第11話 終転の魔女と真紅の二重螺旋2


 その女性客は突然現れた。

 細く綺麗に整えられた眉と、濃い化粧が施された顔。彼女のスタイルを際立たせるドレスと、十センチはありそうなヒール。

 それらのすべてが彼女を圧倒的に強い女性に見せながら、それでいて下品さはかけらもない。

 そして鮮やかな赤が塗られた厚い唇で彼女は言い放った。


「終転の魔女、父に力を使うのはおやめなさい」


 侍従の少年を押しのけて部屋に入ってきた彼女は、ソファの上でだらりと寝そべってクッキーにかぶりつこうとしていた魔女を見下ろす。

 その目に怒りよりも深い悲しみを見つけ、魔女は遅まきながら姿勢を正して向かいのソファを勧めた。


「どうぞ。美味しいお茶を飲んで話しましょう」

「ありがとう」


 大人しくソファに腰を下ろした女性。

 魔女は視線を少年に向け、お茶の用意を促した。


「それで、何の話?」


 魔女は先ほどの続きとばかりにクッキーに手を伸ばし、サクリとかじりつく。

 バターではなく何かのオイルが使われているらしい、軽めの口当たり。

 最近はいやに食生活が整いすぎてきている気がする。健康的過ぎと言えば良いのか。

 少年の密かなたくらみに気付きつつ、魔女は文句も言えずに諾々とそれを受け入れていた。


「父は、あの人は愚かな人なんです」


 女性はスカートの皺をスッと手で撫でて伸ばし、魔女を正面から見つめる。

 今日は元々来客の予定がなかったため、その素顔は惜しげもなくさらされている。

 だが訪れた女性はそんなことは全く興味などないと話を始めた。


「いつも先に現れるのはあの人なのよ。まるで私の人生を先回りするように何度も、何度も。突然私の前に現れて、心も体も奪って、そしてあたかも興味がないというフリをして去っていく」


 ふうっと大きく息を吐き、わずかに震える眉を寄せて彼女は心の内を吐露する。


「今度は、永遠に、私の元を去ろうとしている。私が生まれ変わったとしても、もうあの人に会えない人生ならば、私だって生きている意味などないのに」


 幾度となく生まれ変わっても出会ってしまうならば、そこで幸せになろうと足掻こうとするのは当然ではないのか。

 なぜ悲しみや苦しみを繰り返さなければいけないのか。

 新しい生ならば、愛おしい存在がいたことなど全て忘れてしまえばいい。

 繰り返し与えられる痛みは、まるで人が何度も同じ間違いをしてのたうち回るのを神が楽しんでいるのではないかとさえ感じさせる。


 ほろりと、朝露のように儚い涙が女性の頬を伝う。

 そのわずかな水滴はかすかな軌跡を描いて肌に吸い込まれるように消えた。


「あの人がもし来世を生きないのであれば、私もここで生を終えます。もし続けるというのなら――」


 そこでふと女性は言葉を止めた。遠くを見つめるように高い窓を見上げ、そこに手をかざす。

 艶やかで、艶のある笑みが彼女の口に浮かんだ。


「いえ、私はここで生を終えるべきかもしれないわ」


 魔女は、白く美しい肌を透かすように動かす女性の顎から首筋の彫刻のように滑らかな線を見つめる。


「今、幸せなの?」


 悲嘆に暮れて絶望を抱いていた父親とは対照的に、今の自分に誇りを持って気高くあろうとする娘の姿。

 魔女はこの父娘の行く末を探るように金の目を細める。

 その視線を浴び、娘は胸の奥から湧き出るような華やかな笑みを浮かべた。


「ふふっ、幸せよ。だって、私は今の私を愛しているもの」


 女性の指がタイトなドレスの上を滑る。その下にある皮膚を感じるように、彼女は恍惚とした吐息を漏らした。


「私の体の半分はあの人から受け継いだもの。私の体を巡る血はあの人が私を生み出した証。そうであれば私の愛の全てを注ぐべき相手ではありませんこと?」


 自分の母親の存在を全て置き去りにして、娘はただひたすらに父への愛を語る。

 偏愛、執着、盲目、依存――果てしなく自己中心的な思い。


 魔女は小さく息を吐く。

 この父娘は無自覚に人の心の弱い部分をえぐる。

 何年、何百年経っても振り払えない、捨てられない思いは魔女の心をがんじがらめに縛り、その醜悪な鎖は芸術にも等しく複雑な情景を描き出す。


「貴方たちはあれね、何ていうのかしら。ある意味、お似合いなんでしょうね」


 嫌味を過分に込めて魔女は言う。

 その奥の意味を分かっていながら、娘は満足気な笑みを浮かべた。

 そして一つだけと言って


「本当は、あの人を生む母になりたい。あの人の体の全てを形作るのが私でありたい」


 ギュッと自分を抱きしめるように腕を自分の体に引き寄せる。

 彼女の必死さと、頼りなさがないまぜになった心が魔女の金の瞳に映り込む。


「でも、そのためには他の男に体を預けなくてはいけないだなんて我慢できないし。それで産んだ子があの人でなかったら、私はきっとその子供をこの手にかけてしまうでしょうね」


 そう言って娘は芝居じみた仕草で肩をすくめる。

 彼女の心にはたった一人、今は彼女の父であるあの男しか入る隙間がないのだ。

 魔女はどこか投げやりなため息をつき、そしてその金の瞳で真っ直ぐに彼女を見つめた。


「あなたの願いを叶えましょう」


 欲しかった答えが手に入り、娘の顔に笑みが広がった。

 それは妖艶な女性ではなく、父親を慕うあどけない少女のような笑みだった。




 いつも通り、魔女は客の目の前にあるテーブルに座り、手のひらを上にして客の前に差し出す。

 女性は綺麗に彩られた爪先を揃えて、そっとその手の上に重ねた。


「魔女、あなたも爪を飾りなさいよ。きっと似合うわ」

「やめておく。最近庭いじりも始めたし」

「庭いじり? 魔女がそんなことするの? 植物が早く育つとか?」

「私にそんな力はないから。ただの趣味よーー侍従の」


 最後に付け足した言葉は生憎客には聞こえなかったらしい。

 小首をかしげる彼女に、何でもないと魔女は首を振る。


「さ、もう集中して」

「ええ」


 厚めの唇を引き結び、真剣な表情になる娘。

 軽口は緊張を誤魔化すためのものだったのだろうか。

 魔女は重ねた娘の手の内側を指でくすぐるように撫でる。


「大丈夫。あなたの望みは全て叶う」


 金の瞳が強い光を灯す。

 女性の視線がその輝きに引き寄せられる。


「巡りを止め、流れを止め、転ずるを止めよ。我、クロノスターシャ、終転の巫女也。何時、我の求めに応ずる者、今世を限りとして命の源へ還れ」


 太陽よりも強く焼き付けるような熱が、重なった指から娘の血を遡る。

 思わず引こうとする女性の手を掴み、魔女は最後の一節を謳いあげた。


「巡る生からの解放を得た者よ。限りある生の訪れに祝福を」


 体の中を走る金色の熱。

 二重螺旋のように絡み合い、互い違いに交差して駆け上っていく。

 そして螺旋の鎖がパキン、パキンっと破壊される音を女性は耳にした。


「あ、あああ……」


 何か、大切にしていたはずのものが壊れたのを悟る。

 自分を形づくり、支えていた根幹のようなものが。

 だが過ぎ去った中にもただ一つ残ったものがあった。


「ああ、やっぱり、私は……」


 魔女と繋いだままの手に自分の額を押し当てて、女性はこの日一番弱々しい声を出した。


「私は、結局、あの人以外、愛せない」


 それは諦観にも似た告解。

 女性は懺悔の如く魔女の手に縋って肩を震わせる。

 魔女はその姿を冷静な金の瞳で見下ろす。

 その肩をツンツンと軽く突っつかれ、魔女は肩越しに後ろを振り返る。

 するとそこにある少年の藍の眼が雄弁に何かを言えと促してきた。


「あー、ええっと、あ、あなたの父親、結局、転生をやめたかどうか、知りたい?」


 辿々しく魔女は話題を振る。

 その声に女性は顔を上げ、涙が煌めくまつ毛を震わせた。


「教えて、くれるの?」


 最初にこの部屋に踏み込んできた勢いはどこへいったのか。

 幼い少女のように女性は首をコテンと横に倒した。


「教えるつもりはなかったけど、まぁ、すぐに分かるでしょうし」


 つられるように魔女も首を傾げて女性に告げる。

 彼女はしばらく考えてふるふると首を左右に振った。そして魔女の手を離し、指先でまつ毛の涙を払うと花のように柔らかく顔を綻ばせた。


「すぐに分かるはあの人も同じよね? だったら私はあの人がどう反応するのかを見たい。だから聞くのは止しておくわ」

「そう、だったら私はこれ以上は何も言わない。私にできることはここまでね」


 魔女も肩をすくめてテーブルから腰を上げ、元のソファへと足を勧める。

 それを合図に、客である女性も立ちあがって扉へと歩き出した。

 その後を少年が走らないぎりぎりの歩幅で追いかける。だが扉を出る前に女性が振り返って言った。


「魔女、あなたは幸せ?」


 感情豊かな瞳がどこか魔女を案ずるように気づかわし気に揺れる。

 魔女は金の瞳を縁取る長いまつげをはたはたと動かしてから、誰が見ても完璧な笑みを浮かべた。


「私はずっと幸せよ」


 その言葉に、女性は微かな息を唇から漏らし、「そう」とだけ呟いて扉から出て行った。







 ここ連日、新聞の一面は同じ報道がされ続けている。


 武器商人として名を馳せていた起業家とその娘が旅先で消息を絶った。その職業柄、彼の敵とされる対象は多く、捜査は難航を極めている。二人の残された家族である女性の涙を誘う悲痛な訴えが写真と共に掲載されていた。


 記事を読み終えた魔女は素朴な甘さのクラッカーを口に入れ、眉を寄せる。


「硬い。甘くない。口の中がもそもそする。さすがにこれは許せない」

「……残念」


 少年は悪びれた様子もなく、今度は干しブドウが練りこまれたクッキーを皿に乗せた。

 それをすかさず一枚取って、魔女は指先でふりふりと揺らす。金の瞳が猫のように満足気に細められた。


「最初から出しなさい、最初から」

「どこのゴロツキですか」


 小さく笑って少年は魔女の隣に腰を下ろす。

 これから成長期に入るだろう少年のまだ細い体が魔女にそっと寄り添った。


「幸せだなぁ」

「くふっ、何? 突然」


 クッキーを口に入れようとしたところで届いた少年の言葉に、魔女は小さく咽る。

 体を起こして茶の入ったカップを手に取り、それを魔女に渡しながら少年は微笑みを浮かべる。


「幸せだなと。こんなに長く一緒にいられる人生はめったにないですから。シアもそう思いますよね?」

「そう、ね。うん、幸せよ」


 少年の笑顔の奥に圧を感じて、魔女はたじろぎながら彼に同意する。

 少年はうんうんと頷き、それからすっと真面目な顔になった。


「僕の考えでは、神の力は弱まっています」

「え?」


 脈略もなく告げられた内容に、魔女の手に持ったカップが揺れる。それを優しく受け取ってテーブルに戻し、少年は魔女の両手をそっと握った。


「僕がこれだけ早く記憶を取り戻したことがその証拠です」


 藍の瞳がまっすぐに魔女を見つめる。再会はいつももっと遅かった。二十代、三十代、もっと遅い時もあった。

 前世を思い出せない辛さを何十年も抱えた苦難がいつもその顔にはあった。ふっくりと柔らかな少年の顔にはないものを魔女は探してしまう。


「人は信仰を失いつつあります」


 少年が続ける。


「自然の力に、人の力に、神を見た時代は終わりました。研ぎ澄まされた肉体と剣の代わりに銃が広まりました。恵まれた健康と体がなくとも、人を指一本で殺せる時代が来ました」


 テーブルに広げられた新聞の報道が脳裏をよぎる。

 戦いの形が変わって久しい。剣は銃が使えなくなった時のみの代用品となった。


「嵐や雷に神はいないと人は悟りました。自然の中に幻を追いかけることは少なくなりました」


 研究者たちが日々こぞって自分たちの発見を公表している。

 中には到底信じられない学説もあったが、それでも超常的な存在よりも人々はそちらを信じるようになった。


「神への信仰がかつての栄光を誇ることはないでしょう。疲弊した魂が溢れる世界で、転生を捨てる者は増えるばかり。人が滅びへと進むのならば、神も巫女も聖女も……魔女も滅んでしまえばいい」


 三日月に弛められた藍の瞳。神を拒絶し、そして呪いを受けた生を何度繰り返そうと、彼の心は曲がらない。

 真っすぐにただひたすらに魔女の心へと突き刺さる。


「私も、いらない?」

「そう言う意味ではなく……」


 そっと壊れやすい砂糖菓子のように魔女の右手をとり、彼女の指先にふわりと軽い口づけを落とす。

 その少年の姿に、何人もの侍従の姿が重なっては消える。


「魔女ではなく、貴女が貴女でいられる日を待ち望んでいるんですよ。シア、私の、唯一」


 まだ十代の少年が纏う艶めく空気に、魔女は勢いよく自分の手を引っ込める。


「そ、そ、そ」

「そ?」

「そのセリフ、どこで!?」

「シアが前に読んでいた小説にありました。いつか使おうと思ってたので、やっと出せて満足です。やはり勉強は大事ですから」

「ちょ、え、いつ!? いつの間に、勝手に読んだの!」


 白い頬を真っ赤に染めた魔女に、少年はにんまりと機械人形の笑みのように歪に唇を左右に広げる。


「貴女の好む本は知っておきたいと思いまして。商人に手配するにも大事でしょう?」

「そ、あ、あれは、あっちが、商会が勝手に選んできてるから。わ、私の趣味じゃない本もあるし!」

「そうです? じゃあ、今度シアが好きなおすすめを教えてくださいね」

「そ、そうね! そうするわ!」


 突っぱねる事も出来ず、魔女はコクコクと激しく首を上下させる。

 顎下の長さで切りそろえられた髪の毛が何度も頬を叩いた。

 唇に触れたその髪をそっと指で払い、少年は今度は温かみのある笑みを浮かべる。


「楽しみですね」

「な、にが?」

「貴女の髪が伸びて、それからしわくちゃになって歳をとって……最後は一緒に眠りにつきましょう。誰にも邪魔されない場所で」


 剣を持たない細い指先が柔らかく動き、魔女の髪の毛を耳にかける。

 十代前半でこの先長い人生が待っているはずの彼の言葉に、魔女は金の瞳を潤ませる。


「それを考えるのは、まだ先で良いわ」

「そうですね」

「ゆっくり、歳をとってね」

「頑張ります」

「うん。お願い」


 寄り添い、互いの頭を寄せ合って手をつなぐ。

 この幸せな生が長く続くようにと願い、二人はそっと目を閉じた。



 

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