第3話 終転の魔女と絶望の囚人1
白いレースの隙間から降り注ぐ光がまどろみを誘う。
広い寝椅子の上で流行りの小説を読みふけっていた魔女は、本をお腹の上に置いてゆっくりと目を閉じる。
ふわりと体が浮きそうな浅い眠り。丸くなりたいような、でも今の体勢のままでいたいような贅沢な葛藤。
あと少しで意識が闇に包まれるというところで、部屋の扉がそっと開く音がした。
びくりと銀の眉がわずかに動く。だが魔女は目を開けることなく、そのまま寝たふりを続けた。
扉を開けて入って来た人物は、カーペットが敷かれた床を足音もなく移動する。聞こえるのはかすかな衣擦れの音のみ。
ふと、瞼の向こうを明るく照らしていた光がかげった。
寝椅子の傍に立った人の影が魔女の顔を覆う。
そしてそっと伸ばされたその手が――むぎゅっと形の良い魔女の鼻を摘まんだ。
「んんん!?」
ぱちっと勢いよく目を開けると、頭上でにやりと笑う男の顔。
「相変わらず、狸寝入りが下手な子ネコさんだ」
「んにゃ、な、はにゃ、な、し、ふえ!」
きゅっきゅっとリズム良く鼻をつままれ、魔女は慌てて両手でその白手袋をした手を押さえる。
動いた拍子に、体の上から本が床へと滑り落ちてばさりと音を立てた。
「こんなところで寝ると風邪ひくぞ」
「残念ね。この優秀で呪われた体は風邪はおろか怪我もしないわ」
ふふんと鼻を鳴らそうとして、先ほど何度もつぶされた鼻からヒョッと異音が出る。
顔を赤くして鼻を押さえる魔女に、気崩したスーツを着た男はくくっと肩を揺らした。
「んもう! 過去一番、いじわる!」
「仕方ないね。今回の俺はこんなだから」
意地悪な笑みを浮かべて肩をすくめる青年に、魔女は鼻の頭をすりすりと撫でてからすっと目を逸らす。
もごもごと動く唇に、男は茶色の眉を片方だけ器用に上げた。
「なんだ。こんな性格も好みか」
「え!? べ、別に!?」
尖った唇が言葉を成さずにうろたえて震える。
それを男は藍の目を細めて見つめ、それからふわりと銀の髪を撫でる。
その指の行方を魔女が追っている間に、男は床に落ちた本を拾ってその表紙に書かれたタイトルを読み上げた。
「狂った道化と愛の花? 何、これ」
ぱらぱらと中をめくり始める男に、魔女は体を起こしながら得意げに本の解説を始める。
「最近の流行物よ。転生をするたびに愛を求めて彷徨う道化のような男と、彼を救う王女様の愛の物語」
「げえ」
べっと舌を出して嫌そうな顔をして、男は魔女の足をついついっと手でどかして空いた場所に乱暴に腰を下ろす。ついでに本をテーブルの上に投げ捨てた。
一つ一つの仕草すべてが、
「何?」
「んーん、今度はどうやって歳を取るのか楽しみだなって」
「俺、まだ二十代なんだけど」
「頑張って長生きしてね」
「善処する」
どこかで聞いたことのある答えに、魔女は抱え込んだ膝の上に顎を乗せてくすくすと笑う。
その時、侍従の背広の胸ポケットからカサリと音がして魔女は首を傾げる。
「何か入ってる?」
「あ、ああ。これを渡しに来たんだった」
彼はそう言って上着の合わせを広げ、中から少し皺の入った封筒を引っ張り出す。
こんなところも、前世とは全く異なる。以前の彼だったら銀の盆に乗せて持ってきて、この上なく恭しく差し出しただろう。
ベロンっと目の前にぶら下げられた封筒を見て、魔女は猫のようにその動きを追う。
「これ、封蝋も何もねえから、怪しいんだけど、でも一応全部見せる約束だから」
「そうね。これは大丈夫よ。それに多分来ると思ってたから」
「連絡を待ってたのか?」
「そういう訳じゃないわ」
依然としてプラプラと揺れる封筒をひったくり、魔女は封筒を光にかざして頷く。そして白く滑らかな右手をスッと侍従の方へと差し出した。
それを見て、彼はため息をついてペチリと差し出された手を叩いて落とす。それから今度は上着の逆のポケットからナイフを取り出して、封筒を奪ってその封を開けた。
「ありがと」
「ども」
魔女はもう一度受け取った手紙の中から薄い一枚の紙を出して広げた。
中に書かれているのは日付と時刻のみ。
それを侍従は横から覗き込んで、器用に茶色い眉を片方だけ上げてみせる。
「何、これ。迎えが来るのか?」
「私たちから行くのよ」
「は? こんな不躾な手紙に応えるのか?」
魔女の手から紙を取り上げてひらひらと振ってみせる侍従。
魔女はそれを追うこともせず、クッションを引っ張って胸元に抱きしめてため息をつく。
「これは、国からよ」
「くに」
「厳密には、刑務所」
「は?」
先ほどから理解できない事ばかりを言われ、侍従は眉を寄せる。感情がストレートに伝わるその表情に、魔女は軽やかな笑い声を上げた。
そういえば最後にこの依頼を受けたのは、彼が生を終えて束の間の微睡にいる頃だった。知らないのも当然だ。
「数日前に、新聞記事が出てたでしょ。殺人犯が捕まったって」
「ん? ああ、あれか」
確かそこそこの凶悪事件だったと侍従は視線を上に向けて記憶を辿る。そして寝椅子の背もたれに行儀悪く肘をついて、魔女に向かって続きを促した。
「大きな事件が起きて犯人が捕まるとたまにあるのよ、この依頼」
そこで魔女は口をつぐむ。
そしてクッションに額を当て、潜めた声で続きを告げた。
「死刑の前に、終転させるべきかどうかを判断するために」
国の中心部から離れた郊外に建てられた牢獄。
周囲に何もなく、ただ強固な壁とだだっ広い自然がその建物を取り囲む。
入り口に辿り着き、馬車に乗ったまま侍従が何の特徴もない封筒を門番に見せれば、それを受け取った門番は数日前の魔女のように陽に翳して頷く。
手信号でそのまま前に進めと告げられ、馬車はゆっくりと敷地内へと入っていく。
「あれは?」
「陽に透かすと見える暗号」
「嘘だろ」
「うん」
外出用の小ぶりな黒い帽子と、そこから垂れるベールの奥で魔女は悪びれもなく嘘を認める。そんな彼女へ侍従は白けた視線を飛ばす。
その間にも馬車は刑務所の中を移動し続け、そして管理棟の前に停車した。
「後で教えろよ」
「そのうちね」
ボソボソと呟き合い、先に降りた侍従にエスコートされて魔女は馬車から降りる。
建物から出てきた職員が無言で礼を取り、すぐに体を反転させて中へと戻り始める。その後に続いて、二人は言葉もなく暗く静かな廊下を進む。
案内された殺風景な部屋にはこの刑務所の役人である男と、制服を着た職員が立っていた。
簡素な椅子に全員無言で腰を下ろし、挨拶やもてなしの茶もないまま話が始まる。
「凶悪犯の前世の確認を」
役人の言葉に、ベールを付けた魔女の頭がわずかに動く。それを同意と受け取り、すぐに役人は立ち上がった。
詳しい説明もなく流れていく状況に侍従は眉を寄せる。だがそれを口にする隙も見つけられないまま、部屋を移動する集団の最後についた。
次に通されたのは、更に何もない部屋。いや、一つだけ、部屋の中央に背もたれすらない古ぼけた木の椅子がぽつんと置かれていた。
勝手知ったるかのように魔女は椅子の向かいに足を進め、役人がその隣に並ぶ。
職員が一度礼を取って部屋から退出したため、侍従は部屋の隅へと引き下がった。
そこになってやっと役人が口を開く。
「事件の詳細は?」
「新聞に出ていることだけ」
魔女の返しに役人は頷き、淡々とした声で事件の概要を話し始めた。
「二週間前、町の酒場で九人の遺体が発見された。生存者は一名、酒場の従業員のみ。聞き取り調査により、殺された九人は全員商人でそれ以上のつながりはないかと思われた。だが裏で強盗団と繋がっており、強盗した物品を売りさばく仕事をしていた」
彼の説明の途中で部屋の扉が開き、先ほど出て行った職員と、別の職員が一人の囚人を連れて入って来る。
荒い目地のシャツから見える囚人の首筋や腕は細く、正攻法で九人もの人を殺したようには見えない。両手には木製の枷が嵌められているが、それが無くともこの囚人などすぐに取り押さえられるだろう。
顔つきも精悍さの欠片もなく、ただの平凡な町人だ。侍従が抱いた印象は実際その通りで、椅子に座らされた囚人をチラリと見ただけで役人は言葉を続ける。
「犯人は最初に襲おうとした強盗団はその少し前に摘発が済んで手出しができず、標的を酒場に誘い出して飲み物に毒を混ぜて殺害。こいつの名前は――」
「名前はいいわ」
そこで魔女は初めて役人の言葉を止める。スッと顔の横に立てたしなやかな手が彼女の拒絶を物語る。
役人は一旦喋るのをやめ、それから本題を告げた。
「彼の転生の記録を」
「何代前まで?」
「見える限り」
その要望に、魔女は金の目を細くする。
横に立つ役人は感情の抜けた顔で椅子に座る犯人へと顔を向け、そして呟く。
「ただの町人にしては、殺人を犯したことへの拒否感が薄い」
その言葉に魔女は声に出さずになるほどと呟く。
役人が魔女を呼んだのは、刑罰の一つとして転生の輪を断ち切ることではなく、魔女の能力である過去の転生を見るためか。
納得し、魔女はベールを上げようと手を動かした。するとそこに侍従が進み出た。
「私が」
いつもの粗野な仕草ではなく、恭しく礼を取ってから彼はそっと黒い紗に手を伸ばす。まくり上げたベールを頭の後ろへとまわし、侍従は白手袋を付けた指を伸ばして魔女の頬にかかった一筋の銀の髪を耳へとかけた。
露になった金の瞳が、その仕草を追う。
離れていくいたずらな指先が、魔女の目の横を優しくくすぐった。思わず笑ってしまいそうになるのを、魔女は唇を引き結んで堪える。
「失礼致します」
もう一度礼をして去っていく侍従を横目で睨み、魔女は依頼対象へと向き直る。
そこには茶色の両目を大きく見開いた囚人がいた。
ベールを上げて現れた魔女の美貌に驚愕する者は多い。だがどこか囚人の表情には驚嘆とは異なる感情を見て魔女は眉根をわずかに動かした。
そしてその理由をすぐに悟る。
「あなた、前でも会ったわね」
魔女の一言に、囚人の体が跳ねる。
明らかな動揺に部屋にいた全員の視線が囚人へと集まった。
「どういうことだ?」
役人が低い声で尋ねる。
それには魔女は答えず、わずかに前かがみになって囚人の両目の奥深くを探るようにじっと見つめた。
「一代前、教会に併設された治療院を襲撃。死亡者五名。二代前、貴族の邸宅を放火。死亡者、二十二名。三代前、馬車を襲撃。死亡者二名。四代前、郊外の療養施設の院長並びに職員を殺害。死亡者七名。五代前、村長を殺害。六代前――自殺」
書類に書かれた情報を読み上げるように、囚人の前世を詠む魔女。
六代前までの記憶で止めた彼女に、役人は訝し気に眉を寄せる。
「その前は?」
「それより前に殺人の記録はないわ」
「六代前からか」
頷き、役人は魔女へさらなる問いかけをする。
「それぞれの事件の詳細は?」
「必要?」
「できれば」
役人の言葉に、魔女は視線を再度囚人の瞳に当てる。そして体を起こしてゆっくりと首を左右に振った。
「私より、本人に聞いて」
役人は理由を問うようにじっと魔女を見つめるが、意思を曲げるつもりのない金の瞳に彼の方が折れた。
彼は囚人へと向き直り、くいっと顎で話せと指示する。
それまでの話を聞いていた囚人はわずかに逡巡を見せた後に、指示に従った。
「前の時、治療院で人体実験が行われていて、通院していた娘も人体実験で死んだ。だから医者たちを殺した。その前は、村の女たちが貴族に攫われて、競売にかけられた。その競売に来ていた奴らごと火にかけた」
ふうっと息を吐き、囚人は続ける。
「そのさらに前の馬車のやつは、俺の嫁を攫った誘拐犯だ。その前は、療養施設の院長が患者に無理やり遺書を書かせて遺族から金を巻き上げていた。五代前の村長は……あいつに襲われた俺の恋人が自殺したから」
「六代前は?」
「人は殺してない」
「自分を殺した理由を」
役人の有無を言わせぬ声に、囚人は顔を俯けて答える。
「流行り病で家族が全員死んで、希望を失って、身を投げた」
「そこで因果が出来上がったか」
顎に手を当てて役人は納得するように頷く。
家族や近しい者が傷つけられるたびに、囚人は罪を犯した。
巡る転生の雛形に傷ができたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます