第9話 空白の兵士と金の加護2
魔女の乗る馬車は報告にあった通り、まるで定刻通りに通過する定期便のように街道に現れた。
水しぶきを飛ばし、二頭立ての馬車がわずかなランタンの光を頼りに暗闇の中を進む。
暗く淀んだ道には、兵士と仲間があらかじめ設置した穴や木などの障害物がある。それらの幾つかに馬の脚が取られ、馬車の車輪が丸太に乗り上げて車体が傾いた。
「ヒィーーン!」
馬の苦し気ないななきが響き渡る。
傾いた馬車がグラグラと不安定に揺れ、そしてそのまま破壊音を立てながら道の端に横倒しになった。
雨がひっきりなしに降り注ぐ中、仲間たちと息をひそめて馬車を警戒する。
弱い奴であれば、今の衝撃で首ではなくとも腕や肩などをぶつけて大怪我を負っている。
だが魔女と呼ばれる存在がそんなに容易く命を落とすはずはない。
兵士は雨の中、片目をすがめて壊れた馬車の中から魔女が出てくるのを待った。
カラリカラリと馬車の車輪が空回りする。
ブルルブルルと言う声は傷ついた馬たちだろう。
いっそのこと、引き金を引いて彼らを安らかにさせたいがそれは今ではない。
緊張感の漂う時間は、まるで時間が引き伸ばされたかのように長い。
ふとその考えが浮かんだ刹那、兵士は目の奥に金の稲光を見た。
思わず目をつむり、痛みにも近いその閃光に耐える。
「来た」
低い呟きが聞こえた。
慌てて目を開けて、馬車の壊れた扉から外へと這い出てくる人物を見つめる。
「は……」
辺りは暗闇だ。
雨が降り、月もない、真夜中。
それなのにその魔女は星に愛されているかのように光り輝いて見えた。
少なくとも兵士の目には。
濡れて張り付いた銀の髪が、完璧なカーブを描く青白く滑らかな頬を縁取る。
そして、月よりも太陽よりも強い輝きを放つ金の瞳。
その瞳を見た瞬間、強い痛みが兵士を襲った。
目の奥、心臓の奥、頭の奥をかき乱す痛みが。
雷のような衝撃が兵士の血流を一瞬で沸騰させた。
引き金にかけたままの指先が震える。
仲間の視線がいつまでも魔女を撃たない兵士へと向けられる。
「まじょぉぉぉおおおお!!」
濁った叫びが、響き渡った。
ピクリと兵士の体が揺れる。
兵士の射線上にずんぐりとしたシルエットが躍り出た。
いや、躍り出ると言うには鈍足過ぎる転がるような動きで、指揮官は街道の真ん中に立った。
「ちっ、いつの間に」
友人の舌打ちが聞こえる。
だがあれだけの轟音を立てて馬車が倒れたのだ。眠っていた指揮官が起き出しても仕方がない。
兵士は片目を銃に寄せ、魔女の胸元へと照準を当てる。
突如、脳裏に叫びが響き渡った。
――シア!
「くっ!」
小さくうめき声が兵士の口から漏れる。
それをかき消すように、汚い声が響いた。
「ははは! 魔女! これで、終わりだ!」
指揮官のぶくぶくとした手の中には、その太い指であまりに小さな銃。
ふらりと揺れる白い魔女の体の正面に立ち、指揮官が勝利の声を上げた。
「死ねええ!」
――パアアン!
雨のカーテンを引き裂くように、銃弾が飛び出す。
ぐらりと揺れる魔女の細い体。
――ドサッ
鈍い音を立てて地面に崩れ落ちたのは、指揮官の体。
脂肪に覆われたその太い体が、まるで浜辺に打ち上げられた海洋生物のように力無く横たわる。
「シア!」
兵士は魔女の名を呼び、まだ銃口から煙を上げる銃を抱えたまま走り出す。
魔女は名を呼ぶ声に、血が流れ出る肩をピクリと揺らした。
金の瞳が、月の光を浴びて輝く。
人形のように精気のない頬に笑みが広がり、彼女をこの地で最も美しい存在へと引き上げた。
「レゾル!」
傷ついた肩に置いた手を外し、魔女が白い腕をいっぱいに広げる。
兵士は魔女の元にたどり着く直前、足を大きく振り上げて最後の足掻きを見せる指揮官の手を踏み砕いた。
「ぐがああああ!!」
悶絶の叫びを上げる指揮官の側から、彼が取ろうとしていた銃を蹴り飛ばす。
地面に横たわったまま指揮官は砕かれた右手と、行き場を失った左手を死に際の虫のように歪にガクガクと震わせた。
胸元から血を流し、今にも息絶えようとしているその姿を兵士は冷めた瞳で見下ろす。
「ぐっ、ぐっふ」
何か言葉を発そうとする指揮官。だが脂肪に覆われた首がわずかに震えるだけ。
分厚い瞼の奥から除く濁った眼も、間もなく生気を無くして何も映すことはなくなるだろう。
「レゾル、遅い」
「すみません。善処はしました」
「いつもそればっかり」
広げられた白い腕ごと胸元に閉じ込め、兵士は素直に謝る。
肩の傷はすでに塞がっているようだが、そこに残る血の跡に兵士は唇を寄せる。
「守れなくてすみません」
「いいのよ。避けれるかと思ったけど、あなたが見えたら動くのを忘れちゃって」
「それは……すみません」
自分の存在が気を逸らしてしまったのだと知り、兵士は再度謝った。
その時、雨の中を進む微かな足音がして兵士は顔を上げる。
その先にいたのは雨具を着込んだ細い男性。
見覚えは無いが、何となく既視感のあるその存在に兵士は目を細める。
そして蘇った記憶の中から該当する人物を導き出した。
「五代目か」
「正しくは二代目で五代目で十九代目で今は二十四代目です。やっとお二人を引き合わせることができて安心しております」
「引き合わせる?」
商人の言葉に、兵士は首をかしげる。そしてふと、周囲が異様に静まり返っていることに気付いて首を巡らせた。
そして目に入った光景に納得の声を上げる。
「ああ、そういう事か」
仲間たちとそして指揮官の付き人たちを、商人の部下と思われる傭兵たちが取り囲んでいた。
つまり、この作戦は最初っからこの商人が描いた演劇だったのだ。
「兵士でいらっしゃるあなたを連れてくるにはなかなか骨が折れました」
「この国もだいぶきな臭いから、出ていくついでにあなたも連れて行こうと思って」
兵士の胸元で魔女がはしゃいだ声を上げる。
兵士は仕方がないとため息をつき、雨に濡れた体がそれ以上冷えないように自分の肩から雨具を取り外して魔女にかける。
「仲間はどうなる?」
「連れて行ってもいいですし、残るならば危害は加えないとお約束しましょう」
商人は真意の見えない微笑みを浮かべる。
兵士は四人の仲間とそれぞれ視線を交わす。
最初に口を開いたのは友人だった。
「俺は行くぜ。上官が死んじまったのに、ペーペーの俺が生きてたら逆に殺されちまう」
ふんっと鼻で笑う友人に、兵士は謝罪の意を込めて視線を下げる。
そんな友人の声に続き、仲間の一人がこの状況を楽しむようににやりと笑って言う。
「あのさぁ、俺たち、全員親無しか家族の跡取りに代わって無理やり押し込まれた奴らばっかって気づいてた?」
「まあ、な」
それがこの隊が掃きだめと呼ばれる理由でもあった。兵士自身も優秀過ぎることを疎んだ兄によって軍に送られたクチだ。
ちらりと兵士が疑いの視線を商人へと向ければ、商人は笑顔のままでとぼけて見せる。
「国や家族との余計な柵は無い方が良いと思いまして」
ぬけぬけとした言い草に、兵士は低く喉を鳴らす。
どう考えても裏から手を回していたとしか思えない。
国の中が腐り始めている今、多少の金を渡せば軍の中はいじり放題だ。
だが今はこれ以上追及している時間はないだろう。
「俺たちは全員行く。あとは、付き人の方か」
友人がチラリとそちらを見ると、指揮官付きの三人ががくがくと体を震わせる。
兵士としても仲間以外は最初からどうでもいいので丸投げする意思も込めて兵士は商人へと視線を向けた。
「そちらは私の部下が丁寧に送り届けましょう」
「頼んだ」
特に頼む義理もないが、一応の礼儀として兵士は商人に礼を告げる。
「ね、私の馬車が壊れたんだけど、そっちには馬車はある?」
「ああ、豪華で趣味の悪いやつが一つ」
「それじゃ、そっちはレゾルのお仲間にあげるわ」
「え、俺たちがあれに乗るの?」
不満をあらわにした友人に、兵士はにやりと片頬を上げてとっておきの呪文を唱える。
「座席の下にいい酒が隠してある」
「おっし! 行こうぜ!」
「やったぜ!」
意気揚々と残された馬車へと歩き出す仲間を見送る。
いつの間にか付き人たちは傭兵に押されるようにして別の場所へと連れていかれたようだ。
そして兵士と魔女は商人に促されて別の綺麗な馬車に乗り込む。
最初から作戦で馬車が襲われることを見越していたのだろう。
明らかに先ほどの会話は魔女と兵士をこの馬車に乗せるためのフリだ。
「お着換えは中にありますから」
そう言って商人が去り、ゆっくりと馬車が進みだす。
兵士は馬車の中に置かれたトランクの中から、タオルや乾いた服を取り出す。
フワリとタオルを魔女の頭に乗せれば、彼女はくすぐったそうな笑い声を上げた。
「ほら、乾かさないと」
「うん」
そっと撫でるように銀の髪からタオルで水気を吸い取る。
ぽつりと兵士の髪から流れ落ちた水滴が魔女の頬を濡らした。
「レゾルも、拭かないと」
「はい」
お互いの髪を乾かしながら、時折金と藍の瞳を合わせてほほ笑む。
どこか瞳が濡れているのは雨のせいだ。そうに違いない。
「どこの国に向かってるんです?」
「とりあえず、二つ隣の国に。百年くらい前から少しずつ商会の基盤を移動させてもらってたから」
「あいつか」
「あの子の前の会長よ」
「今はあいつでしょう」
自分がいない間に商人がでかい顔をしていたのかと、兵士が不機嫌な顔をする。
するとその顔を見た魔女が嬉しそうにほほ笑む。
兵士は片眉を上げ、魔女の白い肌を覆う黒いレースの袖口にスッと指を滑らせる。
「こんなびしょ濡れじゃ風邪をひきますよ」
「え?」
魔女が笑みを凍らせて、兵士を見上げる。
銀の髪が張り付いた白い首筋がわずかな光源でも分かるほどに赤く染まる。
「い、いい! 風邪、ひかないから!」
「そうです? だったら、俺が着替えても?」
「え!? ええ、ちょっと、ここではだめ!」
上着を脱ごうとする兵士の肩を押し、魔女はそれ以上の動くなと睨みつける。だがそこにある藍の瞳が楽し気に揺れるのを見て、口を尖らせた。
「今回の貴方、意地悪だわ!」
「私も自分がこんな性格だと初めて知りましたよ」
「嘘よ! 前のレゾルでもいたもの!」
「だったらレゾルは元々こういう性格なんでしょうね。お嫌いですか?」
「お、き、き……らいじゃないけど!」
べちょべちょと濡れた音を立てながら兵士の胸元を白い両手で叩く魔女。
口ごもって顔を赤くする魔女を腕に抱きこみ、兵士は声を立てて笑った。
魔女と兵士の乗る馬車の後ろを追うように、豪華に飾り立てた馬車が進む。
その中ではめったに味わえない高価な酒を開けて祝杯を挙げる彼の仲間がいた。
「我らが隊長殿の、前世に乾杯!」
「かんぱーい!」
「美人な魔女に、乾杯!」
「かんぱーい!」
「脱走兵、乾杯!」
「か、かんぱーい!」
その日、戦火が広がる国の片隅で一つの隊が消息を絶った。
極秘任務を遂行中であったため、どこに向かっていたのか、何人が任務に携わっていたのかすら不明。
残された補給隊員ですら詳細を知る者はおらず、調査は数日で打ち切られのだった。
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