創作能力を喪失して約10年、未だ回復しない現状を分析する

FZ100

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 突然ですが、私、小説投稿サイトはカクヨムと小説家になろうを主に利用しています。他にエブリスタにもユーザー登録してますけれど、あそこは一話1000字だったか文字数の制約があります。おそらく携帯小説時代の名残だと思いますが、1000字だとオーバーしてしまう場合がままありますので使いにくくほとんど覗いていません。


 カクヨムとなろうですが、なろうのアクセス解析はあらすじのページもカウントされているのではないかという気がします。なので一時間に1アクセスしかなかった場合はあらすじでブラウザバックされたなと判断してます。アクセス解析に関してはカクヨムですとページ毎のPVが確認できますので、こちらの方が便利だと思っています。そんな訳で基本的にはカクヨムメインで利用しています。


 さて、タイトルの創作能力ですが、私がカクヨムに投稿した小説に「五十猛乱写事件」というものがあります。公開したのは2017年2月ですが、これは以前書いた脚本を元に小説形式に改めたものです。脚本を書いたのは2013年9月頃です。アニメ系の公募コンクールに出したという経緯があります。


 で、その脚本を書き終わった頃からお話が頭の中に浮かばなくなってしまったのです。元から湯水のようにアイデアが湧いてくるタイプではなく、乾いた雑巾を絞るようにしてネタを考えていたのですが、その泉がついに枯れ果ててしまったという感じでした。


 アイデアが出ないというのは要するにインプットが足りていないということです。なので、しばらくはインプットに専念する他ないなと考えていたのですが、一向に回復する気配がないのです。


 それ以降に書いた作品もありますが、いずれも短編ないし中編です。最新作は「異世界転生ストーリーはこうして誕生した」でしたか、自分でも面白いとは思えない作品です。


 インプットしていないと言っても全くしていない訳でもないのです。例えば映画ですと、何年に何を見たかつけているのですが、2004年から2023年までに見た映画は約500本あります(※重複あり)。これは映画館で鑑賞したもの、テレビ映画、DVDで見たもの、ビデオオンデマンドで見たものをひっくるめた数です。歩いていける範囲に映画館がありますので半数以上は映画館で見ているはずです。


 映画を20年で500本視聴というのは月に2本ほど鑑賞というペースです。意識して人並みの数字といったところでしょう。映像の世界を志す人ですと500本という数字は1~2年ほどで達成してしまう数字ですので自慢にもなりませんが、絶対量としては決して少なくない数字ではあるはずなのです。


 テレビドラマはほとんど見ませんが、ラジオドラマ(オーディオドラマ)は毎週土曜のNHK FMシアターを十年以上欠かさず聴いています。FMシアターは一話完結の単発ドラマが基本ですので、聴き逃した週があっても問題ないという気楽さがあります。


 漫画は電子書籍に限りますが、ebookjapanで購入したのが465冊、Kindleで約1000冊といった水準です。Kindleは長期連載作品が11円セールした際にまとめ買いしたものが結構あって全て読んでいる訳ではありません。ebookjapanのはほとんど読んでいるはずです。


 これくらいの数字でも漫画の膨大な世界ですとほんの一部の作品となります。漫画通と呼ばれるには一万冊くらい読破しなければならないかもしれません。


 アニメはバンダイチャンネルに加入しています。いつからだったか忘れましたが見放題サービスがはじまったときに加入しました。見てない時期も長かったのですが、2021年11月に光回線に変えてからは新作も毎期何作かはチェックするようにしています。


 例えば、なろう系のアニメですと、『この素晴らしい世界に祝福を!』『まおゆう魔王勇者』『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』『君の膵臓をたべたい』『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』『転生したらスライムだった件』『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』『無職転生~異世界行ったら本気だす~』『Re:ゼロから始める異世界生活』『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』『魔法科高校の劣等生』といった作品は全てのシーズンではありませんが視聴しています。


 肝心の小説ですが、純文学は全く読んでいません。要するに他人の不幸に興味がないからです。20代から30代前半にかけてはスターウォーズのスピンオフ小説群を好んで読んでいました。ただ、ユージャン・ヴォング編だったか「これはもはやスターウォーズではない」と感じて読むのを止めました。その頃からでしたが、本が読めなくなりました。ちょっと読んだだけでストップしてしまうのです。


 ライトノベルもそういった訳で量は読んでいません。今Kindle端末に入っているのは『涼宮ハルヒの憂鬱』『青春ブタ野郎』『古典部シリーズ』『小市民シリーズ』『ベルーフシリーズ』『図書委員シリーズ』『響け!ユーフォニアム』『ビブリア古書堂の事件手帖』『珈琲店タレーランの事件簿』『わたしの幸せな結婚』といった各シリーズです。『本好きの下剋上』シリーズも30巻まで買っていますが、これはセールで買い込んだものでまだ1巻しか読んでいません。


 だいたいアニメを見て気に入った作品の原作を読んでいる感じでしょうか。ライトミステリにやや偏っているかもしれません。殺人事件には興味がありませんので本格的なミステリは読んでいません。ビブリア古書堂シリーズは古書のうんちくと謎の要素とが上手くかみ合っていて魅力的な作品だと思います。


 という訳で主な原因は小説の読書量が不足しているということだと考えています。これは大人になってから「自分はものを知らない」という意識が芽生えてフィクションよりノンフィクションを優先するようになったという事情もあります。


 私は新書を読むのにも2~3日かかってしまうくらい読書スピードが遅いです。ですので頑張っても週に二冊の読書がやっとです。年で換算すれば50~100冊がやっとという水準です。


 カクヨムでは主にエッセイ/評論のジャンルを読んでいます。元々エッセイが好きなのです。田辺聖子さんのエッセイが対話形式で俯瞰した視点で書かれていて好きだったのです。田辺聖子さんは今だと『ジョゼと虎と魚たち』の原作者として知られているでしょうか。エッセイは現在では入手しづらくなっています。


 ということで、おそらくインプットしたものがストックとならずにフローとして流れていってしまっているのでしょう。血肉となっていないということです。


 一方で、アウトプットですが、書くだけなら書いているのです。2003年から日記をテキストファイルにつけています。同時期からブログを始めていまして、日記というよりブログの記事という側面が強いです。もちろんネットには上げないプライベートなこともつけてはいます。心情的なことは書いていません。嫌なことは書けない性分なのです。無味乾燥な文章です。美文調の文章は書けません。


 日記で2003年から2024年現在まで書いた文字数は約200万字になります。日記とは別に書いた記事もあるのですが、それらは現在Amazonで電子書籍化しています。それらは100万字に達しています。主に島根県石見地方の伝説・昔話・神楽をテーマにした論考集です。なので、文章自体が書けないということではないのです。


 そうですね、神楽について力を入れて記事を書きはじめたのは2015年頃だったでしょうか。創作できなくなっていた時期はブログに力を入れていた訳です。なので、私がここ10年ほどで仕入れた知識は民俗学系の知識が主となっています。論文を国会図書館でコピーしまくって読みました。そういう意味で全く無為に過ごしていた訳でもないのです。ただ、やりたい事が分裂しているとは言えます。民俗学方面の知識は創作ではかなり工夫しないと活かせそうにありません。


 ちなみに、カクヨムで民俗学系の知識を活かしたものとして「神楽と民俗学」というエッセイを投稿しています。


 ……という訳でヨーロッパの貴族制に関する知識などはほとんど全く無いのです。現在流行中の異世界ものには手も足も出ない訳です。


 創作にしてもネットにアップロードしたものだけで60万字には達しているはずです。長編小説を書くのは苦手なのですが、それでもそれくらいは書いてはいるのです。


 ちなみに実力的には万年一次落ちレベルです。とある小説コンクールに応募したところ講評が返ってきましたが、文章力の他、ほとんどの項目が5段階評価で2でした。


 脚本に関しましては、第一回京アニ大賞の脚本部門に投稿したところ、二作が一次選考を通過したことはあります。ただ、第一回は選考基準が緩かったらしく、それ以降では一次選考を通過していません。一次選考を通過したときはこんなに幸せな気持ちになるのかと感じました。


 小説に関しましては一次選考を通過したことがありません。要するにつまらないからですが、パロディを多用してしまう癖があるという理由もあります。パロディを書いていると脳内麻薬状物質がドバドバ出て気持ちよくなってしまうのです。


 脚本も脚本の書式で書くことはできるのですが、どうも脳内のロジック回路に欠陥があるらしく書いたものがドラマになっていないなと自覚しています。そんなレベルです。


 で、今なにをやっているかと言いますと、カクヨムやなろうに投稿していた中の一部の作品を電子書籍化してAmazonと楽天で無料で配布しています。AmazonのKindleストアで「エドウッド級」と入力して検索すると私の作品がヒットします。


 これは電子書籍の出版フローに慣れるためにテスト的に電子書籍化したという側面もあります。小説投稿サイトで流行している作風からはかけ離れた内容ですので、戦場を転進したというニュアンスもあります。


 電子書籍化した作品はペーパーバック化して国会図書館に献本しようと考えています。一冊は既に実行しています。そうすれば紙の本として半永久的に残るからです。カクヨムが将来的にサービス終了する可能性は低いと思いますが、古い作品ほど埋もれていってしまいますから。未来に私の書いたものを手にとってこんなアホなことを考えていた人間が過去にいたのかとなったら面白いかなと思ってのことです。


 電子書籍にシフトしてからは読書量は回復してきました。本屋までいかなくても買えてしまえるのと保管場所をとらないのが大きいです。書店の経営の危機が叫ばれていますが、リフロー形式で十分なジャンルの本ですと、もはや電子書籍には太刀打ちできないのではないでしょうか。もちろんディスプレイで読むと目が疲れる人も多いと思われますので、紙の本が消えてしまうことはないと思います。


 そんなこんなでインプット量は回復傾向にあると思うのですが、一向にアイデアが浮かんできません。「超」シリーズで知られる経済学者の野口悠紀雄氏によると着想を得るのは真剣に取り組んでいるとき、そしてそこからふっと離れた際だということだそうですので、真剣に考えていないということなのかもしれません。


 今、なろう系の小説が飽きられてきているという話を聞きました。以前なら5000ポイントあれば売れるという判断を出版社はしていたようですが、それ以上の高ポイントを稼いだ作品でもいわゆる爆死してしまうといった事態も生じているそうです。既に戦場はコミカライズに移ったともいいます。ライトノベルの市場自体、2015年をピークに減少傾向にあるといいます。


 これはなろう系小説という2010年代の想像力が市場を席巻したものの時の経過で次第に力を失ってきたということでしょう。なろう系小説の購買層は年齢の高い層で、ティーンエイジャー向けの作品が軽視されていると批判する人もいるようです。


 次に来る波が何かは誰にも予測できません。私も虎視眈々と狙っていければなあとは漠然と考えていますが、いかんせん何も浮かんでこない状況が続いています。


 今頃になって『魔法科高校の劣等生』のアニメを視聴しています。確かなろう系の作品で商業出版された古い事例だよなと思ってのことです。本放送時はながら見していて声優の早見沙織さんはこの作品で認識したのですが、それはまた別の話です。「さすが私のお兄様」と揶揄されるように不自然な箇所もありますが、独自の世界を提示した作品だと認識しています。源流に遡るのは思考する上で必要なプロセスだと考えています。


 才能なき者はどうすればいいのか? それには才能を必要としないツールを活用する。たとえばキーボードで文字入力するというのはほとんどの人ができるのではないでしょうか。あと、別にスマートホンでもいいですがデジカメ。現代のデジカメは撮るだけなら誰でもできます。自転車も大抵の人が乗れるでしょう。そういったツールを使って足で稼ぐという方向性かな……と考えています。

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