時を渡る天使

蒼井どんぐり

時を渡る天使

 天使の卵達、そう彫られていた。

 不思議な言葉が綴られた銅版、それが置かれた先に広がるのは、人のミイラとも化石ともつかない、灰色の石像の群れ。直立不動のそれらの体表はひび割れ、すり減っている。共通しているのは、背中が不思議と大きく削られていることだった。

 そんな石像たちの先頭に、より一層奇怪なものがあった。背中に大きな翼を讃え、祈るようにしゃがみ込む人の石像。

 まるで天使が時を経て化石に成り果てたような姿がそこに祀られていた。


「これが発見された、天使の化石、ですか」


 それを前に目を輝かせる一人の男。

 ある熱帯の村で天使のような姿の化石が発見された、と連絡を受けて駆けつけた、世界でも高名な考古学の教授だった。宗教や神学に精通している彼にとって、太古の昔から人の精神の拠り所にもなってきた「天使」、その実態につながるものが見つかったとあらば、駆け付けずにはいられない。


「はい。そうです。地元の建設業者が発見しまして。どうにも祭壇のようになっているみたいで」


 教授の言葉に、この村一帯の土地を管理する豪商が答えた。

 彼が言うには、土地柄、小さな村であってもその土地固有の神などを祀ることなどは珍しくはない。ただそれにしてもこの光景は異様だという。


「これだけの数の、人のミイラ、石像なんでしょうか? 化石のようにも見えますが、何か文化的価値があるものなのかと。それに、何より不気味でして……」

「確かに神々しさ、というよりもなんだか恐ろしいものを感じさせますね」


 天使の卵、と表された人々の群れ。その意味するところはわからない。ただ、石像達の大きく開いた背中。まるで翼を背の皮ごともぎ取られてしまったような。翼を失い、天使になり損なってしまった人々の姿にも見える。

 それに、先に鎮座する、翼を背中に携えた人の化石。これは一体なんなのか。生き物の化石、なのだろうか。


「ふむ。調査対象としてとても興味深い。ぜひ、こちらで買い取らせていただければと思います」



 教授は多額の金を掛け、その天使の卵たち、そして天使の化石を買取った。

 石像達の運び出しには予想以上に時間がかかった。なんといっても数が多い。そのため数体ずつ運び込まれるたび、調査は並行して進められた。


「うーん、どうにもおかしいんですよね」

「何がだ」


 教授の私設研究所にて、遺伝子研究を担当する博士に分析を依頼したところ、どうにも釈然としない態度を続けていた。


「年数がおかしいんですよ」


 博士がモニターの画面をコツコツ示す。そこには石像達、その表皮の推定経過年数が表示されていた。


「見た通り、これらは石像というよりミイラに近い。それなのに見ると経過年数は多く見積もって十数年といったところです。これはあり得ない。どうにも妙です」


 博士がそうつぶやくと、二人は互いに首を傾げた。


 調査が進む中、石像は着々と運び出されていった。

 奥に鎮座していた、あの天使の化石も運び込まれて数週間がたったある日、再び博士から報告があった。


「表皮だけではなく、中の体内部の年代を測定したら、あることがわかりました。体と翼の部分ですが、経過年数が全然違う。生きてきた年数が違うんです。まるで翼だけ太古の昔から生き続けているように」


 そう慄きながら博士は説明した。

 話を聞いた教授は恐れ、天使の化石の元に向かった。

 化石は滅菌処理された調査台の上に鎮座していたが、背中を見るとあるはずの翼が姿を消していた。背中には、ただ大きな穴とその先の闇があるだけ。


「翼はどこに……」


 得体の知れない恐怖に囚われ、教授は施設全体に厳戒体制を敷いた。警報がひたすらに響きわたる。


「あの……」


 部下に指示を出し、必死になっていた教授に博士がそっと語りかけた。


「どうした博士」

「天使の卵、と書かれた銅版、あの意味がやっとわかりました」

「こんな時に何の話だ?」

「天使、は、人の、胸、中に、在り続、き、たぁぁぇぉぃが」


 博士の口から人の声とは思えない声が響き、パキッと小さな音が鳴った。見ると博士の顔にヒビが入っている。その姿はみるみると皺だらけになり、色を失っていった。まるで急速に時を吸われていくように。

 一瞬のうちに化石のように姿を変えた博士の背中から、ばさっと大きく何かが広がった。まるでそれは大鷲のような大きな翼。胸に抱いていた恐怖心が不気味な安心感に満たされていく。

 神々しきそれは、蠢きながら徐々に背中から姿を現す。まるで何かが降臨するような光に包まれ、教授は気を失った。


 鳴り続ける警報に、すぐ教授は意識を取り戻した。

 前を見ると先ほど見た翼の姿はない。周りを必死に見回し安心した束の間、パキッという音がすぐ近くから聞こえてきたのに気づいた。

 教授は手のひらを見る。手の皺が急速に増えていく。まるで胸から、自分の時が、背中に蠢くものに向かって過ぎ去っていく。


 自分の体から天使が孵化する音を、教授はただ聞いていた。


 <了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時を渡る天使 蒼井どんぐり @kiyossy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ