれさま」

 ギルバートの声に続いて、銃声が鳴る。僕の胸からボッと変な音がして視線落として確認すると穴が空いていた。紅い、これは血なのか、理解した瞬間、爆裂的な痛みが走る。あああああ!? と悲鳴をあげるとギルバートにさらに撃たれた。

「どうしてっ、どうして……」

「化け物には化け物を。お前はディーンをやってくれた。そこには感謝してる。だが、化け物はぜんぶ退治されなくちゃならない。人間の安心のためにな……、ごめん……、ありがとう、そしておやすみ、狼男のレイ……」

 再び、躊躇なく引き金が引かれた。音も色も痛みもなくなって、僕はただひたすらにディーン様の元にいけることを祈って……目を、閉じた。


終わり

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