後編
『ポッポ―』
「うわっ、びっくりした! なんの音!?」
「鳩時計が鳴ったんよ」
見ると、掛け時計の小さな扉から、鳩が『ポッポー』と鳴きながら、出たり入ったりしている。
「こんなの初めて見た!」
この家には見たことのない物がたくさんある。
「なんか、魔女の家みたいだ」
「ほっほっ。もし魔法が使えたら、
「だれ、それ?」
「外国の女優さんやけど、若い子は知らんかねぇ。ああ、ブロマイドがあったかもしれん」
ばあちゃんはそう言って、蓋の上に花の彫刻が施された木箱を開けた。中には、ポストカードや古い外国の本、ネックレスや薔薇の柄の手鏡なんかが入っている。
しばらく夢中になって見ていたら、ぐう、と腹が鳴った。
「そろそろ、お昼にしようかね。あんたも食べるやろ?」
「食べる!」
ちゃぶ台の上に、味噌汁と卵焼きとアジの干物が並べられた。
味噌汁は熱々、卵焼きは甘くて、アジはパリパリだ。
ばあちゃんと俺が食べていると、わらわらと猫たちが集まってきた。
「忘れとった。あんたたちにもあげんとね」
ばあちゃんが立ち上がると、猫たちは後をついてまわった。
俺はご飯を二回もおかわりして腹いっぱいになった。
食事のあと、五百円玉をちゃぶ台に置くと、ばあちゃんは怪訝な顔をした。
「ごはん代。これしかないけど……」
「いらんいらん。子どもからお金なんかもらえん」
「でも……」
「いいからしまっとき。子どもがそんな気い遣うもんやない。猫が一匹増えたようなもんやけ」
エサを食べ終わった猫たちがストーブのまわりに集まり、毛づくろいをしている。
「ばあちゃん、猫の名まえ教えて」
「クロと、トラと、ミケや」
ばあちゃんは、猫たちを指差しながら教えてくれた。
「見たまんまやん」
「わかりやすいやろ」
「もし俺が猫やったら、なんて名まえつける?」
ばあちゃんは俺をじっと見て、「タマ」と言った。
こうして俺は、ばあちゃんちの四ひきめの猫になった。
行くところがないときは、縁側でにゃあと鳴くと家の中に入れてくれる。
腹が減ったら先輩猫たちと一緒にご飯を食べ、眠くなったら一緒に昼寝をする。片づけや草むしりを手伝うと、働きもんの猫やねと、ばあちゃんは喜んだ。
***
あれから三年の月日が流れ、俺は小学五年生になった。
相変わらず、ばあちゃんちに来ては、猫たちと一緒に食事をしたり、昼寝をしたり、高いところにある電球を替えたりしている。
俺の背は、とっくにばあちゃんを追い越していた。
今の母さんの恋人は、佐々木さんっていうバツイチの会社員。今までの男たちと違って、真面目そうなエリートって感じ。東京にある本社から出向で来ていて、母さんとは飲み屋で知り合ったそうだ。
佐々木さんが初めて部屋に来たとき、いつものように俺が外に出ようとすると、
「こんな遅くに外に出たら危ないよ。ごめんね、急に来ちゃって。今度は何か美味しいものを買ってくるね」
俺と目線を合わせて、そう言ってくれた。
それ以来、佐々木さんがうちに来ても、母さんは俺を追い出そうとしなかった。狭い部屋で三人で食事をしたり、お喋りをしたりする。佐々木さんは優しくて穏やかで、俺のことも可愛がってくれた。
(こんなひとが父親だったらいいのに)
そんなことを思っていたら、なんと佐々木さんが母さんにプロポーズをした。
「もうすぐ本社に戻るから、ついてきて欲しいんだ。僕は、あなたたちと離れたくない。どうか、僕と結婚してください」
「……はい。よろしくお願いします」
母さんが泣いている。俺もあわてて、よろしくお願いしますと頭を下げた。
引っ越しの前日、ばあちゃんにお別れの挨拶にいった。
「また遊びに来るけ。しばらく会わんでも、俺のこと忘れんでよ」
「忘れるわけないやろ。タマは、うちの大事な猫なんやから」
「……うん」
「よしよし、泣くんやない」
ばあちゃんは、わしゃわしゃと俺の頭を撫でた。
「ばあちゃんが覚えておくけ、タマは忘れてもいいんよ。知らん土地で新しい生活に慣れるのは大変やろうし」
「絶対忘れんけ! ばあちゃんがおらんかったら、俺、おかしくなっとったかもしれん」
俺の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。いつのまにか、ばあちゃんも泣いていた。
最後に、俺は猫たちに言った。
「クロ、トラ、ミケ、ばあちゃんのことよろしく頼んだぞ」
猫たちは、まかせとけとばかりにニャアと鳴いた。
***
大人になってから、一度だけ、あの町に帰った。
通い慣れた道を歩いていくと、ばあちゃんちがあった場所には、二階建ての新しい家が建っていた。
表札を見たが、ばあちゃんの名まえは書かれていない。
子どもはいないと言っていたから、施設にでも入ったのか、あるいは……。
俺は、しばらくその場に立ちつくしていた。
鳩時計の鳴る音、ストーブの上で湯気を立てる薬缶、ばあちゃんのシワシワの手、先輩猫たちとの昼寝。
大丈夫。心の奥にしまった大切な記憶は、いつでも取り出すことができる。
「パパ、しんけんにやってよね」
「ああ、ごめんごめん」
「ごめんはいっかいでいいの」
「ママみたいなこと言うなよ」
パパは子どもの頃、ばあちゃんちの猫だったんだよと言ったら、娘はどんな顔をするだろう。
俺は、できるだけ大きな雪だるまを作るために、庭の雪をかき集めた。
ばあちゃんちの四匹めの猫 陽咲乃 @hiro10pi
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