episode3『優柔不断な現代人に対する簡便化にまつわる一つの冴えたやり方-Foxy Man-』

「ダメだ、全く書けん」

 ある作家が机の前でボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードにかじり付いてくらしており、筆の速さが自慢だった。しかし、書けない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない、体力作りは日課のランニングのおかげでたっぷりだ。しかし、書けないものは書けないのだ。


「またですか、先生? また書けないとかボヤいて妙な事しないでくださいよ?」

 作家の同居人は心底迷惑そうな口調で釘を刺す、これに対して作家は気分を害したような態度を示した。

「おいおい、ボクの原稿が進まないのは一重に君のせいなんだぜ? なんでボクが暇な大学生に住処と食事を与えているか覚えているよな? 学問だよ、情報だよ、風俗世俗ふぞくせぞくだよ、脳味噌だよ! つまりボクの原稿げんこうが進まないのは十対〇で君が悪い!」

「言いがかりです、現に俺は先生に大学であった事をあれこれ説明しているじゃないですか!」

「は、どうだか? ボクは受けた授業を門外漢もんがいかんのボクにも理解出来る様に説明しろと頼んだが、君の説明は要領を得ないものだったじゃないか! もうこうなったらボクが自ら偽学生になり、講義を受けに行くかな?」

「あーそれマッハでバレると思います。先生みたいなおっさんが真面目に講義受けてたら」

「何故だ? 学問に年齢も貴賤きせんも無いだろう。あれか、おっさん差別か? まあなんだ、ボクは教鞭きょうべんった事もあるからな、君達学生は知らないかもだが教職って言うのは教室の後ろまでよく見えるんだ。つまり逆に言えば、教室の前の方はあまりよく見えないと言う訳さ!」

「違いますよ先生、うちの学部には真面目な生徒ってのは居ないと言ってもいい位少ないんです。先生が偽学生になったら、それこそ一発で怪しまれますよ」

 同居人に自らの意見やアイディアを否定され、作家は苦虫を潰したような顔を浮かべた。

「ふん、まあいいさ、こっちにもこんな時の為の秘密兵器の一つや二つ常備してあるのだからな。君、これが何か分かるかい」

 そう言うと作家は懐から一枚の紙を取り出した。

 ひらがなで五十音と、漢数字を一から十に加えてゼロ、漢字で、そして赤いインクで鳥居が書かれた紙だ。

「ええと、こっくりさんですか? まさか原稿が進まないからこっくりさんの力で原稿を書こうと?」

「そのまさかさ! いいや、皆まで言うな、その前にボクの持論を聞きたまえ。創作においてバイオリズムやテンション、精神状態や境遇きょうぐうと言うのは見逃すには大きいファクターだ。一種のオカルティズムや儀式を介し、創作活動をすると言うのは一定の効果が見込めるものだと、少なくない作家連中が経験則から言っている。まあもっとも、そんなものは気分転換程度の効果しか無いとボクは思うがね」

 同居人は、気分転換にしかならないならこっくりさんの意味は無いのでは? とか、そんな手段で原稿が進むなら、わざわざ俺から授業の内容や大学の様子の話をさせる意味はあったのか? 等と言った言葉がもうのどの上の方まで昇って来たが、飲み込み直した。

「つまり、こっくりさんを利用してハイテンションになった所で原稿を書くって事ですか?」

「あいや、待たれい! そのテンションは誤用だぜ、テンションってのは緊張感を表わす単語だ……いや、今のは要添削ようてんさくと言うより、補遺ほいを要するって方が正しいな。何かの間違いでボクの小説がシェークスピアやデュマの様に永遠の様に読み継がれる場合、この時代はこういう誤用があったものだと書き記しておこう」

 作家はそう言いながら、自家製のこっくりさんに硬貨を乗せて交霊を試み始めた。

「こっくりさん、こっくりさん、ボクに原稿を片付ける力と、妙齢みょうれいの金髪美女の彼女と、それから毎日見ても飽きない煽情的せんじょうてきな美人画に、開発からの便りが無い新作ビデオゲームを授けろ下さい」

 若干怪しい日本語の要求に、苦言を言うべきか、呆れ返って黙るべきか迷った同居人だったが、その判断は行なうべきタイミングを見失った。

 作家の指先の硬貨が音も無く滑らかに動き出したのだ。

「おい君、見たまえ、こっくりさんが何か言っているぞ! お、み、き、こっくりさんは酒を要求しているらしい。冷蔵庫に缶入りの弱いのがあっただろ、取って来てくれ」

 同居人は作家が悪ふざけをして酒を呑もうとしているのだと判断し、けれども機嫌を損ねると面倒だと思い、その言葉に従った。

「こういうのどうすればいいんだろうね? とりあえず缶を開けて放っておくか。お、あ、げ、……おい君、冷蔵庫に鍋に入れようと思っていた油揚げがあるから取って来てくれ」

「え、油揚げを鍋に入れるんですか?」

「何を言ってるんだ、みそ汁とか煮物に油揚げや豆腐を入れるだろう? あれと同じで鍋に油揚げを大きめに切って入れると美味いんだ、今度作ってやるから黙って持ってきてくれ」

 同居人は作家が食べ物で遊ぶ気でいるのかと勘繰かんぐったが、黙って作家の言う事に従った。機嫌を損ねて追い出されたらコトだ。

「ふむ、か、ら、だ、か、り、る、鳥居、く、え、鳥居。なるほど、ではこの油揚げとアルコールはボクが呑む事にしよう」

「大丈夫ですか? また怪しげな事して、こないだみたいに大変な事になっても知りませんよ」

「なに、ボクは生まれてこの方狐憑きつねつきなんてものを見た事無いからね、なんなら狐憑きのルポやオカルト本でも書いてやるさ」

 作家はそう自信満々に言うと、生の油揚げを手で裂いて食べ、缶入りのアルコール飲料で流し込んだ。

 すると作家の目つきが変わり、嬉しさを我慢できないと言わんばかりの哄笑こうしょうをし始め、その勢いで作業机に噛り付き始めた。

「ははは……いいぞ、これがそうか、わかった、わかってきたぞ! 過去から現在から未来に至るまでの、霊的な経験則とビジョンの共有を行なっているようだ。これだ、これでいい! さあ、原稿に取り組まなくては! アイディアが事細かに湧いて来るぞ!」

 同居人は作家の様子が何時もに増しておかしい事を心配し、その様子を後ろからのぞいたが、作家はお構いなしのマイペースで振舞った。

「見たまえ、こういうアイディアだ。遺伝子操作でカメレオンの如く変身能力を得た狐が宇宙船に備品に化けて乗り込み、次々と宇宙飛行士を襲う! 宇宙飛行士達は必至の抵抗を試みるが、宇宙狐は時に透明になり時に人や機械に擬態ぎたいし、被害はどんどん広がっていき、やがて艦内は疑心暗鬼に陥るのさ! もうオチも考えてあるぜ、仲間割れの末に唯一の生還者が狐を撃ち殺して地球に戻って来るものの、宇宙局が生還者に狐の尻尾が生えている事を指摘してそのまま終わる! これが何か感染による症状か、或いは途中で入れ替わったか、もしくは最初の最初からこの船員は狐が化けていたかはどうとも取れる様にしよう。ほらもうだいぶ書けた、もう一般的な文庫本の六分の一はあるな、この調子なら今日中に一冊分の文章だって書けるぜ!」


 作家の同居人は、大学で講義と講義の間の時刻を学友達と時間を過ごしていた。

 大学で知り合って、同じ授業や趣味のグループに所属しており、ちょくちょく課題や飲食を共にする。そんなよくある関係の間柄だった。

「と言う訳で、下宿先の先生の様子がこっくりさんをしてからおかしいんだ。いや、先生の様子がおかしいのは普段からなんだけどさ、何と言うかそのまんまなんだけど、本当に何かに取り憑かれたみたいって言うかさ……」

「ふうん、それって様子がおかしいって事?」

「狂犬病とか人狼は、興奮状態や嗜好しこうの変化が見られるって聞くけど、何か食べ物の好みが変わったりはしたか?」

「そう言えば、先生は普段酒は眠くなるから呑まないって言っているのに、こっくりさんをやってからはよく酒を呑むようになって……他にも、筆が進むせいで腹が減って敵わん。とか言って生の厚揚げを食ってたな」

 作家の同居人の学友二人は、その言葉を神妙に聞き、互いに互いを見合わせ、意を決したように提案をした。

「なあ、お前の先生を元に戻す方法だけど一つあるかもよ」

 そう言うと、学友のうち女性の方がカバンから紙を取り出した。

 作家の同居人はその紙に見覚えがあった、その紙はなんと作家が用意した物と全く同じ規格のこっくりさんだった。

「こっくりさんのせいでおかしくなったんだ、こっくりさんを使えばきっと元に戻る」

「さあ、こっくりさんに解決策をうかがいましょう」

 何を言っているんだ、こいつらは? そもそもこっくりさんのせいでおかしくなった人間をこっくりさんで元に戻すなんてのは理屈りくつとして破綻はたんしている! そう主張しようとしたものの、学友二人は作家の同居人の腕を無理矢理つかみ、指先で硬貨こうかさわらせた。

「おい、お前ら何をやってるんだ! 気でも触れたのか?」

「大丈夫、あなたもこっくりさんで悩みを解決してもらえる」

「俺達は何も難しい決断をしなくて済むようになるんだ」

 そう言う学友二人の目つきは、普段と目の色が違っていた。

 なんて事だ、まさかこいつらもこっくりさんに操られていたのか! 作家の同居人はそう思い、こっくりさんの操り人形たちから手を振りほどこうとしたが、二人の人間にしがみつかれては完全に無駄だった。

 そしてその無駄な抵抗を行なう間にも、こっくりさんは進行してしまっている!

「「こっくりさん、こっくりさん、願わくばこの者のうれいを断ち切って下さい」」

 もうダメだ、硬貨を触った指が自分の意思に反して動き始めた。

 硬貨を漢字の是の方向へスルスルと移動していく……

「おいお前ら、それはさすがにマナー違反だろう。もうちょっと相手に不快感を与えない、スマートなやり口は無いのか?」

 声のした方には、自分達以外に誰も居ない教室の入口に作家の男が立っていた。

「先生! でもどうして大学に?」

「こないだ言っただろう、見ての通り偽学生だよ! 最前列に居たら結構バレないものだな……いや、バレてたけど優しい人達なんで見逃されていたのかな? しかし君達、この学校は中々いいところだな。授業はそこそこいいし、図書館の設備は控えめに言ってサイコー、学食は安くない上にボクの作るメシより劣るけどな」

 学友二人は突然の闖入者ちんにゅうしゃを見てポカンと放心していたが、作家が自分語りや大学の感想を述べ始めると、我を取り戻してこれに敵意を向けた。

「何ですかあなたは? 私共は今忙しいのですが」

「ああそうだ。俺達は布教をしてるんだ、邪魔しないでくれるか?」

「それだよ、それ! ボクは自由意志の元にこっくりさんをやった、君達二人共もそうだ。だが、お前らが今この場でやっている行為は宗教行為の強制に他ならない、この光景を見たら暴君ネロ帝だってドン引きするぜ? そもそもこっくりさんと言うのは、無意識を利用して答えを導く儀式だ。お前らがやってる自意識を無視してでもこっくりさん憑きを作る作業は言うなれば、存在自体が構造矛盾こうぞうむじゅんって奴だ」

 作家は相手に意見する事、相手を批判することが気持ち良いと言わんばかりに、饒舌になって強い口調で喋り始めた。

「確かにボクはお前らの縁切えんきりの条件として、こっくりさんの布教に協力すると言った。言ったし、こうして君達二人に布教に成功した。だが、お前らのやっているのは布教なんかじゃあない!」

「先生、今なんて言いました? 縁切りに成功して布教に成功したって事は、この二人にこっくりさんをなすりつけたって事ですか?」

「おっと、口が滑った。今のは忘れてくれ」

 作家の同居人のはぐらぐらと煮立ちつつあった。じゃあなんだ、俺はこいつのおかげで心配して、しかも危険な目にあって、こっくりさんに取り憑かれそうになったのか? くそ、これが無事に終わったら駆け込む所に駆け込んでやる!

「あなたは黙っていてください。あなたには協力義務がありますが、妨害ぼうがいする権利はありません」

 こっくりさん憑きの女の方が、作家に対して冷たく言い放つ。

 しかし作家は売り言葉に買い言葉、これに激しく噛みつき返した。

「いいや、お前らはその強制を中止せざるを得ない、これを見な!」

 作家がそう言って、こっくりさん憑き達に突きつけたのは携帯端末けいたいたんまつだった。

「これが何か分かるか? 分からない筈が無いだろうな、これはボクが作ったこっくりさんアプリケーションだ。ワンタッチで簡単な単語、数字、是非を指し示す! この意味が分かるか? 勿論お前らなら分かるよな、人間は自分で判断が出来ず、背中を押して貰いたがる生物だ、そしてその手段はデジタルで簡便化かんべんかが進んだ物を選ぶ、何故なら人間はデジタルによる簡便化を好んで堕落だらくするのにやすい生物だからだ! ボクの弟子兼お茶汲みを解放してもらおうか? 交渉こうしょうに応じないなら、お前らがお役御免になるこのアプリケーションをネットを通じて世界中にバラまくぜ? しかも業腹物ごうはらものだが、無料で、だ!」


 大学の構内、学生達が利用するカフェテリアに四人の姿があった。内三人は大学生と言った若者で、一人は助教授と言ったら信じられるような年齢の成人だった。

「いやあ、一時期はどうなるかと思いましたよ。でもりたら原稿が進まないからと言って妙なマネをしないでくださいよ!」

「なんでだい? こうして全員無事に五体満足で何とも無く、しかもボクの財布で甘いものを楽しんでいるんだぜ? めでたしめでたし、終りよければ全てよし、とっぴんぱらりのぷうって奴だ」

「まあまあ、許してあげましょうよ。先生も最終的に私達を助けてくれたんだし」

「他人の金で食うメシって本当に美味いな!」

「いや、お前らも巻き込まれたんだし何か言ってやれよ! 妖怪やたたり神なんかよりずっと人類の敵だよ、こいつは! こっくりさんが退散したのも、こいつがこっくりさんよりずっとあくどいからだろ!」

「そう言ってくれるなよ我が弟子、それから神や悪魔よりあくどいだなんて酷い事も言ってくれるな、ボク達は人間なんだ」

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