第三話 王の為事
「俺、テスファ。……あんたは?」
ピアンキが顔を上げるとこちらを伺うように見つめる彼と目が合った。
「タリクだ。こっちは——」
「ジャミールだ」
険悪な雰囲気から一転、ジャミールは柔和な表情で彼を見つめている。
「俺もお前もこの町に住む仲間だ。役人に突き出すつもりはないが、その代わり二度と人の物は盗るな。分かったな?」
「じゃあ俺この先どうやって……」
再び泣き出しそうなテスファにジャミールは小さく息を吐いた。
「俺が面倒を見てやるよ」
「え?」
その言葉に二人は思わず声を上げ、彼を凝視する。
「ただし、俺の職場でお前も一緒に働くんだ。自分の食う分は自分で稼ぐのが道理だからな。なに、大人から盗みを働くくらい器用なお前に出来ないことはないさ」
思ってもみない提案にテスファはぽかんと口を開けたまま固まっている。
「嫌か?」
ジャミールが顔を覗き込むと彼はブンブンと首を振った。
「俺、精一杯働くよ。この町のみんなにも迷惑かけたし。……盗っ人のガキだって嫌う人もいるだろうけど」
目の前でどんどん話が進み、一人蚊帳の外となってしまったピアンキだがジャミールの機転とその厚意に感謝していた。
連行されるテスファを助ける為、衝動的に引き取るなどと言ってしまったが、王であるこの身では連れ帰る事も出来ず再び路頭に迷わせるだけだっただろう。
「ああ、でも引き取ったのはお前だったなタリク。テスファ、こいつについていけば俺より遥かにいい暮らしができるぞ」
ジャミールはそう言ってそっとテスファの背中を押した。
「でも……」
何か言い淀むテスファの後押しをするようにピアンキは言った。
「いや、彼は君の元で働くと言ったんだ。俺も君にこの子を託したい。縁もゆかりもない俺よりも同じ町に住む君の方が彼も安心すると思うんだ。どうだ、頼まれてはくれないか?」
「飯代にしては少々荷が重い気がするが。まあ自分が言い出した事だ。お前が承諾してくれるなら責任を持って預からせてもらおう」
「恩に着る」
ピアンキはそう言って再びテスファの前に屈み込む。
「元気でな。彼の言いつけをちゃんと守るんだぞ」
「分かった。……また会える?」
「ああ。必ず」
ピアンキはそう言って踵を返す。
「もう行くのか? 相変わらずせわしい奴だな」
確かに、顔見知りになったとはいえ互いにその正体は明かさぬままだ。ジャミールは少し名残惜しそうにそう言った。
「ああ。急用が出来たんだ。暫くここには来られないかもしれない」
「……そうか。じゃあまたその時まで」
「——あっ、ありがとう」
ピアンキの背中にテスファの震える声が響く。勇気を出して放ったであろうその言葉にピアンキはもう一度振り返り笑顔を向けた。
民には民の、王には王の役目がある。彼にテスファを託したならば自分は王として民の思いに応えねばなるまい。
王宮に戻るなりピアンキは真っ先にカシムの姿を探した。
「陛下、随分と遅いお帰り——」
「着替えを用意しろ。それから馬を出せ。今すぐだ」
王の前で取り繕うこともせず不服そうなカシムの言葉を遮ってピアンキは命令を下す。
「は?」
カシムは間の抜けた声を上げ主を見つめた。
「今すぐってこんな時間に一体どこに行くおつもりですか!」
とんでもないとばかりにカシムは王を叱責した。外は既に薄暗く、夕闇が迫っている。そんな時間に一人で出歩くのはあまりにも危険だ。
「むしろ移動するなら夜でなければならないだろう」
王は何を言っているんだと言わんばかりにカシムをねめつけた。
王の言うことはもっともだ。太陽が照り付ける日中に移動することは人や動物の体力を奪うだけでなく、貴重な水を浪費し熱中症などを引き起こす原因となる。そうでなくともサソリや蛇といった危険生物、予告なしに発生する砂嵐など砂漠には様々な危険が潜んでいる。そんな中少しでもリスクを減らすことが厳しい環境生き抜くカギとなるのだ。
「陛下。仰ることは分かりますがあまりにも急では……」
言ってみたところで王が意思を変えるつもりはないことをカシムはその表情から読み取っていた。そもそもこの男が意見を曲げることなど有り得ない。一度言ったことは意地でも突き通す男だ。
カシムは深くため息をつき、言われたものを素早く手配する。
「念の為替えの服も用意してくれ。万が一汚損があった時の為にな。他国の要人達にみすぼらしい格好を晒す事になれば国の威信をも下げかねない」
「一体どこへ行くおつもりですか?」
鋭い視線に臆する事なくピアンキは答えた。
「テーベに行く。そうだな、往復でも五日はかかるから大体十日くらいで戻る予定だ。それから——」
「いい加減にしてください。陛下、貴方はこの国の長なのですよ?その身に万が一の事があったら——」
「長だからこそ、私は今すぐにでもこの国を、民を救わねばならぬ。それに私1人の命が何だというのだ。こうしている間にも数多の民が飢えや病気に苦しみ、死に絶えているのだぞ」
ピアンキの脳裏に泣き叫ぶテスファの顔がよぎる。
自ら町へ赴き、その現状を目にしていながら自分は軍を強くする事ばかりに目がいっていた。国を強くする為にはそれが最善の道だと思っていた。
しかし現実を突きつけられ、ピアンキは悟った。国とは民なのだ。民が国を作り、豊かにする。彼らが苦境に立たされ、命の危機に晒されているこの現状を何としても変えなければならない。そして何より、これ以上民が嘆き悲しむ姿を見たくはなかった。
「陛下——。この数時間の間に一体何があったというのです? 恋人と会っていたのではなかったのですか?」
「あ……いや。彼女と話をしただけだ。この国の現状について」
ピアンキは悟られぬよう精一杯の嘘をついた。
「我が国の現状を? そのように高尚な話をされるとは知見の広い方なんですね」
カシムは感心したように言ったが、それが皮肉なのか本心なのかまるで見当がつかない。その居心地の悪さにピアンキは強引に話を切り上げた。
「とにかく、私はすぐにここを発つ。不在の間は宰相であるホルに指揮を取るように伝えよ。……まあ伝えずとも好き勝手やるだろうが」
返答に困ったのだろう。主の嘆きにカシムはただ苦笑するだけだった。
「だが、この王宮の冷戦にも終止符を打たねばならぬ。その為にも、今回の遠征は重要なのだ」
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