終転の魔女

BPUG

第1話 終転の魔女と薔薇色の客1



 繰り返し訪れる生に疲れ果てた者よ


 終転の魔女の元へ行け


 流れる時を止めた魔女が、巡る生を終わらせるだろう


 限りある生の訪れに祝福を






 普通の部屋の倍はありそうな高い天井。

 ガラスがはめ込まれた大きな窓には、花嫁のドレスのように繊細なレースが折り重なったカーテンがかかっている。

 レースのあわいから降り注ぐ柔らかな光がソファー一式しかない広すぎる部屋を明るく照らす。


 無作法にならない程度にこの部屋を見ていた客の一人は、執事の装いをした男性がティーカートを押して入ってきたことで体の力を抜く。

 しばらくカチャカチャと茶器が準備される心地よい音が部屋に響く。


 年季の入ったと言う表現がもったいないほどに古びた鉄瓶が傾き、金茶色の液体がこれまた使用感たっぷりの取っ手のないカップへと注がれた。

 その様をじっと見つめていた客の女性に向け、顔半分を黒いベールで覆ったこの部屋の主は赤い紅が引かれた唇をゆっくりと開いた。


「珍しい?」


 その問いかけに客はハッと顔を上げ、恥ずかしそうに髪の毛を手で撫でて整える。目元を恥じらいからか赤くして、彼女は黒いベールの向こうにある金の瞳に向けてほほ笑んだ。


「見たことが無い茶器でしたので。香りも香ばしいくて温かい感じがしますね」


 カートの上で茶の準備を整えた男性は、客と主の前にカップを置いてからそっと付き従うように主の後ろに立った。


 寝椅子のように長いソファーの中央に座る黒い服で身を包んだ女性、それがこの客を迎える椅子とテーブルしかない伽藍洞な部屋の主、終転の魔女だ。

 客から見えるのは顎下で切りそろえられた銀の髪と、赤い紅が引かれた口元、そして黒い紗の奥で強い光を放つ金色の瞳だけだ。


 彼女は白く細い指でカップを手に取るとくるくると水面を揺らす。無作法なはずなのに無性に似合ってしまうと感じるのは、彼女が魔女という存在だからだろうか。


「それで……あなたたちの望みは?」


 それぞれのカップから茶が半分ほど減った頃、魔女が口を開く。魔女のイメージからは遠い、涼やかな若い女性の澄んだ声だ。


 その言葉に、客である男性と女性はお互いの視線を合わせた。そっと男性が女性の手を握り、彼は覚悟を決めたように魔女へと顔を向けた。


 緊張からこわばったその顔は恐らく二十代後半になるかというところ。青年期を終え、自信や責任感を持った大人の風格が見え隠れしている。

 彼はこくりと唾を飲み込み、はっきりした声で告げた。


「私たちの転生を終わらせてください」






 転生――それは生きるモノすべてが享受する祝福。

 一つの生を終えた後、しばらくの休息を挟んで、また新たな生へと神の御許から送り出される。

 何度も繰り返されるその生の記憶を人は薄っすらと感じるだけだ。ほとんどの人にとってそれは、誰か知り合いと過ごした記憶程度に「ああ、そんな人もいた」と思い出すくらいのもの。

 ただ一つだけ確かなものは、因果という役者の存在。それは因果応報ではない。どちらかと言えば転生する存在、その魂につけられた業であろう。

 傷がついてしまった印が押印のたびに傷を浮き彫りにするように、魂の形がへこみ、歪み、引き伸ばされたまま転がり続けると、その人生はまるで前世を再生したかのように同じ因果が巡るようになる。

 傷が深ければ深いほど、転生の記憶に刻み付けられて今世に影響を与える。

 それに疲れ果てたモノたちは救済を求めて終転の魔女の元を訪れる。


 ――転生を終わらせたい、と。






 もう幾つも前、その生で男性は恵まれていた。

 裕福な家庭に生まれ、愛情を受けて育ち、知性に富み、そして何事も平均以上をこなせる健康な体を持っていた。

 だが一つだけ欠けていたものがあった。それは愛する女性。


「いつかあなたにも幸せな家庭を築く相手ができるわ」

「そうだ、その時には私たちにも必ず紹介するんだぞ」


 そんな温かな両親の言葉。

 そしてついに、彼が待ち望んでいた日が訪れた。


 男性の五感全てを虚無へと叩き落すほど、激しい愛に溺れる時が。

 食べる事も、誰かと会話する事も、仕事をする事もできず、安らかな睡眠ですら彼の体は拒絶した。

 やせ細って尚、落ちくぼんだ目をぎらぎらと光らせ、口元に恍惚の笑みを浮かべる彼の様子に家族は恐怖した。


 しかし日頃の愛情ゆえ、彼を見捨てることなどせず、彼から何とか彼が愛を向ける女性の名を聞き出した。

 そして知ってしまった家族は体を震わせた。


 あろうことか彼は人妻、それも高位貴族の妻を愛してしまったのだ。

 だが家族にとっての悪夢はそこでは終わらない。ひっそりと終焉を迎えるはずだった彼の思いを、相手の女性が受け入れてしまった。


「俺たちは愛し合っているんだ!」


 その喜びの叫びが全ての終わりの始まりとなった。二人にとっての愛の成就は、二人の家族にとっての悪夢の幕開け。

 何もかもが崩壊する時が迫っていた。





「あの生から、私の転生にはいつも同じ女性が現れるようになりました」


 そう言って彼は愛情あふれる笑顔で横を見つめる。

 隣の女性もほつれてもいない髪の毛を耳にかけ、幸せそうにほほ笑んだ。

 転生を繰り返しても巡り合う二人。運命的な奇跡。

 だが話がそこで終わっていれば、今日二人はここに来ていない。


「でも、いつもあと一歩が届かないんです」


 男性は女性の手の上に重ねた自分の手に力を籠める。ほっそりとした女性の手を握りつぶさないように、だが自分から離れてしまわないような必死さが見え隠れする。


「いつも、彼女は私の手の届かない場所にいました。もしくは状況が許さないか」


 悲痛に濡れた瞳を瞼の裏に隠し、男性は深いため息をつく。その彼の言葉を引き継ぎ、女性がゆっくりと言葉を発した。


「商売敵の富豪の娘、罪人の娘、彼の兄の婚約者、あるいは彼の婚約者の妹、敵国の王女、彼の家族を殺した男の姉――いつも、何度転生しても、私と彼の愛を成就させるには高く越えられない壁がありました」


 家族が認めてくれないだけではない。世間が二人の愛を許さなかった。

 二人手を取り合って逃げ出したこともあった。だがそれも上手くはいかなかった。


「何度も引き離されました。目の前でお互いが殺される瞬間を見たこともありました」


 その光景を思い出して女性の唇が細かく震える。

 男性が彼女の言葉を止めるように腕の中に抱き寄せた。彼女の目尻にわずかに浮かんだ雫をそっと親指で拭い、男性は懇願に満ちた瞳を魔女へと向けた。


「今回は、私たちは今までの中では一番幸せなのです」


 引きつった唇を左右に伸ばし、男性は歪な笑みを浮かべる。

 これが最後にしたいと願うほどに、彼らは幸せの最中にいる。


「彼女は高齢の男性の後妻をしていましたが、その相手が先日亡くなりました。その後両家で多少のもめごとはありましたが、彼女は遺産を全て放棄し、私も継承権を放棄して先日夫婦として認められました。金も地位も失いましたが、それでも私は彼女が手に入るのならば何も惜しくない」


 腕の中にいる彼女の手を取り、その指先に口づけを贈った。




 魔女は客の様子を黒い紗の奥から無感動に見つめる。

 金色の瞳には一切の感情の欠片もなく、ただ懺悔室の武骨な壁のように彼らの言葉を受け止めた。

 コホンと小さな咳払いに、魔女はサラリと銀の髪を揺らして後ろを振り返る。そしてそこにいる思秋期ししゅうきも終わりに近い自分の侍従に向けて、むっと口を尖らせた。

 そんな魔女の幼いしぐさに侍従は柔らかい眼差しを返し、綺麗に整えられた口ひげの下で口元を緩める。それだけで魔女は尖らせた口を照れ隠しにもごもごと動かした。

 祖父にたしなめられた幼い孫娘のように、魔女はくるりと客へと向き直って背中をソファーに預ける。


 目の前の恋人たちは今もなお自分たちの世界を創り出している。魔女でなくても、その世界からはじき出された者は意識を飛ばしたくもなるだろう。

 魔女は心の中でため息をつき、目の前に広がる世界への扉をノックした。


「それで、今世を最後にしたい、と?」


 努めて出した落ち着いた声は、二人の客に届いた。彼らはハッとしたように魔女へと顔を向け、しばし何の事だったかと言うように視線をさまよわせた後に慌てて頷く。


「はい。来世など必要ないほどに、私たちは幸福です。私の愛も命も全てこの一生で彼女に捧げたい」

「私も、もうこの人と離れて生きる苦しみを味わいたくはないのです。目の前にいる彼へ手を伸ばせない時間を過ごさなくてはいけないくらいなら、この幸せな生を全うして終わらせたいと思います」


 幸福に満ち溢れて輝く二対の瞳が魔女へと向けられた。

 客の望みの強さを悟り、魔女は金の目を細める。

 大抵、魔女の元にたどり着くまでに彼らの意思は何度も試される。魔女の存在、その能力、居場所――限られた情報をかき集め、藁にも縋る思いでこの場に到達した。

 それゆえ最終的な意思を尋ねるのは、ただの様式美。

 魔女の家にたどり着きました。はい、処置を終えました、さようなら。で済む話ではないのだ。

 たとえその過程で二十回以上の人生に関する愚痴を聞かされることになったり、恋人たちの燃え上がるような熱にさらされ続けたりしなくてはならなくとも。

 魔女はこれでも客に寄り添っているつもりなのである。

 ふうっと悟られないように魔女は息を吐き、そして彼らの望む答えを告げる。


「貴方たちの願いを叶えましょう」


 その言葉に、男女の顔に気色が満ち溢れる。繋がれた二人の手に力がこもった。

 それを合図に侍従が音もなく動き、テーブルからカップを回収していく。そしてなぜかテーブルを客の座るソファから離して、彼らとテーブルの間にスペースを作った。

 不思議そうにその作業を見つめる客たちの視線を受けて、侍従は慣れたように説明する。


「魔女様がお力を使われるのに、お二人に触れる必要があります。場所を移動していただくよりもこちらの方が早いので」


 そう言っている間に立ち上がった魔女の手を取り、テーブルの前にエスコートした。そして魔女はさも当然のように今作られたスペースに立ち、そしてストンっとテーブルの上に腰を下ろした。


「力を使った後、脱力感があったり、一瞬気を失う人もいるから。あなたたちはソファに座ったままでいて」


 魔女自身にそう言われてしまっては、客である彼らはそれ以上何も言えない。何人もの望みを叶えてきた魔女が出した最善の方法がそれであるならば、従うまでだ。

 テーブルに座る以外にも手はありそうだと思っても、魔女の有無を言わせない様子に文句など出せるわけもなかった。


「かさぶたをはがす感じと言う人もいるし、ねん挫した時のようと言う人もいる。感じ方はそれぞれだけど、痛みが大きいわけではないから安心して」


 感情の乗らない声で告げる魔女。言葉の最後に微笑みでも浮かべたら客は安心するのだろうが、あまりにも無機質すぎて客も緊張した面持ちのまま頷く。


「それで……」


 どちらから先が良いか尋ねようとして、魔女は言葉を途中で止める。そして女性をじっと見つめ、黒い紗の裏で金の目をせわしく瞬かせた。


「あなた、二つある」

「え?」


 突然の魔女の言葉に、女性は首をかしげる。

 魔女の視線がわずかに下がり、そして本人すら気づいていなかったことを告げた。


「貴方自身の転生の記憶の奥に、もう一つ見えるの。あなた、妊娠してるわよ」


 見開かれた女性の両目が、ベールの奥を凝視する。

 そこには狼狽もなく淡々とした魔女の瞳が彼女を見返していた。




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