第二話 民の声
「君は何故あそこに?」
昼時だったのもあり、ピアンキは奢ると言って彼を食事に誘った。そして席に着くなり彼に問いかける。
ジャミールは水分のほぼ抜けた石のように硬いパンを慣れた手つきで引きちぎり、それを口の中に詰め込みながら答えた。
「何故って王に不満を持っているからさ。出来るなら先代の王の頃に戻りたいとさえ思ってるよ。今の王は民と話をするどころか顔を見せる事もない。どこで何をしているのか、生きてるのか死んでるのかも分からない。住人達は皆、明日をも知れぬ生活を送っているというのに……。お前もそう思うだろ?」
「え? ああ……そうだな」
急に同意を求められピアンキは曖昧な言葉を返す他なかった。
ここに来てから幾分か慣れたと思っていたが、やはり父と比べられると中々に辛いものがある。外面が良かっただけだ、などと言える筈もないが息子の自分ですら父の死後、数々の問題に直面するまで彼の事を名君だと信じて疑わなかった。
しかしそれは父が悪人という訳ではなく、国を思うが故の決断だった事をピアンキは知っていた。それに国民を束ねるには多少大げさであろうが印象操作も必要だ。いかにも狡猾な、或いは頼りないような主君に皆がついて行く筈がない。人によっては父のように上手く取捨選択し、不要だと思うものを切り捨ててこそ名君だという人もいるかも知れない。だがピアンキにはそれが出来なかった。事実、それら父の選択によって息子である自分に皺寄せが来ているのも事実だ。
ピアンキは何ともいたたまれない気持ちになる。そして激しい焦燥感に駆られるのだ。
やはり山積みの問題を解決するのにエジプトへの遠征は必要不可欠。出来る事なら軍を引き連れ今すぐにでも隣国へと赴きたい。しかし大国エジプトの軍に立ち向かうには戦力が必要だ。いくら分裂して力が弱まっていようとも、各地で紛争を繰り返す州侯達の力は計り知れない。
ピアンキの目的は軍の強化の為戦力を集める事だった。だからこうして危険な場所に自ら赴き、戦力となる者を探している。
そう、今はこの男が標的だ。ピアンキは探りを入れるべく彼の容姿について言及した。
「それにしても君は他の男達より随分線が細いな。あの中にいると君の事が気になって仕方ない」
その言葉にジャミールは眉を寄せ訝しげにこちらを見る。
「あ……いや、別に変な意味じゃない。君がどうやってあの屈強な男達の中に入りこんだのか気になったんだ」
その問いにジャミールは不思議そうな顔をする。
「俺からしてみればあんただって十分不思議だよ。体格だってまぁ俺よりは立派だが、彼らに比べれば俺と似たようなものじゃないか」
まぁそうか、とピアンキは思う。彼にしてみれば自分も十分に怪しい存在なのかもしれない。自分は弓の才能を買われたのがきっかけだったが、同じような体格故にそれを補って余りある何かが彼の中にもあるのではないかと踏んだのだ。
「俺はたまたま弓が使えたから採用されただけだ。で、君はどうなんだ?」
「俺は——」
その時、周囲に響く女性の悲鳴が二人の会話を遮った。
「な、何だ……!?」
ピアンキが振り返るとそこには地面に膝をつき、茫然とする老婆の姿があった。
「泥棒! お願い誰か捕まえて!」
我に返りヒステリックに叫ぶ老婆をジャミールはやけに落ち着き払った様子で見つめている。
「またか……っておい!」
彼が止めるより先にピアンキは走り出していた。他人の物を盗むのはいけない。何故そんな簡単な事が分からないのか。ピアンキは強い憤りを感じた。
しかし追いついた先で既に捕まっていた犯人は大声で泣きじゃくり懺悔を繰り返している。犯人は年端もいかぬ子供だったのだ。彼の身なりを見てピアンキは納得する。分からないのではない。分かっていてもそうせざるを得ないのだと。
「このガキこの前も俺の店で食いもん盗みやがったんだ」
老婆の荷物を盗んだ子供は男に抱えられどこかへ連行されていく。
「待ってくれ」
ピアンキは知らぬ間にそう口走っていた。急に引き止められ、男は怪訝そうな顔でこちらを見る。
「その子を引き取らせてくれないか?」
その提案に男は一瞬面食らった顔をした。
「何だあんた。このガキの父親か?」
「いや、そういう訳ではないが……」
「何も知らねえ部外者が口を挟むな。いくらガキでもこいつは立派な盗人だ。 こちとら何度も被害に遭ってんだよ。一度牢屋にぶち込んでやらねえと気が済まねえ」
ピアンキは着替えの際にたまたま外し忘れた金の指輪を男の手に握らせて言った。
「盗まれた品物の分は返した。これで許してやってくれ」
呆気に取られる子供の手を取り、そそくさとその場を去ろうとするピアンキを男が呼び止める。
「おい、あんた何者だ。何でこんなもん持ってる? まさかあんたも盗っ人じゃ……」
突然、背後から伸びた腕に男は息を呑む。その手には刃物が握られ、鋭い眼光が男を捉えた。
「それ以上喋ったら喉を切り裂くぞ」
突然現れた男の脅迫に彼は悲鳴を上げ、腕を振り払い退けると逃げるようにその場から立ち去った。
「最初から大人しく貰っとけばいいものを」
彼はそう悪態をつくとこちらを振り返った。
ピアンキの窮地を救ったのは他でもない、先程まで食事を共にしていたジャミールだ。しかし彼の豹変ぶりを目の当たりにしたピアンキは引きつった笑みを浮かべる。
「助かった。だが君は一体——」
すると見計らったかのように握った手を振り払い、一瞬のうちに逃げ出した子供の姿をピアンキは目で追うことしか出来なかった。しかしそれを見越したジャミールが彼の前に立ちはだかり、逃亡は敢えなく失敗に終わる。
「何するんだよ!」
「何って、お前はこいつに買われたんだよ坊主。勝手に逃げようとするな」
「嫌だ! 俺は家に帰るんだ!」
子供は駄々を捏ねるように叫んだ。
「貧しいのはお前だけじゃない。大人も子供も皆何とか生きようともがいてるんだ。その中でズルしようっていう奴を俺は許さない。例え子供であってもだ」
ジャミールの言葉に彼は首を振った。
「うるさい! じゃあどうやって生きていけばいいんだよ! おっかあもおっとうも俺達に飯を食わせる為に飢え死にした! 俺達みたいな子供だけじゃ仕事なんて貰えないし、妹を食わせることだって出来ないんだ! 金の指輪なんて付けてる奴に俺の気持ちなんか分かる訳……!」
ピアンキは泣き喚く彼の前に屈み込み肩に手を置いたまま俯いた。
「――すまない」
その言葉に彼は思わず押し黙る。そして項垂れたまま小さく頷いた。
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