手記 二
妹は気配りができる人間でした。家で僕と他愛ない話をすることはあっても、僕を心配させまいとしてか、自身の悩みや不安を打ち明けることは一切ありませんでした。
妹は外見にこだわらず、周りと異なる価値観を持つ人間だったので、妹のクラスメートが僕のクラスメートと同類ならば、陰口を叩かれているかもしれないという懸念が少なからずありました。両親は仕事で家にいないことがほとんどだったので、妹の悩みを聞いてあげられる人間は実質僕しかいませんでした。
それでも妹が何も言わなかったので、この時の僕は妹に問い詰めようとしませんでした。妹の苦しみをすぐにでも聞き出そうとしなかったのは、僕の罪のひとつです。
妹の隠し事を知ったきっかけは、学校のクラス内で囁かれた噂話でした。
友人の一人が言うには、一年生がいる一階の女子トイレで、一人の女子生徒が集団でいじめられているところを、ほかの生徒が目撃したとのことでした。それを聞いて嫌悪感を抱いたものの、僕は妹のようにできた人間じゃないので、その時点でいじめを解決しようという正義感は芽生えませんでした。そのうち先生たちの耳にも入り、いじめが白日の下に晒されるだろうと、他人事のように聞き流していました。
しかし、そのいじめの被害者が妹であるならば、話は別です。
妹に対するいじめを目の当たりにしたのは、噂を初めて聞いてから二週間後の、僕が友人たちと一緒に学食を買いに行ったときのことです。食堂に向かうと、うどんの器を乗せたお盆を持って、一人で席に座ろうとしている妹を見かけました。妹がいるなと、ぼうっとその姿を目で追いかけていると、突然妹が何もない所で転び、床にうどんを打ち負けてしまいました。
周囲は驚きの声を上げ、そして白い目を向けるとともに呆れた声を上げました。うどんの汁で顔と制服が汚れた妹を誰も助けようとしなかったので、僕は一目散に妹の下へ駆け寄りました。
その時に、妹の背後でにやついている三人の女子生徒を目撃したのです。
怪訝に思う僕の視線に気づくと、その女子生徒たちはすぐさま僕たちから目を逸らし、逃げるように人混みの中に紛れていきました。妹は悄然としながら黙り込んでいましたが、僕はあの女子生徒たちが妹を突き飛ばして転ばせたのだと直感しました。
ですが、それを立証することはできないので、ひとまずは妹を庇うことだけを考えました。厨房から雑巾を借りて床を拭き、雑巾とともにお盆と器を返却し、妹を連れて速やかに食堂から退散しました。
人目を避けるように廊下の端まで渡り、周囲に誰もいなくなったところで、僕はハンカチを取り出して妹の顔や制服にこびりついたうどんの汁を拭きながら、何があったのかを問い詰めました。
妹は怯え出して、すぐに話そうとしませんでした。誰かにいじめを打ち明けたときの報復を恐れているのだと察しました。それでもなお、僕は「話さなければいつまで経っても辛いままだ」と説得しました。それを聞いてようやく、妹は自分がいじめられていることを打ち明けてくれました。
妹はクラスメートの女子の中心的グループにいじめられているとのことでした。「視界に入ると目が腐る」などと言われ、丸めた教科書で頭を何度かど突かれたそうです。
学校中で噂になっている件についても話してくれました。いじめの主犯たちにトイレに呼び出され、濡れたモップを顔や髪、制服に押しつけられたとのことでした。
主犯たちの視界に入るだけで暴力を振るわれるので、授業以外はいつも人気がない体育館裏のトイレに引きこもっていたそうです。それでも飽き足りないのか、最近では授業中に物を投げたり、授業後に妹をすぐさま捕まえていじめたりしてきたと教えてくれました。それらのいじめが、公衆の面前で嫌がらせを受けるくらいにはエスカレートしているのだと、僕は事の深刻さを理解しました。
僕はすぐにでも両親や担任の先生に相談するよう促しましたが、妹はそれを拒みました。「毎日仕事で忙しいお父さんとお母さんに迷惑をかけるようなことはしたくないし、その後加害者たちにどんないじめを受けるか分からないから怖い」とのことでした。僕は説得を続けようとしましたが、妹は「三年間耐えればいいだけだから」と言い張り、その場から逃げ出してしまいました。
それからしばらく、妹は僕にいじめのことを話そうとしてくれませんでした。家にいてもいつも通り振る舞い、妹は両親や僕を心配させまいと努めていました。
僕は不本意ながら、事を荒立てたくない妹の意思を尊重することにしました。変に言いくるめようとして妹を刺激してはならないと考え、今まで通り一緒に過ごすことで妹に寄り添いました。
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