SS 梅雨の季節に

「あー、マジ乾かないよコレ」


 吾妻喜之助あがつま きのすけは縁側でため息をついた。軒下に渡した物干し竿には、洗濯物が重そうにぶら下がっている。


「よく降るなあ……」


 チラと見上げれば空はそんなに暗いわけでもない。だがもう三日ほど、シトシト降り続いているのだった。

 梅雨なのだから、そんなものだ。だが洗濯担当の喜之助としては憂うつになる。

 昨日は瘴魔しょうまが現れたと伝令があり、雨の中を仕事に行った。薮に分け入り濡れた土を跳ね上げ、ちゃんと清めることはできたものの、三人とも泥んこになったのだった。


「仕事が立て込んだら、着るものなくなるかもしれないじゃないか。どうしよ」

「――そんな悩みに、このみっちゃんが応えましょうか?」

「うわっ!」


 背後から女の子の声がして、喜之助はビクン、と振り返った。

 そこにいたのは水乞みずこいのみっちゃん。うふふ、と茶目っ気たっぷりな笑顔はプルプルに潤っている。喜之助は目をぱちくりしてしまった。


「あ、いらっしゃい――今日は喉が渇いちゃいないみたいだね」

「……んもう! キノスケさんたら、ちょっと正直すぎるッ」


 水乞はツツと寄ってくると、ひじで喜之助をつついた。今日も少女だ。大人よりやや身長が低くて、トンとされたのは尻だった。


「イテ。あはは、ごめんよ、みっちゃん」

「女ゴコロを傷つけるなんて、ひどいひと」


 愛らしい姿のわりに言うことが微妙に女っぽい。中身が見た目通りでないのは承知だが、どう接するべきかわからなくなる喜之助だった。ごまかし笑いでヘラヘラとしてしまう。


「傷つけるつもりはないよォ。みっちゃんが可愛かったり綺麗だったりするから、俺ドギマギしちゃってね」

「あらん。おじょうず言ってぇ」


 ……ここはどこの飲み屋だ。

 洗濯物の湿った匂いにハッとなって我に返り、喜之助はキョロキョロした。水乞を呼んだのは晴真じゃないのか。何故いない。


「遊びに来たんだろ? 晴真くんはどこ行ったんだ」

「んー、別に。私の気が向いたから来ただけ。ハルマは関係ないわ」

「あ、そうなんだ……?」


 ツーンとする水乞を見下ろして、喜之助は首をひねった。

 まあ湿気が多いこの季節、水乞は絶好調なのかもしれない。ふらふら出歩く気分なのだろう。


「で、キノスケさんお困りなんでしょ?」

「そうだった。洗濯物がさァ」

「そこで私よ」

「――あ!」


 得意げに微笑まれ、喜之助は手をポンとした。もしや。


「そうか、みっちゃんなら」

「おまかせ!」


 水乞は洗濯物に手のひらを向けた。


「きゅうッ」


 シュウゥゥ!

 軽い音とともに軍服の色が変わっていく。水分を吸い取る水乞の力で乾いていくのだ。


「おおっ!」


 これは。

 なんて役に立つ妖怪なんだ。喜之助は感動にうち震えた。

 フウ、と手を下ろす水乞。喜之助はそっと洗濯物を確かめた。


「……パリパリに乾いてる」

「まあ、ざっとこんなものよ」

「すごいな、みっちゃん! ありがとう!」


 礼を言って見下ろした水乞は、さっきよりなんだか背が高かった。喜之助は一歩さがってまじまじと見てしまう。


「今ので一歳ぐらい育った?」

「――かも。やん、あんまり見ないで」

「あ、ごめん」


 女の子をじろじろと、失礼だったか。

 もじ、とした水乞は上目遣いに喜之助を見る。


「ねえ――キノスケさん、どのぐらいの年頃の女なら、連れて歩きたい?」

「へ?」

「あ、あのね、今度また何かごちそうしてもらいたいなぁ、なんて」

「ああ、そりゃもちろん。今ののお礼をしたいな。飲みたい物があるのかい?」


 深く考えることなく、喜之助は尋ねる。またラムネなのか、それとも牛乳か。子ども向けに甘い物や滋養になる飲み物を考えたのだが。


「うふん、あのねえ。コーヒーハウスとか、ビアホールなんてものが出来てるでしょう? そういう所、キノスケさんは行ったことある?」

「ビ、ビアホール? みっちゃんがビヤざけを飲むの?」


 仰天して叫んでしまった。こんな子どもが。

 いや、だから水乞は妖怪。何歳とかそんな概念は通用しない存在なのだが、人の目を考えると、ちょっとそれはどうなんだ。


「飲ませるわけには……」

「もう! だから、何歳ぐらいに見えれば連れて歩けるのかなって」

「……お、大人なら?」


 ざっくりと答えた。

 喜之助と並んで歩いておかしくないのは妻な年頃、あるいは娘ほどの幼さ。さもなきゃ母親の年代だ。一緒にビアホールに行くのなら、娘はありえない。


「ふうん。じゃ、その時にはキノスケさんに似合いの歳になろうっと」

「お、おう……」


 挑戦的に胸元からツンと見上げてくる水乞は、今はほんの少女。だが一度見た、成長した姿はなかなか気の強げな美人だった。

 あれを連れて町に出たら少しいい気分かもしれない。想像してやや鼻の下を伸ばした喜之助だった。


「ほら、湿気らないうちに洗濯物を取り込まなくちゃ」

「そ、そうだな」


 竿を下ろす喜之助。外した服を受け取る水乞。奇妙な二人組だ。


 ――女の子の姿だった水乞を抱き上げたことも謝罪する、ちょっとお人好しのこの男。おかげでこちらも世話を焼きたくなってしまう。

 だって可愛いんだもの。


 水乞みっちゃんはチラリと喜之助を見上げ、ふんわり笑った。とても大人っぽい笑顔だった。




           おまけ① おしまい

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