第22話
へカティアが目を開くと、『時のダンジョン』はなく、目の前には廃墟のような遺跡があった。
あの美しい星空はなくなり、代わりにぼやけるような星空が頭上に広がる。
どこかでフクロウの声がした。
木におおわれていないここは、代わりにツタが廃墟を覆うように這っている。
まるで夢を見てたみたいだ。へカティアがそう思った時、暗闇に浮かぶ、あたたかな色をした光を見つけた。
そこには、松明を持った男が立っていた。
「……あなたは、こちらを選んだんだな」
ボルテの表情は変わらなかったが、その声は柔らかった。
「はい」
へカティアは、力強く返事をした。
ボルテに向かって、右手を差し出す。
「ボルテさん。今度は私が、あなたを雇いたい」
ボルテの細い目が見開かれた。
「これからどうしたいのかわからないけど、私はランパスのことを忘れたくないし、自分がしてきたことを忘れたくない。
だからお願いです。私と一緒に来てくれませんか」
そこで一度視線を外した。
「……お給金は、まだ何も考えていないんですけど……」
付け足されたか細いへカティアの言葉に、いや、とボルテは返した。
ボルテの口が乾いて、何も言えなくなる。
――また、彼女を見てるのかい?
気弱そうで、しかし人懐っこい兵士の声が、ボルテの脳裏に蘇った。
彼はへカティアとよく話す兵士で、だからボルテの存在に気づいたのだろう。
ボルテには、仕事以外で誰かと話す機会がほとんどなかった。ただの会話というものを、彼はほとんどしたことがない。
だからあれ以来大怪我をしなかったボルテは、へカティアを目で追うことしか出来ず、「ありがとう」と一言いうことすら出来なかった。
――そんなに気になるなら、話しかけたらいいのに。
話しかけるような用事はない、と言うと、「別に用はなくても話しかけていいんだよ」と兵士は答えた。
――というか、話しかけないで見られてる方が怖いよ。話しかけよ?
真顔でそう言われた。頭をかち割るほど衝撃だった。
そう言っても、何を話せばいいのかわからない。ただ口の中が乾くだけだと言うと、兵士はそっと笑って言った。
――じゃあ、僕で練習しないかい?
そうして、ボルテに会話相手ができた。
兵士は話上手でもあったが、聞き上手でもあった。だから不思議と、ボルテも言葉が出てくるようになった。
自身につけられた名前の由来を話してくれたのも、その兵士だった。
――いつか、戦場じゃない場所で、こうやって話せる日が来るといいね。
ここは心の思うままに振る舞えないと、彼は言った。
――この世界に、そんな場所は無いのかもしれないけど。ここを生き延びて、いつか君と、彼女と一緒に……。
そして戦争が終わった世界で、その兵士は自ら命を絶った。
その兵士の母親曰く、「帰ってからは人が変わったようだった」らしい。
ボルテには理解できなかった。枕元に銃を置くことも、物音に過敏に反応するのも、戦場を生き抜いた人間としては当然だ。
……彼は最後まで彼だったと、ボルテは思う。
だがボルテは、そんなことはどうでも良かった。
変わろうが変わるまいが、この世界のどこかで生きていて欲しかった。
たとえ二度と会えなかったとしても、生きていればそんなことも起きるかもしれない、と願いたかった。
だから今度こそ、生き残った彼女にはそう言いたいと思っていた。
『アンタ、あの子に助けてもらって、後悔したことある?』
ランパスの問いに、ボルテはいや、と答えた。
そう、とランパスは素っ気なく返した。
『……あの子と初めてあった時、アタシ、あの子を噛み殺さないといけなかったの』
でも出来なかった、とランパスは言った。
『「噛まなくてお利口さんね」って言って、無遠慮に触るあの子が、あんまりにも無防備で、無垢で……。殺す気が失せてしまった』
そうか、とボルテは知った。あれは、『無垢』と言うのかと。
『でも、ああやって振舞っていたのは、両親が帰ってくるのを期待していたからでしょうね。良い子にしてたら、両親が帰ってくると信じてたのよ。
その役を、叶えられないと分かった今も終えられない。脱獄させても、あの子の心は戦場に繋がれたまま。
役を演じた結果、あの子はたくさんの人を間接的に殺してきた。あの子自身がそう思っている』
ランパスの目元に影が落ちる。
『「無垢」じゃない自分のもとに、両親は帰ってこないとどこかで思っていて、だけど「無垢」でいたから、自分はたくさんの人を苦しめたとも思ってる。
揺らぐあの子の心を漬け込んで、またあの子の髪の房から魂の欠片まで利用しようとするやつらが出てくる』
アンタはどう思う? と、ランパスは聞いた。
『アタシ、無垢なままで、あの子の時間を止めるべきだったのかしら』
……あの問いにも、返せなかったとボルテは思い出す。
ランパスの言っていることは分かる。ボルテはそこで、生まれた時から生きてきた。応えれば応えるほど、相手の要求は留まらず、拒絶すれば手のひらを返すように踏みにじってくる。一度囚われたら、逃げる方法が見つからない。
それなら、望みを一切捨てて、この世に未練なく去ってしまったらいい。死んだら元には戻らない。それが当然だ。それがボルテがやってきた、「命を奪う」ということだ。
終わることを選んだら、元には戻らない。
だから、答えは変わらない。
どんなことになろうと、ボルテはただ一言、「生きていて欲しい」と、言いたいだけだった。
話したいことは山のようにある。
けれどやはり、自分は口下手のようで、どれから話せばいいのかわからない。
だからボルテは、これだけ伝えることにした。
「俺は、話すのが下手だ。
……だが、あなたと話がしたい」
話したくない訳ではないのだと、へカティアに知ってもらいたかった。
……きっと昔から、本当は自分のことを知って欲しかった。
ボルテの言葉に、へカティアは微笑む。
「うん。私も、あなたと話がしたい」
だからこっちを選んだの。
そうへカティアが返した時だった。
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