SS かんざし

「おーい、三人とも、いるかー」


 ガラリと開けた玄関の中はひんやりする暗さだ。外のまぶしい青空の下から来ると何も見えなくなる。

 横濵の仮支部を置く官舎にふらりとやって来たのは、山代龍久やましろ たつひさ少尉。夏を迎えた陽射しに汗をかいていた。


「あれ、あの。いらっしゃいませ」


 パタパタ出て来た篠田晴真しのだ はるまが上司の姿に面食らいながらペコリとした。

 晴真もいちおう伍長なんて階級に任じられたのだが、そういう振る舞いはできないらしい。まったくこの子は可愛いね、と山代はニコニコしてしまった。


「――なんです、少尉殿」


 無愛想な声でスイと現れたのは、可愛くない方の部下、芳川慧よしかわ けいだ。体も態度もでかい。


「おまえね、その言い方はないだろ。俺は横濵方面支部の土地家屋手続きのために来たんだよ。ここに寄ったのはそのついで!」

「ああ。それはご苦労さまです」

「相変わらず敬意が感じられん奴め……」


 山代は、ほい、と晴真に風呂敷包みを渡した。


「土産だ」

「え。あ、はい。ありがとうございます」

「えー、今の季節スイカとかじゃないんですか?」


 最後に出て来た吾妻喜之助あがつま きのすけだって挨拶もなしだった。たるみきっとるな、と山代は渋い顔になった。


「なんで俺がおまえらにそんな」

「いや、帝都から離れて頑張ってる部下たちなんですから」

「これは篠田伍長への、個人的な物だ」

「――」


 篠田伍長、なんて言われ方に慣れない晴真は反応に困っておろおろしてしまった。

 そして「個人的な」と聞かされた慧は意味がわからず眉をしかめる。なんとなく気に入らない。


「開けてみりゃわかる」

「は、はい。でも先にお茶を淹れます!」


 慌てて台所に向かう晴真の背中を尻目に、山代はさっさと座敷に上がり込んだ。




「……これは、浴衣ですか?」


 風呂敷を開いた晴真は、中身を広げて首を傾げた。


「ああ」

「……いえ、でも」


 お茶を飲みつつ平然としている山代に、晴真だけでなく慧も喜之助も釈然としない顔だ。


「これ、女柄ですけど……」


 紺地に鮮やかな赤や桃色の朝顔が染められた生地は、どう見ても女物。晴真は戸惑いながら不安にかられている。優しい笑顔の山代はウンウンとうなずいた。


「そうだな。だから、おまえにだ」

「だからってなんですか」


 ビシリと慧が抗議した。むっすりと不機嫌な顔。だが山代は今さらそれぐらいで怯まない。


「ウチの姉が仕立ててくれた。着丈も合ってるはずだぞ、立って当ててみろ」

「は、はい……」


 言われたようにすると、本当にぴったりだった。しかも女物としておかしくないようもあらかじめ作って縫ってあるという凝りよう。


「これならおまえでも着やすいだろう」

「……あの、僕これを着て何か任務を」

「いや、ただの趣味」

「は?」

「へ?」


 慧の眉間にしわが寄り、喜之助はポカンとする。山代はかまわずに風呂敷から帯を取り出した。


半巾はんはばまで縫ってくれてな。これで娘姿で夕涼みできるぞ」


 そんなことをしたいと誰が言ったのか。要望もないのに山代の姉は晴真に着せたくて作ってしまったらしい。


「前に着付けた時で大きさはわかったからいける、と。嬉々として仕立ててた。ぜひもらってくれ」

「いや、おかしいでしょう」


 上司の姉のことを悪しざまに言いたくはないが、慧は疑問を呈する。


「手ずから縫ってくれるのはすごいですが、こいつは男です!」

「僕、こんなにしていただく理由がないよ……」


 晴真も困ってしまった。女物を押しつけられて「していただく」も何もないのだが、好意に関してはありがたい。どうしてそんな風に。


「いや、だから趣味なんで気にするな。おまえのことが可愛いらしくて、俺の嫁になってくれないかとブツブツ言ってたぐらいだ」

「よ、め!」


 言われて絶句する晴真と爆笑する喜之助。そして慧はますます不機嫌だ。だがさらに。


「これは俺からだ」


 山代が胸ポケットから取り出した物で全員が凍りついた。

 いくつかの丸く紅い実が揺れる、可憐なかんざし。そんな物を贈るのは好意のしるしと言える。


「――えええっ!」

「全員で悲鳴を上げるなよ。どれ、ちょっと差してみよう」

「え、え。いやんッ」


 山代は三人の反応をねじ伏せて晴真の背に回り、長い髪を手に取る。器用にくるくるとまとめ、かんざしで留めると顔を引いてながめた。


「うん。似合うじゃないか」


 ツ、と添える手がうなじに触れていて、晴真の顔は真っ赤だ。慧は別の意味で紅潮する。


「やま、山代さん! あんた……!」

「なんだ。こいつは可愛いしな。俺は別に、男だろうとかまわん」


 あんた呼ばわりの暴言は聞き流し、山代は涼しい顔。男もイケるだなんて聞いていなくて部下たちは絶句した。


「ああそうだ、このかんざしを買ったのは宿舎そばの小間物屋なんだが」


 ふと喜之助に目をやり、山代は知らん顔で言った。


「あそこの看板娘、見合いして結婚が決まったそうだぞ」

「うげえっ!」


 それはあの、絹子のこと。ここでそんな暴露話を畳み掛けてくるのか。あまりのことに喜之助は畳に倒れ伏した。

 髪をかんざしでまとめたまま冷や汗を流す晴真。

 それと山代を見比べて何も言えない慧。心臓やら胃やらがギリギリと痛む気がして動けなくなる。


「浴衣とかんざしで綺麗にして夕涼みとは目の保養だ。なかなか良かろう?」


 部下たちの三者三様をながめ、山代はひとり、余裕綽々だった――。




          おまけ② おしまい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪しの血を継ぐ者たちは 山田とり @yamadatori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画