最終話
ガサリ、と草が擦れる音がした。
ボルテが反射的に、へカティアの前に出る。
へカティアは、草むらの中をじっと見つめた。
草をかき分けて現れたのは、子犬だった。
『時のダンジョン』に住み着いていた子犬の一匹なのだろうか。だが、他の犬の気配は無い。
くうんとかわいらしく鳴いたその子犬は、小さな脚で二人のもとに寄っていき、へカティアの足に擦り寄る。
予想外の生き物の登場に、へカティアはかたまってしまった。
「……どうする?」
「え!? いや私、もう犬は……」
へカティアは、攻撃してこない子犬を殺した。 自分のために、三つ首の番犬も殺した。
そんな自分に、犬と触れ合う資格はない。むしろ自分は、この子犬の仲間を殺したのだから、憎まれたり、怖がられるべきではないか。
だが、子犬はへカティアの困惑に気づかず、人懐っこく擦り寄ってくる。
「な、なんでそんな初対面で人懐っこいのよ、君は~……!」
――ボルテが含みのある目で見ていることを、子犬に注意を向けるへカティアは気づかなかった。
無垢な生き物の全力の好意に、へカティアは負けてしまった。そっと小さな体を抱き抱える。
嬉しそうに、その子犬はへカティアの頬を舐めた。はあはあと、息をしている。
どうしようもなく、愛おしい気持ちがあふれてきた。
小さな心臓の音を聞きながら、へカティアはその体温を実感する。
あたたかいものが、こみ上がってくる。
理由なんてない。ただ、生きているだけで、ここに存在するだけで、愛おしくてたまらない。
かつてスペスと出会った時のことを、へカティアは思い出していた。
そっと手の甲を口元に持っていくと、子犬はペロペロと舐める。
それを見て、へカティアの口元は綻んだ。
「噛まなくて、お利口さんだね」
スペスは、ランパスは死んだ。
この子はランパスではない。
ランパスの、全ての命に代わりは無い。時を遡ることは出来ないし、死んだら元には戻らない。そうでなければならない。けれど。
「……なくなったものは、形を変えて戻ってくるんだったね」
何かを愛おしいと思う気持ちも、
誰かの役に立ちたいと思う気持ちも、
さみしいから一緒にいたいと思う気持ちも、
誰かとこの時間を共有したいと思う気持ちも、
きっと今、へカティアの手の中にある。
かつてのへカティアは、たくさんのことを望んでいた。
その望みを踏みにじられて、へカティアの心は確かに一度死んだ。
けれど今、へカティアの心には望みがある。その対象も願い事も形は違えど、確かにへカティアのもとへ返ってきた。
「行きましょうか」
へカティアは、子犬を抱えて歩く。
ボルテは、その後ろを歩いた。
【完】
不死身の聖女、ダンジョンに行く。~高飛車妖精と寡黙な用心棒を連れて~ 肥前ロンズ @misora2222
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