第22話 日々を、ともに

 真夜中とはいえ豆腐小僧を歩かせるわけにいかないので、ひとまず常闇とこやみにひそんでいてもらう。

 三人で向かったのは吉田町という小料理屋やお座敷の並ぶ繁華街だった。通報してきたのは町役たち。どこのとは決まっていないが、町内の店の台所が荒らされるという。食材が根こそぎ消えてしまうのだとか。


「それ、ネズミじゃないよな?」

「ネズミだとしたら大物の魔だぞ……」


 毎日のようにあちこちの店を空にする胃袋。そんなネズミは嫌だ。


「なあおい、それって豆腐小僧くん、かじられちゃわないか」

「だから喜之助さん、とうふちゃんは豆腐じゃないです」

「あ、本体は人の形の方か……」


 いないと思って失礼なことを言っている。

 彼らが待機しているのは店々の裏口に面する小路。怪異が出たら、その店に呼んでもらえるようにしてあった。

 しばらくして一軒の店から男がバン、と飛び出してくる。


「来たな」


 駆けつけると、番頭とおぼしき男はブルブル震えながら建物の中を指さした。

 三人そろってのぞきこむ。台所からガサガサ、グチャグチャと音がした。


「――怨霊、か」


 闇にぼんやりと人のような影がいた。あらかじめ残してあった小さな灯りに照らされるそれは、生きた人間ではない。

 だって口が大きく開くのだ。ありえないほど伸びる唇。真っ暗な口の中に食べ物が吸い込まれるように消えていく。


「うわあ、気持ち悪っ」

「これは生霊じゃなさそうですね」


 小声で言い合う喜之助たちの横で、慧はさっさと剣を抜いた。見ていても仕方ないので早々に斬る気だ。


「あ、待て。うっかり店を崩されたら俺たちが死ぬ」


 大立ち回りはしないでくれと釘を刺されて、慧は渋い顔だ。相手の動き方がわからないので、そう言われるとやりにくい。


「慧、とうふちゃんに止めてもらうから」

「いや、あの豆腐こそ大きすぎて店が」

「だいじょうぶだってば」


 ふふ、と笑い、晴真は「とうふちゃん」と小声で呼び出した。うずうず待っていた豆腐小僧がポワンと現れる。


「はなしはきいた! うまくやるね!」

「おっと、早いな」


 慧は急いで集中する。あかい炎。そして。


「――晴真」

「ん」


 差し出された、剣を握る慧の手にそっと口づけ、晴真は力をやさしく吹き込む。

 怨霊が安らかに眠れるように。そして、慧が何も滅さずに済むように。

 そして慧も思う。晴真を悲しませないように、と。

 紫に染まる炎は、慧と晴真、二人の願い。


 すちゃ、と豆腐小僧は台所に踏み込む。怨霊の視線がそちらに向いた。邪魔者を嫌うようにグリンと回った目が、手にした豆腐にとまる。

 盆を床に置き、豆腐小僧は叫んだ。


「ちゅうッ!」


 ボンと大きくなった豆腐は、前回より小さめだ。だが怨霊にとっては美味しそうな食材だったらしい、よだれを垂らしながら突進してきた!


「とうふちゃん!」

「こッ!」


 ゴィン――ッ!

 いきなりカチコチになった豆腐に激突し、怨霊はひっくり返った。動かない。


「えええ……」


 困惑しながらも、慧は剣を振ることなく静かに怨霊を刺し、清めた。




「豆腐の角に頭をぶつける、を見られるなんて。ムネアツだよなァ……」


 帰り道、喜之助はしみじみつぶやいた。

 喜之助だって呪符を持ち補佐する態勢だったのに結局見ているだけで終わった。いいとこなしだったが、おもしろいものが見られて満足だ。


「――ぼく、おとうふじゃないもんッ」

「いてッ」


 突如闇から現れた豆腐小僧が、お盆で喜之助を叩いた。豆腐は使ってしまったので盆が空になっている。


「とうふちゃん、出てきちゃだめだよ」

「だってキノスケがしつれいなのッ」

「話、聞いてたんだな! ごめんよぅ」


 ネズミにかじられるのどうの、のことだ。常闇から聞いていたので状況把握ができていたのだと知れて慧は感心した。

 ところで「さん」が取れている。「キノスケ」に格下げされたらしい。前にも崩れそうと言ったりしたから、いいかげん怒ったのか。


「悪かったって。何かおごるからさ、許してよ豆腐小僧くん」

「むぅ……じゃあねえ。がんもどき、たべたいな」


 結局豆腐じゃないか、という心の叫びは押し殺し、喜之助は了承する。ゆびきりをした豆腐小僧は、また闇に消えていった。


「喜之助、妖怪に貢ぎすぎだ」

「あ、ううぅ……」


 慧の指摘に、晴真も吹き出した。水乞にはラムネ。豆腐小僧にはがんもどき。たいした額ではないが、値段の問題ではない。


「どうせなら人間の女に貢ぎたい……」


 そんなつぶやきが夜の闇に溶けていった。





 ――そして、仮設の横濱方面支部官舎において日常は続く。

 晴真が料理、喜之助は洗濯、慧の担当は便所掃除と力仕事だ。

 そんな日々が慧には心地いい。


「あ、ありがと。慧」

「ああ」


 配給された米を台所に運んだ慧に、晴真がちらりと視線をやった。

 だいぶ暑くなり、働く慧は諸肌を脱ぐことも多くなった。もちろん晴真に断ってからそうしたのだが、もう晴真も動揺したりはしない。だが今は、いい体すぎて触ってみたいと思ってしまって自分の頬をペチンとした。


「どうした」

「……へいき」


 久しぶりに赤面してしまう。何、やらしいこと考えてるんだ僕は。ごまかして米袋をポンとした。


「慧も喜之助さんも、よく食べるよね。お米がどんどんなくなる」

「料理屋の怨霊ほどじゃないぞ」

「あれは、ねえ」


 晴真は同情し、少し寂しそうに笑った。

 大食いの怨霊はどうやら付近の店の下働きだったようだ。金を稼ぎ、ぜいたくな飯を腹いっぱい食べてみたいと思いながら、何かで死んだ――と、慧は判断した。


 剣を通じて、ほんのりと伝わる想い残り。

 晴真が受け取ると言っていたあれが、今度は慧に感じられるようになった。それを知った晴真は心配してくれたが、直接触れるよりはずいぶん弱まるのだろう、慧はなんとも思っていない。

 だが、死んだ者の感じていた悲しみ、寂しさ、混乱。うっすらと受けとめるだけでも慧には新鮮な驚きだ。

 生い立ちのせいで心を閉ざしてきた慧は、ようやく人の機微を知ったのかもしれない。それと同時に、人恋しさというものもわかってきた気がする。

 だって、そこにいる晴真を手放したくないと思ってしまうから。


「――慧、さ」


 つい見つめていたら、晴真が振り向いてドキリとした。伏せ気味のまつげが長い。わざとつっけんどんに返した。


「なんだ」

「――まだ、お父さんのこと滅したいって思う?」


 遠慮がちな声は、少しふるえていた。立ち入ったことを言っていると晴真も思っているのだ。


「それは――」


 慧が言葉を詰まらせる。これまでならば容赦なく「斬る」と答えたろうに、言えなくなった自分に気づいた。

 それは晴真のせい。いや、おかげ。

 どんな怪異にも魔にも、抱えた想いがあると晴真が感じさせてくれたからだ。


「――何があったのかは、聞いてみたいかな」


 母と、山神である父の間に、だ。

 考えると胸がしめつけられる。出会い、交わり、育つ腹をなんと思ったか。何故人里に母は帰ったのか。そんなことも知らずにただ憎むのは、幼い子のすることだ。


「よかった」


 静かに言った慧の、わりと穏やかな顔に晴真は安堵した。

 怒りや憎しみは、人を簡単に堕としていく。怨霊に。

 慧たちのような半妖ならば、もしかしたら魔に。そんな慧は見たくなかった。


「僕もね、母さんに訊きたいことがあるんだ」

「ほう?」


 それは、父との出会いのこと。山にいたはずの狐が何故、町に近い稲荷で父と一緒になったのか。


「甘い話とはかぎらないぞ」

「そうだけどね。もう、慧ったらそういうところは変わらないんだな」


 晴真はへへ、と笑う。うつむいた拍子に肩の前に落ちたひと房の髪を、慧はツイと手にとった。晴真の動きがとまる。首筋がほんのり染まった。


「――な、に」

「おまえの髪、狐のしっぽみたいだ。黒いけど」

「――もう! だって半分はなんだからね」


 ぷん、とする晴真を慧は見つめる。やわらかい、まなざし。


「俺も、おまえの母親を探してやるよ」

「へ?」


 不意にそう思ったのだ。

 魔と人の、物語。それを慧も聞いてみたい。自分の両親だけでなく、いろいろな想いがそこにあったのだと知りたい。


 だから、慧は晴真を離さない。

 ともに行くのだ。同じ半妖の身として、寄りそいあって。

 ――静かに微笑まれ、晴真はふんわりと笑い返した。




 * *


 本編はひとまず終わりとなりますが、後日譚をふたつ書きました。

 お時間ありましたら、お楽しみ下さい。


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