エピローグ

 自分の左腕を確認した。先ほど確認してから、まだ三十秒しか経っていなかった。しかし、その数十秒をとても大事に思っている人がいることを、僕はこの上なくよくわかっている。それを理解しながら、この三十秒を過ごしたつもりだ。


 ふと、窓の外を見た。先ほどまで騒がしい様に感じていた街は、静けさを取り戻している。クリスマスが終わる直前まで来ているからだ。


 そして、クリスマスが終わるということは、僕が仕事に失敗するということだ。一人の命を救う。それが出来なかったということ。


 また、時計を見た。十一時五十九分。


 思わず強張る顔を、なんとか落ち着けた。僕にこんな顔をする資格はないとわかっているからだ。


 あと数十秒で失われる命を、そしてそれを看取って大事なものを失った少年を。


 僕は迎えなければならない。大人として。


 続きを生きられなかった少女と、僕の至らなさで傷つけてしまったであろう少年を想えば、僕がそんな顔をできるはずもなかった。


 チクタク、チクタク。


ーーークリスマスが終わった。


 大きく、息を吐いた。


 自分のスマホが振動した。着信だった。画面に表示された、自分の上司の名前を見て、電源を落とした。何を言われるかは分かっていた。


 立ち上がる。担当医として最後の仕事をするために。


 音一つない廊下を歩く。辿り着いた部屋の前で、サンタの折り紙が剥がれ落ちているのを見つけて、拾い上げてなんとなく白衣のポケットに入れた。


 分かっている。扉を開けるまでの時間稼ぎだということぐらい。


 意を決して、扉を開いた。


 そこには、誰もいなかった。少しの焦りと驚きを胸に、部屋を見渡すと、サイドテーブルに便箋が二枚置いてあることに気がついた。


 白色の簡素な便箋には、①と②と書かれている。


 恐らくは、①から開けろということなのだろう。意に沿う形で、①の便箋を開く。


「藤井先生へ


 この手紙を読んでいるということは、もう私はこの世にはいないのでしょう。なんてね、一度言ってみたかったんです。


 お世話になりました。藤井先生が主治医でよかった。いっぱい迷惑をかけてしまったけれど、おかげで私は残りの時間を楽しく、幸せに過ごすことができました。


 気に病まないでください。それが最後の…最後のは嘘だった。お願いです。


 さて、最後のお願いではないと言いましたが、きっと先生がこの手紙を見つけているときは、日付を越して私の状態を確認しに来たときなんだと思います。


 わたしたちがいないので驚いているでしょうが、安心してください。私たちは屋上にいます。


 なので、もう一つの便箋は、屋上に来て開けてくれませんか。よろしくお願いします。


 …そして、ごめんなさい。」


 その手紙を読んだ時、救われた様な感覚と、奇妙な違和感が胸に去来した。早く、屋上に行かなくてはと思った。


 ②の便箋をサンタと同じポッケに仕舞うと、踵を返す。


 屋上へ向かう階段は、驚くほど空気が冷たかった。それでも、少し早歩きで駆け登っていく。


 屋上へ出る扉の前で、もう一度息を吸い込んで吐いた。少年へ、どんな言葉をかけるべきかと、そう考えながら。


ーーードアノブを捻って、扉を開けた。


 その瞬間、僕は絶句した。


 それは、飛び込んできた光景が想像と違ったからだし、手紙の最後の①行の意味を理解したからでもあった。


 そこには、二人寄り添う様に並んで倒れ伏した体があった。


 体の奥から湧き上がる激情を一旦抑えて、そこへと走った。医者として、走った。


 だけど、もう遅かった。冬のせいなんかではなく、二人の体は冷たかった。


 僕は、力の抜けた体を鉄柵にもたれさせると、空を見上げた。少し、雪が降っていた。


 どれだけそうしていただろう。僕は、街の方から聞こえてきたジングルベルの音で、ポッケのサンタと便箋のことを思い出した。


 ②の便箋を、悴んだ指でどうにか開けると、僕はまだ体温が残っている気がする文字を目で追い始めた。


「ごめんなさい


 きっと、この手紙を開けている時、先生はすごく怒っていると思います。許してください、とは言いません。だから、ごめんなさい。


 先生には、というか誰にも言っていませんでしたが、こうすることは最初から決めていました。私と奏は、最初からこの冷たいもので結ばれていたから。


 私も奏も、きっと許されないことをしたのは分かっています。でも、私たちにとってはそれがとても幸せな…ハッピーエンドだったのです。


 分かってはもらえないかもしれません。それでも、よければ私たちの顔を見てほしいのです。それで、少しだけ理解してもらえないでしょうか。」


 僕は、ここまで手紙を読むと、二人のすっかり冷たくなった体へと近づくと、顔に積もった雪を少し払って二人の顔を見た。


 そこには、僕がこの屋上に来るまで想像していたのと真逆の顔をしている少年。そして、それと同じ顔をした少女がいた。


 顔を伝う何かを必死に押しとどめながら、僕は手紙の続きを読んだ。


「これが、最後のお願いです。わがままな患者ですいません。


 よければ、夜が明けるまで、わたしたちをこのままにしておいてくれませんか。一度も叶わなかったけれど、奏とおひさまの中で一緒にいたいんです。

 どうか、よろしくお願いします。


                              佐藤湖凪  」


 僕は、ポッケからサンタを取り出すと、白衣を脱いで屋上から外に放り投げると、室内に入って屋上へとつながる扉の鍵を閉めた。


 陽が差し込むまで、その扉はきっと開けられることはないだろう。


 僕は、湖凪くんの部屋に戻ると手にしたサンタをサイドテーブルに置いた。


「メリークリスマス」


 光が差すまで、きっと彼らの寄り添って繋がれた手は、離れることがないだろう。


 なんとなく、そう思った。


 


 


 

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クリスマスアドベント〜奇病少女と死にたがり少年〜 深崎藍一 @45104714510471

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