ペンギンの国(下)
ミニチュアペンギンによってヒトにもたらされる幸福感は、神経伝達物質と密接な関係がある。
パートナーのペンギンと接触している間、ヒトの脳内において、セロトニンとβ-エンドルフィン、そしてオキシトシンの分泌量が増大することが観測されたのである。
俗称「幸せホルモン」。精神状態の安定や不安の軽減、抗ストレス・抗うつ作用があるとされるこれらのホルモンは、例えば親しい相手とのスキンシップや必須アミノ酸の摂取によって分泌が増えることが知られている。
だが、ペンギンとの接触によるものは、その量と安定性が他の手段の比ではない。
ペンギンとともに過ごすだけで、気持ちが安定し、幸せな気持ちになれる。副作用の無い、万能の精神安定剤と言っても過言ではなかった。
この研究結果を受けて最初に期待されたのは、アニマルセラピーでの活躍だ。当初は緩和ケア病棟で、次に高齢者・障害者・児童福祉施設、さらに心療内科において利用者や患者にペンギンを接触させたところ――その癒しの力は、疑いようのないものであると証明された。
特に、精神医療関係における患者の回復率はすさまじかった。投薬量は日ごとに減り、日常復帰までの平均所要期間は従前の十分の一にまで短縮された。
日常はストレス要因で溢れている。日本におけるうつ病の生涯有病率は海外に比べて低いとされているが、それでも心の病に苦しむ患者は決して少なくない。例え診断まではなされずとも、誰しも多かれ少なかれ悩みや精神疲労を抱え、ひとときの癒しや幸福感を切望する。世界幸福度ランキングにおける日本の順位低迷は、政府にとって頭の痛い長年の課題だったのだ。
そこに、彗星のごとく登場したのがミニチュアペンギンだった。
国は、その絶大な癒し効果と繁殖力の高さに目を付けた。胸ポケットにペンギンを収めた首相が、記者会見で大真面目に発表した国の長期目標に、日本のみならず全世界が驚愕することとなる。
「一億総ペンギン社会」の実現である。
日本全国どこへ行こうとも、歩けばペンギンを連れた人とすれ違う。否、ペンギンを連れ歩かない人はいない。職場であろうと学校であろうと商業施設だろうと、盲導犬と同様に同伴が認可されているのだ。
洋服は、ミニチュアペンギンにジャストフィットの胸ポケットが付いたものが主流になった。デザイン性を重視する者には、スマホショルダーならぬペンギンショルダーが必須アイテムだ。
乗用車にはドリンクの定位置だった場所にペンギンホルダーが標準装備され、寝室のベッドの枕元にはペンギン専用ベッドが置かれ、トイレや浴室には一時的にペンギンを載せておくペンギンシートが付けられた。
スーパーでもドラッグストアでもデパートでもペンギングッズ売り場がかなりの面積を占拠し、ペンギンと無関係の商品を扱う会社ですら、溜めたポイントをカタクチイワシと交換するサービスを展開している。
全ては、人がペンギンと片時も離れず暮らすため。もはや日常生活とペンギンは、切っても切れない関係になった。
国民一人につき一羽のミニチュアペンギン無償付与制度。
それが、今から約一年前に政府が発表した、日本のメンタルヘルスケアの奇策だった。
ペンギンによる幸福感は接触している間だけ有効だ。ペンギンと触れ合うことでストレスが緩和したとしても、それは一時的なものであり、根本治療にはならない。ならばいっそ、精神疾病の有無に関わらず全国民が常にペンギンと過ごすことで、その効果を持続させてしまおうというものである。
制度導入に際しては、飼育知識のない者にペンギンを委ねることを不安視する声が動物愛護団体を中心に上がった。だが、その当然の心配も、結論から言えば無用のものだった。
ミニチュアペンギンの飼育は非常に容易だ。賢い上になべて人懐っこく、穏やかな気性のため、ヒトを攻撃することは無い。パートナーに追従するので脱走することも無い。人間の食べ物でもペットフードでも旨そうに平らげる。雑食のためか、既存種のペンギン特有の生臭い匂いもなく、むしろほのかにラベンダーのような芳香がする。消化器官の短い鳥類でありながら、排泄は日に一度だけで、トイレの場所も一度教わっただけですんなり覚える。
鳴き声は小さく控えめで、他のペンギンのように「ゲヘッゲヘッ」と奇声を上げることもない。声に
見た目に反して体が強靱であることに加え、ふわふわの羽毛に守られているため、人間の肩ほどの高所から落下しても、布団の中で人間の下敷きにされても平気な顔をしている。ペンギンゆえに浴槽に落ちても溺れることはなく、しかし、ペンギンにも関わらず温度変化に異様に強い。病気に罹ったという記録は無い。人間の庇護の元にあるため、野生動物やペットに襲われることも無い。むしろ乱暴な人間による虐待が何より心配されたが、ペンギンの癒しの力によるものなのか、そういった悲劇もこれといって報告されていない。
既存種のペンギンの寿命は、種類や環境にもよるが、野生であれば平均十年から二十年ほど。ミニチュアペンギンの寿命は未知数だが、少なくとも発見されてからこれまでにおいて、死亡例は未だゼロ件だ。
まるでヒトと暮らすために現れたかのような好都合さ。こうなればもう、制度運用を止める理由は存在しなかった。
全国各地には続々と、繁殖飼育施設「ハートフルペンギンセンター」が建設された。ここでは、すでに特定のパートナーペンギンがいる職員だけが世話を担い、パートナーが定まっていないペンギンと新たな人間との接触は徹底的に防止する。そうして成鳥に育ったペンギンは、順次譲渡されて、特定の人間のパートナーとなる。
全国民に行き渡るだけの数のペンギンは確保されていたが、譲渡には優先順がつけられた。終末期医療患者、精神疾患患者および既往歴のある者、犯罪被害者、被災者、傷病者、妊産婦、失業求職者、就活生に受験生、小学一年生および中学一年生、その他大きな心的負荷がかかるライフステージに立っていると認められる者、ストレスチェックで高ストレス判定を受けた者――そして、それ以外の希望者。
ペンギンの譲受は強制ではない。だが、同調圧力に弱い大半の日本人にとって、家庭や学校、職場において「自分だけペンギンを連れていない」状況は耐えがたいものがあった。
結果、付与開始から一年で、日本国民の実に九十五パーセント以上がペンギンを付与されるに至ったのだった。
日本人の幸福度は、たちまち世界の頂点に君臨した。
健康や経済面といった根本的なストレス要因は取り除けなくとも、心の持ちかたひとつで全てが変わる。例え、立たされた境遇に変化は無くとも、気持ちが明るければ未来も明るく見えてくる。
心療内科のみならず、他の診療科でも不定愁訴を要因とする受診者が激減し、カウンセリング施設は次々に廃業している。犯罪や暴力やハラスメントやDVが減り、いじめが消え、焦りや苛立ちによる交通事故すらも稀なものになった。
奇跡のような平和の実現を人々は喜び、誰しもペンギンのおかげだと褒め称え、いっそうペンギンを可愛がるようになった。
――ミニチュアペンギンには、この安直な正式和名とは別に、人々が好き勝手に呼び始めた多数の愛称がある。
例えば、オウサマならぬ「オウジサマペンギン」、アデリーならぬ「ラブリーペンギン」、フェアリーならぬ「ピクシーペンギン」などといったもの。
その中でも最も人々に浸透した呼び方は、ミニチュアペンギンが日本にもたらした平和に対する、国民の感謝の気持ちが強く表われ出たものだと言えよう。
「カミサマペンギン」。
*
平和を謳歌していた日本国内で、ある日、凄惨な事件が起きた。
一般家庭で生まれ育った平凡な男子中学生が、実の父親の腹を包丁で刺し、重傷を負わせたのである。
メディアが報じた事件の全容は衝撃的なものだった。発端は、ミニチュアペンギンをかまうことに夢中になるあまり勉学が疎かになっている息子を見かねた父親が、ペンギンを取り上げ、隠してしまったことである。逆上した息子は台所から包丁を持ち出し、ペンギンを返すよう父親に迫った。それでも要求を頑として受け入れなかった父親に息子が襲いかかり、揉み合いの喧嘩になった末の悲劇だったと言う。
僕がこの事件を知ったのは、会社の休憩時間にネットを眺めているときだった。オフィス内では、同じニュース速報を見たらしい同僚たちの「うわ」「やば……」などという呟きが同時多発している。
ふと視線を巡らせれば、隣のデスクでスマホをいじる濱中が顔を青くしていた。見るに見かねて、僕はさりげなさを装い声を掛ける。
「酷い話だよな」
そのあとに僕が継ごうとした、「ペンギンを取り上げたくらいで刺されるなんて」というコメントは、濱中の「まったくです」という力強い同意で阻まれた。続きは、僕の代わりに濱中が継ぐ。
「ペンギンを取り上げるだなんて。刺されても文句言えませんよ」
耳を疑った。
僕は唖然として濱中の横顔を凝視するが、スマホの画面に釘付けになっている濱中が気付く様子はない。その表情は真剣そのものだ。彼の左手が、無意識だろうか、胸ポケットのペンギンの頭を何度も繰り返し撫でている。ペンギンは気持ちよさそうに目を細めていた。
恐る恐る周囲に耳を澄ませば、オフィス中で飛び交う同僚たちのやりとりは、ペンギンを奪われた息子に対する同情と、父親の仕打ちに憤る声ばかり。
薄ら寒さを覚えた僕は、午後の業務を猛然と片付け、定時と同時に逃げるように退勤した。
夜になっても、SNSの話題は件のニュースで持ちきりだった。
テレビの中でペンギンを連れ歩くことの重要性を説く専門家の話を半分に聞きつつ、その胸元で舟を漕いでいるペンギンをぼんやり眺めていると、台所で夕飯の支度をする成海が「酷い話だよね」と呟いた。
共感を得られたことに嬉しくなり、ソファから身を起こした僕が「だよな」と反応する前に、彼女は続けた。
「ペンギンを取り上げるなんてさ」
僕は一気に消沈し、起こしかけた上半身を投げ戻した。少し意地悪な気分になって、視線はテレビに向けたまま、成海の背中に問い掛ける。
「じゃあさ。もし、僕が成海のペンギンを取り上げたらどうする?」
瞬間、ドスン、という重い音が響き渡った。
音は台所からである。度肝を抜かれた僕が目を白黒させて首を回せば、成海の手元のまな板の上に、頭を落とされた大きなイワシが横たえられていた。切断面から溢れた赤黒い血が、シンクへ細く流れ伝う。
包丁を握ったまま、ゆっくりとこちらを振り向いた成海の目は、光を失ったイワシのそれにそっくりだった。
「今、なんて?」
静かに、淡々と、僕を見つめて成海が訊く。
慌てて目を逸らし、しどろもどろに「冗談だよ」と誤魔化しながら、僕は胸に抱き上げた僕のペンギンの背を、一心不乱に撫で続けた。
薄々気付いてはいた。この国が静かに狂っていっていることに。
ペンギンと暮らすことが、今や日本人にとって日常だ。ペンギンがいなければ心を平常に保てない。ペンギンがいない生活など考えられない。どころか、ペンギン無しでは生きることさえままならない。
人はペンギンを失うことを恐れ、心の支えとし、他の何よりペンギンを愛して信じて崇め敬う。
ペンギンはもはや、この国の「カミサマ」だ。
直近の衆議院選挙では、新勢力「ペンギン党」が大衆の圧倒的な支持を得て第一党の座を奪取した。公約に掲げていたペンギン健康保険の加入義務制度、および、三パーセントのペンギン特別所得税導入は確定的だ。
さらに政府は「日本のペンギンで世界を平和に」をスローガンに掲げ、全世界にミニチュアペンギンを普及させる政策を打ち出した。軍事費を削って捻出した予算をペンギン繁殖に投入し、離島のいくつかを専用繁殖施設島として整備する計画を猛スピードで進めているらしい。
今、僕が眺めるテレビの中では、日の丸をペンギンの顔にした新たな国旗のデザインと、新国歌「ペンが代」の作詞作曲について、コメンテーターらが真剣に議論を繰り広げている。
ふと、画面から目を離して視線を落とすと、胸ポケットに収まったペンギンが、僕を見上げて「ぺちゅん?」と小さく首を傾げた。
その無垢な顔を見下ろして、僕はぼんやり、こう思う。
――なんでもいいか。可愛いから。
Fin.
ペンギンの国 秋待諷月 @akimachi_f
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