手記 六

 ごみの言いつけどおり、帰宅した僕は荷物をまとめることを強いられ、間もなくして家出を余儀なくされました。持ち出せたのは衣服と身分証明書、あとは財布とスマートフォンくらいで、ほかの家具などは何もかも持ち出すことが許されませんでした。

 近くの役所で転出の手続きなどを済ませた後に、賃貸会社へ赴きました。アパートの契約が完了するまで一か月ほどの期間がありましたが、その間ですら家にいることを許してはくれませんでした。つまり、ホームレスとしての生活を強いられたのです。

 生活費として二十万円をよこしたので、それを取り崩して食料を確保しました。下手に金は使えないので、スーパーに行ってバナナだけを購入し、一日二本食べて飢えを凌ぎました。これからのホームレス生活に備えて、スーパーでは余りの段ボールも何枚か頂きました。

 実家と学校から離れた場所にある公園を見つけ、隅のほうに段ボールを広げて寝床にしました。幸い、そこには先人のホームレスが何人か暮らしていたので、ほかの場所と比べて警察にあまり絡まれないだろうという安心感がありました。それでも未成年がホームレス生活をしているのは問題なので、パトロール中の警官を見かけた際は、物陰に隠れて見つからないようにしました。

 食事以外の散財はしないようにしました。日に日に髪や体が脂ぎり、悪臭が鼻を突きましたが、高い金を払って体を清めるくらいなら生活費を確保したほうがいいと考え、銭湯には行きませんでした。

 スマートフォンも充電する手段がないため、電源を切ったままにしました。もしかすると妹から何か連絡があるかもしれないと思い、寝る前に毎回電源を入れて通知を確認してみましたが、結局一度も連絡が来ることはありませんでした。ごみどもに僕との連絡手段を断たれたのだろうと想像しました。充電が少なくなってきたところで、賃貸会社との連絡を優先し、それ以外の目的でスマートフォンの電源を入れなくなりました。

 ホームレス生活を送っている間も、妹が無事でいるかどうか、やはり心配でなりませんでした。今振り返ると、無理にでも妹の様子を見に行けば良かったと後悔します。みっともない言い訳でしかないのですが、ホームレス生活に耐えるのに精一杯で、そのような考えを思いつけるだけの余裕や気力がほとんどありませんでした。

 路上で寝起きするたびに地面に正の字を書いて数えながら、アパートの契約が完了する一か月まで待ち続けました。正の字がむっつ並んだところで、久々にスマートフォンの電源を入れてみると、賃貸会社からの着信がありました。僕は段ボールを公園のごみ箱に捨てて後始末をしてから、賃貸会社に足を運び、いくつかの説明を聞いた後に鍵を受け取りました。

 最寄り駅の電車に乗って三十分ほど移動し、それから少しばかり歩いて新居のアパートに到着しました。二階建てのアパートでしたが、染みみたいな外壁の汚れが目立っていました。ごみが適当に選んだのでしょうが、妹に寄せつけないように、実家や学校から遠く離れた場所を選ぶことだけは抜かりなくやったようでした。

 部屋に入ると、中は壁紙やフローリングの傷が所々目立つ、窮屈なワンルームでした。空っぽの部屋でスマートフォンを充電しながら、僕はシャワーを浴びて一か月ぶりに体を清めました。

 服を着替え終えると、僕は新居の近くにある役所へ向かい、転入の手続きを済ませました。やらなければいけないことがようやくひと段落ついたところで、僕は久々に妹の姿を見たいと思うようになりました。一目見るだけで十分でした。

 淡い期待を抱きながら一回だけ妹に電話してみましたが、ごみどもが着信拒否の設定をしているようで、やはりつながりませんでした。夕方まで時間があったので、ごみどもはまだ仕事で帰宅してこないはずだと思い、僕は足を早めました。

 役所の最寄り駅に向かって電車に乗り、僕は密かに故郷へ戻りました。電車から降りると、着ていたパーカーのフードを被り、人目を避けながら実家へ向かいました。

 住宅街を歩きながら、僕は妹を一目見る方法を考えました。妹も退学処分を受けて間もないので、実家からほとんど出ていないだろうと想像しました。実家に妹しかいなければ、直接会うことも不可能ではないかもしれません。まずはピンポンダッシュをして様子を窺い、玄関から妹以外に誰も出て来ないことを確認してから会いに行こうと考えつきました。

 考えが定まったのと同時に、実家の屋根が次第に見えてきました。慎重に門まで近づいてみたところ、信じられないような光景が目に飛び込みました。

 実家の門にはトラテープが張り巡らされており、大勢の警官が実家に押し入って検視していたのです。道路の脇にはパトカーが何台か停められており、その横では大型のカメラやマイクなどを持った報道陣がこぞって撮影をしていました。

 太鼓をばちで叩いたかのように、心臓が激しく動悸しました。慌ててその場から離れ、辛うじて実家の中が見える所から様子を窺うと、ごみどもが涙目になりながら警官の事情聴取を受けているのが見えました。その一方で、妹の姿はいくら捜しても見つかりませんでした。

 スマートフォンを取り出してニュースアプリを起動してみても、実家に関する事件の報道は見当たらず、目前の出来事が直近のものであると理解しました。ならばと、今度はXのアプリを起動し、実家の住所で検索をかけてみたところ、事件の真相を語ったポストが散見されました。

 一番恐れていたことが現実になってしまったのです。ポストの内容は、妹が部屋の中で首にペンを突き刺して自殺したというものでした。

 天地がひっくり返ったかのように、視界がひっきりなしに歪み続けました。足元が崩れ去り、底なしの大穴に頭から落っこちていくような錯覚に陥りました。

 もう何をしようと、何を思い煩おうと、妹がこの世に戻ってくることはありません。手遅れになったのです。僕は妹を守ることができなかったのです。立つことすらままならずにいる僕の心に後悔と罪悪感が募り、鉛のように重くのしかかりました。

 僕は、妹が前に、たんぽぽのように何度踏まれようと歯を食いしばり、いつの日かきれいな花を咲かせたいと語っていたことを思い出しました。結局、妹というたんぽぽは、ごみどもに好き放題され続けながら、花を咲かせることなく朽ち果てました。

 僕には妹の亡骸を土に埋めることすら叶いません。己の無力さを呪いました。あまりにも情けなくて、近くの電柱に寄りかかり、フードを脱ぎ、額が割れて電柱に血が滲むまで頭を打ちつけました。

 しかし、やはり何をやっても無駄なのです。妹はもう戻ってこないのです。溢れ出す涙すら血で滲んでいるように思えました。地面やパーカーを赤黒く汚しながら、僕はすでにこの世を去った妹に対し、ごめん、本当にごめんと、心の中で何度も繰り返しました。

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