居祈 (性描写あり)

 その夜の宴は、馴染みのあった妖や獣が社の広間に押しかけて盛大に行われた。酒や料理が振舞われ、どんちゃん騒ぎが夜半過ぎになってもまだ続いている。葦翠はその体で酒を飲めないが、元神様だけあって皆の楽しむ様子を見るのが楽しいようだ。居祈は臓物がないため飲み食いしても身にはならないが、付き合い程度に口に入れた。


 途中、静けさが恋しくなり、居祈はそっと宴会場を抜け出した。辰巳はこういう場所には来ない。居祈は久しぶりに一人になった。社務所の縁側に腰掛ける。今夜はきれいな満月だ。こうして見上げていると、鬼界で出会った仲間のことを思い出す。


 豺狼は元気でやっているだろうか。

 大禍様は願いを叶えてくれただろうか。 

 

 一陣の風が吹いて、ふいに誰かが後ろに立ったような気がした。けれど、振り向いても誰もいなかった。自室の中を覗いても誰もいない。誰かの気配がしたのは秋風の悪戯だろうと思いかけたとき、和室の布団の枕元にきらりと光る着物が畳んであるのに気が付いた。


 銀糸が織り込まれた薄水色の羽織り。青鬼に着物を借りる際、脱いでそのまま置いていってしまった。それが今、どうしてここに――。


「……豺狼?」

 返事はない。

「これを届けてくれたのは、豺狼でしょ?」


 居祈の部屋はしんとしたままだ。

 仮に届けてくれたのが豺狼だとしても、いつ届けてくれたのかは分からない。とっくに置いて帰ったのかもしれない。それでも声をかけたのは、万一答えてくれることを願ってのことだ。

 向こう側から宴の声が聞こえる。あのどんちゃん騒ぎが許されるなら、もう少し独り言をつぶやくくらい、許されてもいいと思った。

「おれが豺狼だと思う理由はね、大禍様に仕える青鬼様が、わざわざ人の世に忘れ物を届けるなんてことしないだろうと思うから。青鬼様は君に頼んだんじゃないのかな。これをおれに届けるように。君ならその仕事を狐兎に任せたりしない。未知の世界に大事な人を送り込むなんて、君なら絶対しないだろ? 今、気配がしないのは、君が隠滅の術を使っているからだ。そうでしょ? 豺狼……」


 居祈は誰もいない部屋でひとりつぶやいて自嘲的に笑みを浮かべる。


 その時だった。


 急に腕をつかまれて布団の上に押し倒される。次の瞬間には術者の空間に引き込まれていた。豺狼の辛く切なげな瞳が居祈を見下ろしている。


「俺の知りたいことは、そんなことじゃない……!」

「豺狼……」

「なんで何も言わずに立ち去った? そんなに俺が怖かったのか? 俺が、あんなことしたからか……!?」

「ち、違う ……っ」

 豺狼の唇で口を塞がれ、続きを話すことができない。取られた両腕が頭上で大きな片手に押さえつけられる。混乱する頭で豺狼の口づけに必死で応えるうちに居祈はだんだんぼうっとしてきた。もう片方の手で腰や腿をまさぐられ、声を漏らし体をよじる。

「豺狼こそ、どうして……」

「何がだ?」

 豺狼は少し怒っている。

「おれ、今、どこも怪我していないのに」

 豺狼がこうなるのは、居祈の血の匂いのせいだったはず。怪我もなく血も流していないのに、豺狼が理性を失う理由が思い当たらなかった。

「その利口な頭で考えればすぐわかることだろ。俺がこうなるのは、お前の血だけのせいじゃないってことだ……!」

 豺狼は自分の黒装束を剥ぎ取って、既に着物を着ているとは言えない居祈の胸に伸し掛かる。解放された居祈の腕は豺狼の背中を掻き抱き、甘い声を漏らしてされるがままになる。手荒にはじまった愛撫も、豺狼が落ち着きを取り戻すとともに優しい手付きに変わり、居祈が求めて二人は再び結ばれた。初めてのときよりもずっと奥深くに互いを感じる。同時に果てたあとになっても、豺狼はたっぷりと時間をかけて居祈のいたるところに口付けた。


「こんなことして、豺狼は狐兎と夫婦になったんじゃなかったの?」

 居祈は布団の中で豺狼に背を向けた。

 そうだと言われたら辛い。あのときと同じ。あんな思いはもうしたくないから、あの蔵を去り、せめてもの償いに二人の幸せと一族の繁栄を願ったのに。


「知ってたのか」

「うん」

「狐兎は確かに親が決めた許嫁の一人だった。でも、俺は一度も本気で考えたことなんてなかった。結婚を決めた親も、もういない」

「でも、狐兎と結婚して一族を復興させる義務があるんじゃないの? 一族の頭として」

「それなんだけどな」

 豺狼は頭を掻いた。

「お前、大禍様に俺の一族が栄えるようにと願っただろ?」

 こくんと頷く。

「お前が去ってからしばらくして青鬼に呼び出された。何の用かわからなかったが、俺の血と魔犬の面を差し出せと言われた。断らない方が一族のためだと脅されて、それがお前の願いだとも聞かされた。しかたなく貸すだけだと言って渡したら、返されたとき魔犬の面と一緒に狐兎くらいの雪狼の子供がわんさかついてきた。今は元の一族の数の倍はいる。青鬼曰く、『その子らは大禍様が御前の血と魔犬の面から生み出した雪狼だ。紛れもないお前の家族だから一族に迎え入れて大事に育てろ』と」

 居祈は驚いて豺狼の方に体を向けた。

「ごめん。おれ、そんなことになるとは思わなくて」

「まあいいさ。急に増えた一族をまとめるのは大変だが、そのなかに狐兎が気に入る相手が見つかった。俺なんて、『兄様、ごめんなさい』って泣いて謝られたよ」

 くすくすと肩を震わせる居祈を豺狼が抱き寄せる。

「そんなに笑うことないだろ?」

「ごめん。でも、豺狼が断られるところを思い浮かべたら、つい」

「衣神…… 居祈……」

「なに?」

「俺は長くここへはいられないが、また会いに来てもいいか」

 居祈は離れたくないというように豺狼の首に腕を絡めて抱きしめる。

「うん…… また来てよ。必ず。おれはここに居て、君が会いに来てくれますようにって、ずっと祈って待っているから」




     了


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神様の鬼界で奇怪な英雄譚*神と入れ替わって天界に行くはずが鬼界に送られてしまったので鬼界経由で天界を目指します。 あしわらん@創元ミステリ短編賞応募作執筆 @ashiwaran

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