episode8『居心地の良いお店でコーヒーを-awakening-』

 百貨店の食堂でミルクティーを飲んでいると、窓の外に国旗が風でひるがえるのが見えた。

 はて、今日は祝日だっただろうか? と、そう思ってカレンダーを見るが、そんな事はない。

 まあ祝日でなくても国旗を出している場所はあるだろう。


 ところで、この食堂はとても居心地が良い。

 今はドリンクバーのコーヒーマシーンが稼働かどうしていないのが玉にきずだが、飲み物の品揃しなぞろえは良いし、ボクはここのカレーが好物だし、おまけに『ご自由にお使いください』とコンセントが解放されていて、その上電波も快適な物が通っている。

 朝から晩まで居ても良い程に、居心地が良いと言っても過言では無い!


「名残惜しいが、そろそろ時間か」

 ボクはカレーの昼食を食べ終えた後、板チョコとミルクティーを飲みながら資料をまとめ終え、帰りのバスの時刻を確認した。

 からになった諸々もろもろの皿をロボットの従業員に渡して、席を後にする。

 言うまでも無いが、この食堂は先払い制だ。

 しかしとうから外に出ようとすると、思いがけない事が起きた。

 外はまだ日が落ち切ってはいない、しかも棟の中は問題無く営業している、しかし外へつながるドアが開かないのだ!

「おいおいおい、これはどうなっている? 自動ドアのセンサーか電線がイカれたのか? エコの一環で非常ドア以外のドアは封鎖しますみたいな頓珍漢とんちんかんな事でもやっているのか? 手動のドアは無いのか? クソッ、このままではバスが出発してしまう!」

 外を見ると夕方を背景にバスが遠くから近づいてきている所だ。

 周囲に店員は居ない。

 仕方なしにボクは速足で非常口の方へと向かった。全く、とんだ無駄足だ!

 しかし非常口も開かなかった。

 ドアが施錠せじょうされていると言う感覚ではない、かと言ってドアの向こうに何かが置いてあると言う訳でもなさそうで、まるで瞬間接着剤でその場にきっちり止められているかの様だ。

「おいおいおいおい! これは一体どう言う事だ? さすがに温厚なボクもそろそろ本気でキレるぞ! 店員はどこだ? ボクは客だぞ!」

 その時、ボクは食堂に居た時からそれとなく覚えていた違和感の正体に気がついた。

 ボクはここに来てから一切店員とコミュニケーションを取っていないのだ!

 いや、そんな違和感の正体はどうでもいい。

 とにかく、ボクは店員も他の客も居ない百貨店に閉じ込められた事になる。

 ひょっとしたら工具店か何かからハンマーでも拝借すればアッサリ脱出出来るかも知れないが、それは最後の手段に取っておこう。

 そんな事より表玄関に戻り、バス停に居る人達に発見してもらう方が得策だと言えるだろう。

 そう考えてきびすを返して表玄関へ向かおうとしたが、また新たな違和感が五感をおそった。

「なんだこの場所は? ボクはここを知らないぞ!」

 別の階や売り場に飛ばされたなんて、ビデオゲームやサイエンスフィクションの様な事が起きた訳では無い。

 確かにボクは見覚えのある売り場に居たが、今ボクが居るのはだった。

「なんだここは? 百貨店が成長でもしていると言うのか……? いや、この百貨店がだまし絵の様な構造をしていて、内部から見ると外部から見るより広く見えるのか?」

 そんな手の込んだ事は無かった。

 来た道を往復してみたところ、明かに見覚えの無い売り場になっていた。

 この訳の分からない百貨店は、視線や意識を向けていないと様相ようそうが変わっているのだ。

「くそっ、背後から視線を感じるのは妖怪の仕業だと言う民間伝承は世界各地にある。だけど、振り返ると百貨店の売り場がどんどん豪華になっているなんて、そんなの聞いた事無いぞ!」

 時間の無駄とは分かっているが、来た道を戻ったり、何度か振り返ったりしてみた。

 するとその都度、自分の位置が分からなくなる様な有様だった。

 例えばこれが、背後で従業員ロボットが商品棚の補充や模様替えをしているなら理屈は分かる。

 しかし、今ボクが置かれている環境は、そんな理屈で説明が付くような範疇はんちゅうではない!

 あせりを覚え、汗が一筋ひとすじしたたった。

 緊張感や恐怖を覚えたが、それと同時に口腔こうくうに得も言えぬ感覚が走る。

 すると暗中模索あんちゅうもさくの様な足取りの中、商品棚の向こうに先程の食堂が見えた!

「戻って来たのか……? けどボクはこんな場所を通って来た覚えはないぞ!」

 もう訳が分からない。

 取り合えず席に座って、ドリンクバーから何か取る事にする。

 相変わらず相変わらずコーヒーマシーンは動いてなかった。


 皮肉にも居心地の良い食堂で一服して、頭の中を整理する。

 食堂から見える外は先程まで夕方だったが、今では陽が落ちかけている。

 そして食堂の所在は二階だが、一面のガラス張りの下には百貨店に面した歩道を歩いている人が見えた。

「よし! さっきまで道に迷っていたが、今なら表玄関の場所が分かる! そして何より、表には通行人が居る!」

 こうなれば善は急げ、一階に降りてビクともしない自動ドアを殴って助けを求める。

「そこの方! 助けを呼んでくれ! 百貨店に閉じ込められて、何故だか店員も全然居ないんだ!」

 結果はかんばしくなかった。

 助けを求めたが、解決手段を持ち合わせている人間がその場に居なかった訳ではない。

 明らかに近くを通る人間が居たにも関わらず、誰もこちらに気づかないのだ!

 まるでこの場に百貨店なんて実在しないかの様に、誰もこちらに気づきやしない!

「クソクソクソ! どうすればいい? どうしたらいい? 考えろ、考えろ!」

 とりあえずこの事をネット上に発信して、助けを求める事にした。

 すると、意外な事に携帯端末は素直に機能した。

圏外けんがいでは無いのか……百貨店に閉じ込められる様なパニックホラー作品や推理作品では、こう言う時は外部との連絡が取れないクローズドサークル状態なのが普通だと思ったが……いや、さっきまで端末を使って普通に資料集めが出来ていたし、電波も通っていたんだった」

 とにかく、携帯端末を使って助けを求める事は出来そうだ。

 しかしここで一つ問題が発生する、外部の人間はこの百貨店を認知する事が出来ないのだ!

 所在を目視で伝える事は出来よう、しかし通行人はこの百貨店を無い物として扱っているのだから、ボクのSOSはとして処理されるだろう。

 通行人だけが認知出来ないなんて理屈は無いだろうし、例え捜索隊そうさくたいでも警察でも自衛隊でも見つけられないだろう。

「クソッ! そんなこったろうと思ったぜ! ああクソ、怒りの感情のせいで腹が減って来た!」

 とりあえず食堂に移動して、何か食べる事にする。

 こうなったら、くちくならねば考えもまとまらない。

 そう考えながら踵を返したところ、先程と同様に、食堂への道が隠される様に店内が滅茶苦茶に整理される事は無かった。

「この百貨店はボクを家に帰したくないのだろう。だが店内に居る限りは快適に過ごさせてくれると言う訳か? ハッ! 大した父権的で横暴な店だな!」

 いざ食堂の券売機を見ると、どれもボクの好物で、しかもビックリする程安く、しかも運ばれて来た料理はとても美味しかった。


 食堂で夕食をった後、ボクは脱出の手掛かりを探して店内を探索した。

 しかし結果は梨のつぶてに等しかった。

 この百貨店はボクが考える百貨店像におおむね忠実で、この階には何売り場が有ると言う先入観通りの構成をしていた。

 問題は、振り返る度に見た事も無い構成の商品棚があり、先に進んでも先に進んでも果てが知れない事だった。

 平時であれば、この様な百貨店は楽しくて好奇心を満たしたりウィンドウショッピングに適していたと言えるとすら思う。

 しかもその一方で、ボクが飲み物や食べ物を欲した時の様に欲した商品に辿たどり着く事自体は容易に出来た。

 例えば、ガラスを叩き割れそうなラバーハンマーを探したら工具売り場にすぐ着いたが、そのハンマーでそこらの窓を殴り割るのは不可能だった。

 例えば、疲労を覚えたら、飲料を販売する冷蔵庫であったりマッサージチェア売り場や寝具店が姿を現した。

 馬鹿野郎、この野郎、ボクは眠っている場合ではない!

 自前の時計を見たところ、時刻は九時だった。まだまだあきらめるには早い、普段ならインスタントコーヒーでも飲んで気合を入れる時刻だ。

「なんでこの百貨店のコーヒーマシーンは稼働してないし、冷蔵庫や自販機にはコーヒーが置いてないんだ! ボクを舐めているのか!? いい加減にしろよ、この下痢便野郎目め!」

 望めば何でも姿を現す百貨店だったが、出口とコーヒーだけは何故か置いてなかった。

 実は他にも置いてない物が有るかも知れないが、とにかくその二つは置いていない。


 すっかり足が棒の様になるまで探索をしたが、結局探索の成果は無いに等しかった。

 相変わらず、ボクの前にはベッドの類が魅力的に設置している。延々と続く寝具売り場の真っ只中だ。

 改めて自前の時計を見ると、時刻は十二時を少し過ぎたところだった。

 もう今日は諦めて、また明日探索を再開した方が良いかもしれない……

 ところでボクは酷く寝起きが悪い。

 そしてここは百貨店だ、勝手に寝るのは緊急事態なのだから回避行為として認められるだろう。

 ならば、ついでに目覚まし時計の二つや三つ借りてもいいだろう。

 目覚まし時計が欲しいと考えながら、売り場を探す。

 しかし、不思議な事に、先程までボクの要求する物を何でも供給きょうきゅうしていた百科店には時計が置いてなかった。

 置時計も、壁掛け時計も、キッチンタイマーも一つも無い。

 その時、思考が手から砂がれる様にまとまっていなかったボクの思考に一筋の光が差し込んだ。

 今なら分かる、夢現ゆめうつつだった頭脳がフル稼働し始めた!

「この店には出口もコーヒーも目覚まし時計も無いのか……? そうかそうか、それならこっちにも考えが有るぞ!」

 ボクはこの店その物に言い聞かせる様に大音声だいおんじょうでそう言い、先程拝借したラバーハンマーを手ごろな所にあった柱に振り下ろした。

「コーヒーを出せ! それも甘い奴じゃない、ブラック無糖の苦い奴だ! ボクはブラックコーヒーをご所望であるぞ! 目覚まし時計も出せ! それも一つや二つじゃない、一ダース寄越せ!」

 柱の表面がボロボロと崩れ、中の鉄筋があらわになった。

「ふざけるな! コーヒーと目覚まし時計を出せ! ボクは本気だぞ! 温厚で柳腰で穏便なボクをここまで怒らせやがって!」

 壁にハンマーを振り下ろす、棚を壊す、バックヤードに侵入して店内を壊しながら商品を探す。

「隠しているのは分かっているぞ! 出口は封鎖されているのはいい、コーヒーと目覚まし時計を売っていない百貨店なんて、寝ぼけた事抜かしているんじゃない! 寝言は寝て言いやがれ!」

 商品以外の全てをハンマーで壊す、カギのかかった扉も壊す、ついでに地面で取り外せそうな場所もハンマーで殴る。商品以外の全てをハンマーで殴り尽くす。

 止まっているコーヒーマシーンを殴り、売り切れの表示をしている自販機を殴り、食料品売り場の倉庫の扉の鍵を殴り壊した。

「有った有った。出口を封鎖する、特定の商品を供給しない。これは明らかにボクと言う捉えた客をもてなす一連のシステムに矛盾むじゅんするよな? 何故なら、お前は単純にコーヒーと目覚まし時計をけていたんだ。避けていたから、目の届かない場所に、こうやって売り場の裏の貯蔵スペースにコーヒーの類を隠していた。だが、客が望むならば売り場を提供すると言う性質故に隠し続けている事は出来なかった。そうなんだろう?」

 ボクは推理小説の名探偵が真犯人を追い詰める様に、そう言った。

 返答は無かったが、まあいい。

「この百貨店を一面浸せる程のコーヒーを要求する。そう、!」

 ボクはそう言いながら食料品売り場のバックヤードに位置する倉庫の扉を開けた。そして、


 * * * 


 コーヒーの香りがする。ハッとして寝ぼけ眼から覚醒かくせいすると、そこは廃墟はいきょだった。

 一昔前に居心地の良い食堂のあるお気に入りの百貨店があったが、遊んでいる土地なもんで、取り壊されて駐車場か何かになる事が決定している跡地だった。

「これは一体……」

 ボクが自分の記憶に混乱していると、背後から同居人の声がした。

「どうしたんですか、先生? そこ敷地しきちですよね、勝手に入って良いのですか?」

 ボクは慌てて百貨店跡地から外に出た。

「いや勝手に入って悪かった。しかしアレだな、こういう廃墟ってのは何かあると危険だし、勝手に入る人が出ない様にフェンスでも設けるべきじゃないのか?」

「いや、勝手に入った先生が言う事じゃないですよ」

 同居人は呆れた口調で正論を言う。クソ、正論だから言い返す事が出来ない!

「まあそう言うなよ。ところで今から話すのはボクが実際に経験した事なんだが、君は建物が化けて出たり、或いは建物にも意識が有って夢を見る事があると言ったら信じるかい?」

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