第四話 異国の地へ

 隣国エジプトの都市テーベ。

 今から数百年前の新王国時代には首都として栄え、タニスへ遷都した今も古都としてその力を示し続けている。


 多くの州候やその他権力者達が各地で凌ぎを削る中、協力を仰ぐならばやはり味方の多いテーベ以外あり得ない。我が国の地盤を固め、分裂したエジプトをまとめる足掛かりとしても最適であるとピアンキは思っていた。


 しかし目的地はここから数千キロ北上した先にある。カシムに宣言した通りそれなりに長い旅になるだろう。ピアンキは逸る気持ちを抑えつつ馬に跨り、数人の兵士達を引き連れて広大なサハラ砂漠へと踏み出した。


「あの……陛下。一つ伺っても宜しいでしょうか?」

 軽快に馬を走らせるピアンキの背後から1人の兵士が声を掛ける。


「何だ。申してみよ」

 ピアンキが続きを促すと兵士はおずおずと答えた。


「テーベへ向かう目的とは一体何なのでしょう? 我々もその……心積もりが必要でして……」


 それもそうだ、とピアンキは思った。着いて早々紛争にでも巻き込まれようものなら、兵士といえど気後れしない訳がない。


「争いに行く訳ではない。ただ協力を仰ぐだけだ」

 だがピアンキがそう言っても兵士の顔は相変わらず固いままである。


「心配せずとも神の御前で武力には頼るまい。そもそも武器を持たぬ相手に刃を向けることなど出来ぬ」

 

 そこで別の兵士がぱっと顔を上げた。


「陛下、もしやアメンの神官に会いに行かれるおつもりで?」

 その問いに頷く代わりにピアンキは不敵に笑った。


「彼らは今や各地の州候や長官達と並ぶ地位にあるとか。数百年前にはテーベだけでなく上エジプト一帯を支配する程の力を持っていたと長官から聞いたことがあります。」


 その内情のみならず彼らの歴史にまで言及するとは。自分が説明するまでもなく彼らは想像以上に博識であるようだ。ピアンキは感心すると同時に宮中での自分の立ち位置を改めて認識せざるを得なかった。


 除け者にされるのは慣れている。だが一国の王としていつまでもそれに甘んじている訳にはいかない。今王国を統べているのは自分なのだ。


「陛下! 背後に敵と思しき人物を確認! 距離にして約二百メートル! 我々と同じく馬に騎乗し弓を構えています!」


 見張り役の兵士がそう叫ぶと部隊に緊張が走る。しかしピアンキはそれよりも兵士の発言を疑った。


「二百メートルだと? そんな先にいる人物が何故弓を構えていると分かる?」

 加えてこの薄暗さではそれが人であるかどうかの見定めも不可能だ。


 しかしその数秒後、兵士が言う通り人影を確認すると共に、一本の矢が自分目掛けて飛んでくるのを見てピアンキは咄嗟に剣を抜く。間一髪の所で叩き落とされた矢は真っ二つに折れ、騎乗した馬の足元に転がった。


「敵は何人だ? まだ向かってくる者はいるか?」

 ピアンキは周囲に気を配りつつ兵士に問いかける。


「いえ、後に続く者はなく一人のようです」


 打ち損じたのが分かった途端、人影はすぐに踵を返し、元来た道を逃げるように引き返していく。


「追いかけて問い詰めねば! 陛下に弓を放つとは何という——」

 別の兵士が怒りを露わにするのをピアンキが諌める。


「いや、何者か分からぬ以上深追いはするな。下手をすればこちらが返り討ちに合う可能性もある。向かって来ないならそれでいい」


 しかしあの矢は明らかに自分を狙っていた。百メートル以上も先から放ったにも関わらずそれが分かる程正確に的を捉えていた。それに自分をただの金持ちと思い狙ったのなら左程問題はないが、そうでないとしたら——。ピアンキは胸がざわつくのを感じた。


「奴の顔は見えたのか?」

「いえ、布で口を覆っていたのでその人相までは……」

「盗賊ではないのか?」

「盗賊にしては身なりが……。それに我々と同じ馬に乗っているとなるとただの盗賊とは思えません。奴は一体何者なのか……何故こんな事をするのか不思議でなりません」


 神妙な顔つきで話す兵士を見、それから思い出したようにピアンキは言った。


「私にしてみればそなたの方が不思議でならん。その目は一体どうなっておるのだ?」


 その問いに兵士は緊張した顔を少し緩めて言った。


「同じ国でもエジプトに近いナパタは砂漠地帯ですが、私が生まれたのはここより遥か南の町。広大なサバンナが広がり、私達は常に猛獣に襲われる危険に晒されながら生きてきました。この超人的な視力は生き残る為、日々の生活の中で私達が培ってきたものの一つです」


 さすがはカシムの選んだ兵士である。時間もなくほぼ即席で招集されたにも関わらず、ここにはやはり精鋭達が揃っているようだ。しかしその弊害か兵士達の表情は皆一様に固く、見ているこちらまで緊張してしまう。


「数日とはいえ長い旅になる。皆気を張ってばかりでは身が持たない。私とて自分の身は自分で守るだけの気量はある。それとも、皆私を頼りない貧弱な王とでも思っておるのか?」


 兵士達はとんでもないとばかりに首を横に振る。


「ならば皆、自分の身を案じておれば良い。――そうだな。万が一私が気を抜いて窮地に陥った時、それがそなたらの腕の振るいどころだ。精一杯の護衛を頼む」

 

 ピアンキは何故だか呆気に取られている兵士達の顔を眺め笑った。

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