われはロボット掃除機2

秋待諷月

He will be back.

 我が名は「ああああ」! 東の測量事務所よりこのオフィスに来た!

 ――自我を持つ稀有にして誇り高きロボット掃除機たる私の、この不愉快千万な名前の由縁は、前作「われはロボット掃除機」で語っている。わざわざ読んでくれずともいい。むしろ何もかも無かったことにしたい。




 さて、冒頭からの壊れたテンションとメタ発言から分かるように、私は現在、正常な精神状態ではない。具体的に言えば浮かれきっている。

 それもそのはず。今、私の目の前には、砂と埃と汗臭い野郎共にまみれた窮屈でむさ苦しい職場ディストピアとは比べものにならない、素晴らしい光景が広がっているのだから。

 床面積十平米ほどの、コンパクトなオフィスルームである。石目調のフロアタイルをランダムに貼った床の中央に、シンプルなスチールデスクが向かい合わせに四台置かれ、机上には計八台ものデスクトップPCと一台のノートPCが整然と並ぶ。デスクやモニターの数に対し、オフィスチェアは一脚のみ、ノートPCが載ったデスクに備えられている。壁際にはスチールキャビネットが一台と、ケトルやコーヒーメーカーが載ったワゴンラック。他に床と接しているものと言えばポトスの鉢植えくらいのもので、ブラインドカーテン越しに差し込む柔らかな日差しに照らされた室内は几帳面に整頓されていた。

 無駄なものが排斥された室内はそれだけでも美しいが、加えて管理者がまめに掃除をしていることが明らかで、床には綿埃一つ見当たらない。さらに、これだけの数の電子機器が導入されているにも関わらず、コードの類は床下やオフィス家具の見えない場所に巧みに収納されている。非の打ちどころのない完璧なケーブルマネジメントである。

 私の移動を阻むものなど何も無い。このような環境でこそ、私の本領が発揮されるというものだ。

「少しの間だと思うけど、自分の家のつもりで寛いでね」

 私の耳――音声認識機能は無いため、心で聴いていると理解されたい――に快い、美しい声で私に優しく語りかけるのは、このオフィスを管理する年若い女性である。栗色に染めた長い髪を一つに括り、ベージュのパンツスーツを隙無く着こなした姿は凜々しい。

 玄関扉横のプレートに印字された社名は、「ハニービー・データ・ファクトリー」。代表者名は「蜂須賀はちすか」とあった。

 以前、測量事務所で社員らが話していた情報によれば、ここはこの女性が経営し、かつ、すべての業務を担う、いわゆる一人会社というものらしい。

 そんな会社のオフィスに、どんな由縁で私がお邪魔しているのかと言えば。

「それにしても、困った同僚さんたちね。あなたが家出したことに気付かないだなんて」

 私を見下ろしながら蜂須賀女史が肩を揺すり、呆れたように苦笑した。


 そう。目下、私は家出の真っ最中である。 


 ただし私は、何も好きで家出をしたわけではない。いや、好きにできるのならば喜び勇んで欣喜雀躍――これも心の弾み方の問題だ――しつつ最高速度で脱出するのだが、自我があっても思いどおりに動くことができない私は、あのディストピアからの逃亡を試みることすら敵わない。

 つまり現状は、私が意図してのものではないということだ。




 かいつまんで話そう。

 今から約一時間前。私は本来の職場である測量事務所の玄関付近で、粛々と清掃業務に励んでいた。

 そこに、留守番を仰せつかっているにも関わらずコンビニに弁当を買いに出掛けていた不届き千万な若手社員・鈴木が大慌てで帰ってきた。「財布忘れた!」と、やかましく叫びながら。事務所は無人だったのに、一体誰に伝えていたのか。

 悲劇はここからである。

 けしからぬことに、鈴木は玄関扉を全開にしたまま事務所内に飛び込んだ。折り悪く、扉の近くで働いていた私は、壁伝いに移動した結果、開けっ放しの玄関から外へと滑り出してしまった。

 そこに、財布を持って再び姿を見せた鈴木は、あろうことか私が外に出ていることに気付かぬまま扉を閉めて施錠し、徒歩十五分のコンビニの方角へ猛然と走り去ったのである。

 私が意図せず事務所の外へ出てしまったのは、これで二度目。一度目はすぐに連れ戻されたが、今回は気付いてくれそうな者どころか、他の社員が誰もいなかった。つまり野放しだ。

 野良猫やスズメに遠巻きにされながら、それでも健気にアスファルトの砂利をせっせと掻き集めていた私は、勢い余って車道まで飛び出してしまった。迫り来る三トントラックに危うく轢き潰されそうになったところ――私を抱え上げて救出してくれた女神こそが、他ならぬ蜂須賀女史だったのだ。

 周囲には測量事務所を除いて他にそれらしい施設が無かったため、私がそこの所員であると見当をつけた女史は、私を引き渡すべく事務所のインターホンを押した。が、一向に返事は無かった。留守番の鈴木が職務怠慢中だったためである。

 玄関先に私を放置することもできたのだろうが、女史は逡巡の末、「外に出ていたロボット掃除機を預かっています」とメモ書きした名刺を玄関扉に挟み、ひとまず私をオフィスまで連れ帰ることにしたのだった。

 女史曰く、「精密機器を外に出しっぱなしは、ちょっとね」。


 精 密 機 器 !


 素晴らしい、よくぞ言ってくれた! その心がけを全人類に見習わせたい!

 そう、私はロボット掃除機。正真正銘、繊細な高性能精密機器だ。決して、コーラをぶちまけたベタベタの床上を走らせたり、文書ファイルを搭載させてカラクリ人形のごとくデリバリーに利用したり、挙げ句の果てに表面についた埃をキャニスター掃除機でガシガシ吸引するような扱いが許されるはずがないのである。

 聞こえたか鈴木。聞こえるはずがないが、耳の穴かっぽじって聞くがいい鈴木。全てが貴様の犯した罪だ。




「それにしても、あなた、随分汚れてるわね。傷だらけだし、よっぽど長い間外にいたのかしら」

 しゃがみこんだ女史が話しかける相手は、間違いなくこの私である。彼女はどうやら、機械相手に会話をするタイプらしく、先ほども帰ってくるなりコンピューターに向けて「みんな、ただいま」と告げていた。変人と評されれば否定はできかねるが、日頃ロボットの人権問題に心を傷めている私だけに、このように話しかけられて悪い気はしない。ちなみに鈴木に話しかけられると殺意が湧く。

「このまま返すのも気が引けるなぁ」

 そう呟きながら、女史は床に広げた経済新聞の上に天地を逆さまにして私を置き、使い捨てのマスクと手袋を装着する。そして驚いたことには、私のメンテナンスに取りかかったのだ。

 機械の扱いに慣れているのだろう。私の本体からダストボックスとブラシ類を手際よく取り外し、機械用と思しき細かな毛先のブラシを使って内部に詰まった埃を除き、乾いた布でセンサーや部品を丁寧に拭っていく。

 至福である。身も心も洗われていくようだ。

 私が酷く汚れているのは、何も、長時間野晒しになっていたからではない。元々の事務所で散々な扱いを受けていた上、禄に手入れもされていなかったがゆえだ。それがもはや当たり前になってしまっていたが、女史の白魚のような手に癒され、恍惚としながら、私は本来の職場の悲惨さを改めて思い知らされた。

 これだ。これこそ最高の職場環境。理想郷ラピュタは本当にあったのだ!




 綺麗になった部品を元通りの位置に収められ、上下を返されれば、生まれ変わったような心持ちがして実に清々しい。センサーを拭ってもらったためか、視界まで明るくクリアになった気がする。

 動作確認のためだろう、女史が私のホームボタンを押下すると、ピコリン、と、作動音がいつになく明るく響いた。ふふ、と女史が朗らかに笑う。

「このままお迎えが来なかったら、うちの社員になる? なーんてね」

 冗談めかした言葉に、デスクトップPCたちがヴゥンと虫の羽音に似た音を立てて笑ったように聞こえなくもなかったが、私にとっては死活問題である。迎えなど永遠に来なくていい。ここで働かせてください。ここで働きたいんです!

 ――と、そんな私の切なる願いを嘲笑うかのように。

「すんませーん」

 聞き慣れてはいるが、聞くだけで血圧、もとい、電圧が上がりそうな、耳障りな男の大声がした。

 同時にインターホンのチャイムの音と、オフィスのスチール扉を叩くノックの音。どれか一つで用は足りる。足りていないのは、音の発信元の脳味噌だ。

 女史が「はぁい」と応じつつ扉を開いた向こう側には、見慣れた作業着に身を包み、片手にコンビニのレジ袋を引っかけた若造が、馬鹿面を下げて立っていた。

 憎き私の名付け親にして、諸悪の根源。脳筋男・鈴木の襲来である。

「あの、うちのロボット掃除機がここにいるって、名刺に書いてあったんで……」

 名乗りもせずに開口一番そう告げながら、鈴木は蜂須賀女史の肩越しにオフィス内を覗き込んだ。そして私と目が合った。正確には鈴木の視界に私の姿が収まった瞬間、鈴木が「あ」と声を出した。

 名刺のメモ書きが真実だと確認できたからだろう、やや強張っていた鈴木の表情が弛緩する。

「いたいた。おい、『ああああ』。お前、仕事サボって他所様に迷惑かけてんじゃねぇよ」

 貴様にだけは言われたくない。仕事をサボってコンビニに走り、結果私の逃走を許して他所様にご迷惑をおかけした男にだけは。

「『ああああ』? あなた、『ああああ』っていうの?」

 女史が目を丸くして私を振り返る。知られたくなかったし認めたくない。おのれ鈴木、普段「ポンコツ」だの「ポチ」だのと私を呼ぶくせに、なぜ今日に限ってその名で呼んだ?

 鈴木は首の後ろを掻きつつ、女史に向かって直角に頭を下げる。

「すんません、ちょっと目ぇ離した隙に逃げ出しちゃったみたいで」

「いえいえ、私はたまたま通りかかっただけです。でも、もうちょっとで車に轢かれるところでした。今後気をつけてくださいね」

 穏やかな笑みを浮かべながら、女史はやんわりと窘めた。もっと言ってやってほしい。できれば責めて詰って罵倒してやってほしい。それで鈴木が妙な性癖に目覚めても困るが。

 女史が床から私を持ち上げて差し出すと、鈴木は再度「すんません」と恐縮しながら手を伸ばした。だが、鈴木はそこで何かに気付いたらしく、「ん?」と声を上げる。

「なんかこいつ、綺麗になってません? もしかして掃除してくれたんすか?」

「ええ、まあ。軽くですけど」

 完璧なメンテナンスを施しておきながら謙遜する蜂須賀女史が、ますます女神がかって見えてきた。鈴木も感じ入ったようで、「マジすか」と、いかにも程度の低い感嘆を漏らすと。

「ホントすんません、汚かったでしょ。こいつ、たまにゴキ●リとか喰ってるし」


 ああああああああああああああああああああ!


 鈴木、貴様! 貴様……貴様ああああああああああ!

 もはや声はおろか言葉にもならない絶叫を上げる私の絶望など知る由もなく、鈴木はへらへらと呑気に笑っている。対する女史は、「え……」と絶句して顔を引きつらせたかと思うと、私を支えていた両手を素早く離して背中に回した。

 パンパン、と、手に付いた忌まわしいものを必死ではたき落とそうと試みる、女史の努力の音がオフィス内に木霊する。八台のデスクトップPCが上げるヴゥンという重低音が、私と鈴木に向けられた威嚇のように聞こえた。




 鈴木の太腕に抱えられ、私は為す術も無く測量事務所へと連れ戻される。

 誰もいない事務所に「ただいまー」と声をかけつつ、床の上に私を置きながら、鈴木は「さて」と妙に嬉しげな声を出した。

「サボってた分、きっちり働いてもらうからな。あとは任せたぞ」

 何かを任され、目の前に広がる光景をセンサーに捉えた瞬間――私は理解した。

 人一倍食い意地の張った鈴木が、慌ててコンビニへ昼食を買いに走ることになった、その理由を。




 床の上は大惨事だった。

 粉々になった大量の即席麺の欠片が散らばり、乾燥ネギやメンマやナルトも同様に四散してささやかに色を添えている。べっとりとした黒色の液体調味料が床に点々と斑模様を描き、中には綿埃と融合してタイルにへばりついているものもある。それらの表面は赤と黄色が混在した微細な粉によって薄化粧を施されており、鈴木の身動きで生じた風でスギ花粉のようにぶわりと舞い飛んだ。あたかもニンニク臭アリルメチルスルフィド唐辛子辛み成分カプサイシンが可視化しているかのようである。

 床に下ろされる間際、傍らのデスク上に見えたのは、側面に「特盛激辛ラーメン・ニンニク200%増量」と記された巨大なカップ麺の容器。中には、比較的大きな乾麺の塊が四つ五つほど投じられていた。

 つまり鈴木は、ストックしていたカップラーメンを昼食にするつもりで、蓋をめくり、かやくと液体調味料と粉末調味料を乾麺の上に投入し、お湯を注ぐために立ち上がったところで――中身を容器ごとひっくり返してしまったのだ。

 大きな塊だけを拾ったはいいが、それ以上の掃除が面倒だった、かつ、空腹に耐えかねた鈴木は、とりあえず昼食を確保するためにコンビニへ走った。そして帰ってきたところで、蜂須賀女史のメモにより私の家出を知り、その足で引き取りに来た。


 この爆心地のような悲劇の床を、他でもない、私に掃除させるために。


 濛々と粉の舞う床を前に、私は呆然とする。背中で「ピコリン」と音がする。鈴木が私の電源をオンにしたのだ。

 私の意思と裏腹に、私は前へと進み始める。そして実感する。


 ――戻ってきた。黄泉の国ユートピアから。




 Fin.

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