第37話 狼と虎と温もりと……
「サラ……ちゃん」
「いいわ〜。やっぱり色男に呼ばれるとキュンキュンしちゃう! すごくいいわ〜」
レイに正面から見つめられた蜥蜴は、体をくねらせながら満足そうに頬を赤らめた。
「てゆうか、灯台下暗しって感じ。教えるまでもないっていうか……」
サラのなぞなぞのような答えに理解ができず、イリスとレイは顔を見合わせた。
「アナタ、神狼の石持ってるわよね? 彼に話しかけてもらえば一発よ。喜んで飛び出てくると思うけど」
「シヴァ様は、こちらの呼びかけには反応を示さない。お願いするのも難しい……と思う」
「え〜神狼ってケチんぼねぇ。器小っちゃいんじゃない? アタシ、小っちゃい男には興味ないのよね〜」
この場に神狼はいないが、サラ以外は内心冷や冷やしながら聞いていた。神霊石を通して聞こえていてもおかしくはない。
「サ、サラちゃんが呼んでも出て来てくれないだろうか?」
レイが引き攣った表情で話を遮る。
「んー、アタシ程度じゃ出て来てくれないと思うわよ。彼は今、とある人物の命を繋ぎ止めるために深い眠りについているから……」
サラの声が真面目な声音に変わり、誰もがその『とある人物』が誰なのかを察した。
「でも、そろそろ命の危険もなさそうだし、起こしても大丈夫だと思うわよ。ただ、アタシの声じゃパンチが弱いのよね〜」
サラが軽い力で跳躍すると、レイの肩へ飛び移った。
「だ・か・らっ! 神狼さーん、聞こえてますかー!? 小っちゃい男じゃないなら、出て来て呼んでもらえますぅ? クールな男はモテるけど、ただ冷たいだけの冷血漢はモテないわよー」
ここまで怯まずに煽れることも一種の才能かもしれない。
サラちゃんを敵に回してはいけない。めんどくさいタイプだ……。
同じ女? のイリスですら、面倒くさいと思うのだから、男性はもっと精神的負担を感じることだろう。
——すると、誰かの苛立ちを表すかのように、その場の空気が一変した。
比喩ではなく、事実として凍てつくような冷気が部屋の中に流れた。
レイの首から提がる神霊石が微光を放ち、乳白色に沈む月模様からは誰かを導くような白銀の光が煌めいた。
彼の人物が顕現する前触れである気温低下、常夏のカトレア帝国に似つかわしくない星彩に似た光の細雪が彼の登場に色を添える。
今までどんなに呼びかけても反応がなかったのに……。
思いがけない出来事にレイは言葉を失う。
厳かで気品溢れる神の狼。
白銀に輝く体躯に神々しくも鋭い金色の瞳。一歩、一歩と踏み締めるたびにパキンッと音を立て、雪の六花が浮かんでは散る。
「其方のせいで、我の眠りが妨げられたではないか。精霊の言霊は石越しでも響く」
冷たい視線を浴びてなお、サラは飄々としていた。
「だって〜、解決策があるのに、だらだらやるなんて時間の無駄じゃない? 勿体ぶらずにアナタが出て来て、ちゃちゃっと呼べばいいのよ」
互いに一歩も引くことはなく、睨み合うような形で意見をぶつける神狼と火の精霊。人間にとっては大変居心地の悪い空間が出来上がっていた。
この二人……いや、二匹、相性悪いな。
イリスは二匹を交互に見ながら、心の中でため息を吐いた。
無言の威圧も意味を成さないと悟り、シヴァは静かに目を瞑る。
同時に彼の毛並みが逆立つように浮き上がると、白銀の粒がゆらゆらと形を作る。ぼやけた狼の姿から淡い光が弾けた次の瞬間、見上げる高さへと変身した。
「シヴァさん……人型にもなれたんですね?」
「造作もないことだ」
「でも以前、人間は美しくないから狼の姿が好き……みたなこと、言ってませんでしたっけ?」
「言ったな。我は人の姿は好かぬ……だが、彼奴はおそらく人の姿で現れるだろう」
その事と、シヴァが人型をとることになんの意味があるのかイリスには理解ができず、曖昧に返事を返した。
シヴァは、その場にいる人物を探るような目つきで見回すと、狙いを定めてルカに近づいて行く。
思わず後退りそうになるルカを、サラが尻尾で鼓舞していた。
「其方のせいで、我が起こされたのだ。さっさと目覚めろ神虎——ハヌシュ!」
神気を帯びた鋭い魔力に、ルカは思わず身を守るために腕を顔の前に上げる。
ルカの心臓がどくんっと大きく跳ねる。
感じたことのない熱い血が巡るような感覚に、衝動的に強く胸元を押さえた。
「ルカ君!? 大丈夫?」
イリスが駆け寄ろうとするが、ルカが片手で制すような動きを見せる。
ルカの手には、いつの間にか石が握られていた。
馬車の中でイリスが視た、地層のような猫目石——それが虎目石だった。
神虎が眠る石。
突如として現れた燃えるように広がる炎が爆風に煽られる。天井まで伸びた火柱が火花を散らすように輝き、発光する赤い花びら状の光が舞うように派手に落下する。
褐色の肌に軍服姿が雄々しい。
甘い琥珀色の瞳に、強く柔らかな赤橙色の髪色が太陽を連想させ、見る人の目を惹きつける。
大きな口を開けると、にかっと屈託のない笑みを見せた。
「よう! シヴァ、久しぶりだな!」
「煩い」
「あっはっは! お前が呼んだじゃないか」
「用は済んだ。我は帰る」
「おいおい、釣れないなぁ。せっかく会ったんだから積もる話もあるだろう……話そう!」
ハヌシュは、間髪入れずにシヴァの腕を掴んだ。
煩わしそうな顔のシヴァと、鈍感力に全振りしたわうな能天気なハヌシュの対比が凄まじかった。
「あの人が神虎、ハヌシュ……様」
ルカが確認するように、呆然と呟く。
ついさっきまで、自分の中にいたことが信じられない様子でハヌシュを見つめる。
それに気づいたハヌシュが、ルカを認めた。
「だいぶ元気になったようだな」
太陽のように豪快に笑うハヌシュの笑顔に、ルカはなぜか泣きそうになった。
まだ何も解決していない、そう言い聞かせてぐっと堪える。
ハヌシュが一歩前に進み、ルカの頭を大きな手で撫でる。
そのたった一つの動きに、ルカの涙腺は呆気なく崩壊した。
ルカの意思とは関係なく、ぽろぽろと丸い粒が溢れ出した。
「あり……がっ、とう……ござい……うぅ」
「うん、うん。わかってるから……頑張ったな。ここからは俺も力を貸そう」
生死の境を彷徨っていたあの時。手を握って助けてくれたのは、間違いなくこの人だ。
ルカはその手の温度を忘れていなかった。人にしては高すぎる優しい手の温度を——。
虹色奇譚 〜魔力はなくとも石がある〜 mio @jcatm333
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