第3話 フェリー乗り場
フェリーの待合所の椅子で伸びている私に、チャラ男は付き添ってくれた。
「君は先に宿に行っていなさい」
今は18時。もうチェックインの予定時間は過ぎている。
「死にかけのおっさん置いてけないっしょ!」
「私は本土に帰る」
「せっかくここまで来たのに?!」
ここでやめたら全て水の泡。過呼吸になりかけで宿に長期宿泊の電話を入れたのも、甥っ子の楓に一ヶ月間泊まり込みで犬の世話を頼んだのも、東京を出て人と船に酔いながら宮城県のこの蛍島に辿り着いたのもーー。今諦めれば全ての苦労が無に帰すこととなる。
「てか名前聞いてなかったよね、俺辰巳遊星」
「田端俊彦です」
「なんて呼べばいい? 俊ちゃん? それとも彦りん?」
「何でも」
「ほいじゃ、彦りんって呼ぶねん☆」
変な渾名だが具合が悪過ぎてどうでも良い。
やがてチャラ男は待合所に来た若い女の子達を口説き始めた。まだ吐き気と頭痛は止まない。
不意に戸が開き和服姿の40代位の女性が現れた。凛とした色白で小柄な女性だった。黒髪を後ろで纏めている。
「田端さんと辰巳さんですか?」
女性の声でピンときた。予約の電話対応をしてくれた人に違いない。
「そうだよーん」と額ピースで答えるチャラ男。
女性は微笑んだ。
「潮騒荘女将の叶律子です。夕飯の時間になっても来ないので、心配で迎えに来たんですよ」
久しく母と妹以外の女性と接していなかった私は、極度に緊張した。
「遅れてさ〜せん! 彦りん行くよ!」
重い体を引きずり外に出る。まだ回復していないが叶さんと会い力が漲った。心臓が高鳴りときめいている。久しぶりの感覚だった。
律子さんに促され、駐車場のマイクロバスに乗り込んだ。
「今日の夕飯何?」
「着いてからの秘密です」
遊星と女将が楽しげに話す間も、桃太郎を思い胸が苦しかった。病院の時以外一時も離れたことはなかった。桃太郎に会いたい。ピンクの舌を出して私を見つめる円な瞳が恋しい。
涙が溢れる。
「桃太郎……うおぉぉぉん!」
「どうしたの、彦りん?!」
「田端さん、大丈夫ですか?!」
突然泣き出した中年男に二人は内心ドン引きしているに違いない。
「桃太郎って誰ですか?」
「飼い犬です……」
しゃくりあげながら愛犬の話をした。
「犬も家族だから離れると寂しいですよね」と律子さんが共感してくれた。
「夕飯食べたら家に電話しなよ。ワンコと話したら?」と遊星。
「そうですね」
ふと窓の外を見ると、山に向かって広がる田圃の周りに小さな光が舞っている。
「あれは……」
「蛍ですよ、珍しいでしょう?」
律子さんが答える。
「本当だ、すげ〜!!」
遊星は子供みたいに感激している。
「夕食の後蛍ツアーやりますが、来ますか?」
「行きまーす!」
我先に手を挙げる遊星。
ツアーは魅力的だが、他の宿泊客と一緒は緊張しすぎて死ぬ。
「私は遠慮しときます」
「え〜、彦りんも行こうよ〜ん!」
遊星はバカップルの片割れみたいに私の肩を揺らした。
「きっと感動しますよ」
「……考えておきます」
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