狭い世界。前編



旅の途中。どこまでも続くのどかな田園地帯を歩いていると、作業中の人達が大勢見えた。よく見れば、重労働なのに笑い合いながら仕事に勤しんでいる。

老若男女全員が表情も肉付きも服装も良いので、ここは良い労働環境なのだろう。僕の姿を見つけたようで、数名が近寄ってきた。


「こんにちは。」


「こんにちは。」


「旅人さんかな?」


「はい。」


「そりゃあ良い。お急ぎでなければ、道中の話を我々に話して下さりませんか?この辺りは娯楽が少ないので、旅人さんが通ると必ずお願いをしているのです。

勿論、泊まる場所や食事やお礼はします。」


面倒くさいので断ろう。


「すいません。あなた方を楽しませる自信がないので。失礼します。」


頭を深く下げて断ると、全員が落胆の表情をする。でも、僕には関係無い。

先を歩いていると、暫くして一頭の馬があぜ道を駆けてきた。乗っている老人が呼び止めてくる。


「すみません旅の方。私はこの農地を預かっている村長です。先程、村民からの申し出を断られたと聞きまして。

どうか、私からもお願いしたい。あなたの旅の話を皆に聞かせてください。

お礼はお支払いしますし、何日でも私の家に泊まって下さい。」


ここまで頼まれては、無下にする訳にはいかない。よからぬ噂を立てられても面倒だし。


「……はぁ……わかりました。では、1日だけお世話になります。」


「ありがとうございます。では、私の家に案内致します。」


村長は馬から降りると先を歩く。村長の後ろ姿を見れば、服装が村人達と変わらない。いや、私服は違うのかもしれない。

馬は主人に手綱を引かれながら、スキップのような足取りをして嬉しそうに着いていく。余程この主人が好きなのだろう。


案内された村長の家は、想像よりかなり質素な造りだった。客室に案内されるも、飾り気は何も無い。あれだけ広大な農地があるのだから、もっと贅沢もできるだろうに。

僕の様子に気がついたようで、村長ははにかんで笑う。


「できるだけ村民に利益を還元したいんです。若者達がいないと、村は衰退してしまいますから。」


「なる程。」


「私の部屋に良い茶葉がありますので。こちらにどうぞ。」


「ありがとうございます。」


村長の部屋を開けると、6畳の畳部屋にちゃぶ台が一つ。簡素な桐箪笥が一棹だけ。そして、床間に不自然に大きな蓋のついた水瓶が置いてある。人一人は入れそうだ。


「気になりますか?この水瓶は、私が産まれた時に父が買ってきたものでして。私の一部のように大切に使っていたのですが、ある日底が割れてしまいまして。

処分される所を、無理言ってこうして部屋に飾っているのです。」


「思い入れの品なのですね。」


「ええ。私が頑張れているのも、この水瓶があるからです。」


中に案内されたので足を踏み入れると、足元に違和感を感じる。床下に何かあるようだが、知らないふりをすべきか。でもこの気配はきっと…。僕は思っていたよりソワソワしていたようで、村長はそんな様子に少し狼狽えた。


「何かございましたか?」


「そうですね。聞かない方が良いですか?」


村長の表情に怒りは無い。僕を真っ直ぐ見つめると、一つ息を吐いた。


「貴方はわかる方なのでしょうね。隠しても仕方ありません。こちらへどうぞ。」


村長は水瓶の蓋を開ける。覗いてみるが、床間の床が見えているだけ。村長が水瓶を重そうに一周ぐるりと回すと床がずれ、下へ続く梯子が現れた。


「狭いので気をつけて降りて下さい。」


村長が水瓶の下へ降りていく。僕も習って降りるが、かなり狭い。慎重に降りると、小さな部屋があった。

部屋には棚が天井までびっしりと立て付けられ、沢山の瓶が置かれている。中身は全て真っ黒な液体のようだ。


村長は小さな箱を手にして立っていた。とても古いが手入れの行き届いた箱は、僕に向かいカパカパと優しく蓋を開け閉めしてきた。挨拶してくれているのかな?僕も深く頭を下げる。


「村長のご家族でしょうか?」


「ええ。コレは曽祖父の代から我が家で大切にされてきたミミックです。ここの棚にある、薬草をすり潰し発酵させた培養液だけで生きていられるのです。嘘みたいでしょ?


私が幼い頃。悪戯で、生肉や生き血を食べさせた事がありまして。そうしましたらコレは、全て吐き出して苦しみまして。曽祖父にこっぴどく叱られましたよ。コレを虐めるんじゃないと。


闘争心もなく、ただ穏やかに生きている。ミミックとしては駄目なのでしょうが、コレはそんな生き方を選んでいる。コレのそんな生き様を私も尊敬し、こうして共に生活しているのです。」


村長はミミックを床に置くと、棚から一本瓶を取り出して蓋を開ける。草の柔らかな良い香りが部屋に広がった。村長が瓶をミミックに近づけると、ミミックは飲もうとしなかった。


「ああ、ごめんね。もう飲んでたのか……毎日、今日一日あった出来事を聞いて貰っているんです。返事はないですが、なんとなく雰囲気で笑ったり怒ったりするのがわかるんです。」


ミミックはパカパカと蓋を開けしめした。ゆっくりしていってくれと言っているらしい。


「良い生活ですね。羨ましい。」


僕の言葉に村長は皺を寄せて笑った。


「私の目に狂いはなかった。どうか、村人達には内密にお願いしますね。怖がらせてしまう。」


「勿論です。」


「さて、村人達も仕事が終わった頃でしょう。貴方の話を皆、心待ちにしています。どうぞ、宜しくお願い致します。」


「勿論です。良い出会いをさせていただいたお礼分、楽しんでいただけるよう務めます。」


僕はミミックに挨拶をして、梯子を慎重に登った。水瓶の中にはこんなにも穏やかな世界が広がっている。これが理想郷なのかな。

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