後編 独りぼっちにはさせません

「いやあ、こうもとんとん拍子にことが進むとは。なんとも空恐ろしい」


 テオさんが、呆れ半分、感心半分の口調で呟いている。

 彼は今、灰色の小鳥の姿で窓から私の部屋を覗き込んでいた。


 私はテオさんへ水の入ったカップを出すと、彼の脚に着けられた小さな金属筒をそっと外す。


 筒の中身は通信文だ。

 小さな紙にびっしりと書きつけられた情報を元に、私は分析に修正や新規の見解を書き加えていく。


 私の部屋は、今や紙束でいっぱいになっていた。

 もともと、私の私室には女の部屋には不似合いな大きなデスクをしつらえてもらっていた。

 だけれど、あっという間にスペースがなくなってしまった。

 ローテーブルにも、飾り棚にも、床にも、書類や書きつけが散らばっている。


 そして部屋の中には洗濯ひもを渡してもらい、重要な事柄はそちらに吊るしてあった。


「ローレンス閣下やテオさんのくださる情報あればこそです。

 秘匿された情報が集まるってすごいことなのですね。

 こんなに丸裸になってくれるとは」


「わ、それってちょっとはしたない言い回しじゃないかな!」


「? 毛刈りされた羊がですか?」


 私が首をかしげていると、テオさんが翼でくちばしを隠す。


「おっと、失言でした。今のは忘れてください。

 ……ローレンス様にもどうか内密に」


「はしたないのはお前だ、テオ!」


 足元から怒声が飛ぶ。

 テオさんは翼をすくめると「では失礼!」と告げて飛び去って行った。


 入れ違いで、すたすたとやってきたのはローレンス閣下だ。


 彼は相変わらず黒白毛並みの、可愛らしい猫の姿のままだった。


「アメリアさん、あまり根を詰めないでくれ。

 こちらから頼んだ立場とはいえ……」


「平気です。

 楽しく手ごわい証明問題に何日も没頭したことだってありますもの。


 今回はローレンス様の言いつけ通り、睡眠時間だけは確保しておりますから大丈夫です」


 ローレンス様は何か言いたげに、続きの間に繋がるドアをちらりと見た。


「アメリアさん、あの向こうは寝室になっておりますね?」


「ええ、そうです。

 看病していた頃はあなたを寝かせた籠をあそこに置いておりましたからローレンス様もご存じかと」


「――フスン! いや失礼。

 ……その寝室のドアの隙間から紙がはみ出ておりますが」


「ええ、緊急性が低かったり検証済みの情報は、あちらにまとめてありますので」


「ちゃんと眠れる環境になっているのですか!?」


「大丈夫です。

 寝るときには紙束を三つどかせば済みます」


 ローレンス閣下が天を仰いだ。

 どういう理由かは私にはわからないが、可愛い下あごが見れて少し得をした気分だ。


「……どうかその身を大切にしてほしい」


「はい、そうしているつもりです」


 私がそう応えると、ローレンス閣下は、ぺちん! と右前脚を眼の上に当てていた。


「そしてローレンス様」


「なんだ?」


「敵勢力の潜伏場所と兵力が割り出せました」


「――そうか!」


 閣下がとん、とデスクの上に乗る。

 私は手元の書類を彼にも見えるように置き、解説を始めた。


「物資はこちらの砦に集結しており、その一方で宴の準備も進んでいます。

 ……どうも、この期日までに決着を急ぐ理由が先方にはあるようです」


「ならば」


 ローレンス閣下は、すうっと息を吸い込むとこう続けた。


「向こうの準備が整いきるまでに急襲するまでだな」


◇◇◇


 季節は巡り、春が訪れていた。

 テラスから眺める庭園は花盛りだ。

 薄水色や淡紅色、黄色に、白。

 繊細な色彩の花々がそこかしこでこぼれ落ちんばかりに咲き誇っている。


 花から視線を外し、正面を見る。

 対面ではローレンス様が物静かな様子でお茶をたしなんでいた。


 今の彼は元の姿、黒髪の青年の見た目をしている。

 私が本邸で世話をして気軽に抱っこしていた猫の面影は、あるような、ないような。


 私はいま、ローレンス様の私邸で彼と共にお茶を飲んでいる。

 領内の不穏分子がひとまず一掃されたからとお招きにあずかった形だ。


 主犯格は私たちが睨んだ通り、ローレンス様の伯父にあたるギルバート氏だった。


 彼は華やかな生活と恋多き男として名が知られていたそうだ。

 数々の女性と浮名を流し、真実の愛を見つけて継承権の放棄を願い出た。

 父母の世代なら誰でも知っている逸話だ。


 けれど実情はやや異なっていたらしい。

 彼は公爵家の長子でありながら女の尻を追いかけてばかり――と、ローレンス様は言った――で執務には興味を示さなかった。


 先々代のメイレン公はそんな息子に業を煮やし、継承権の放棄を迫った。

 それと引き換えに家といくばくかの財産を分与されたということだそうだ。

 要するに勘当されてしまっていた。


 当時の「真実の愛」の相手であったはずの男爵家令嬢とも程なくして破局している。

 彼女はその後、富裕市民の愛人となり、今は異国の商家に嫁いでいるとか。


 ――そこまで聞いたところで、私はティーカップをソーサーに戻してため息をついた。


「現実のロマンスって、なんだか儚いですね」


「うーん、まあ、そうだな……」


 テーブルの向かい側で、ローレンス様は同意した。

 なんだか表情も口調も煮え切らない。


「だが、もしかすると今回は一生に一度の本気だったのかもしれん」


「と、言われますと……?」


「ギルバート伯父上の行状は勘当されて以降も改まらなくてな。

 浪費家であることも、そして女好きであることも。


 そしてここ最近も愛人がいた。

 娘ほどに歳が離れていたそうだが……その愛人が懐妊していてな」


「まあ……」


「そこで欲が生まれたのだろうな。

『世が世なら、この子が公爵家の跡取りだったのに』と。

 その欲望を何者かにつけ込まれ、こうして蛮行を働くことになったとは。


 愛とは恐ろしいな」


 ローレンス閣下はそう締めくくりました。

 が、私は彼とは少し異なることが気になってしまいます。


「あの、その愛人の方も連座に……?」


「いや、そうはならなかった。というのも――」


 ローレンス様が語った所によれば、それは以下のような次第だったそうだ。




 ローレンス様の信頼する手勢が急襲した古城はあっさりと落ちた。

 完全に向こうの虚をつく形になったお陰だそうだ。

 ローレンス様も、影武者(テオさんが変身していたそうだ)を伴って戦に赴いたのだとか。


「――危険ではなかったのですか!?

 その時の閣下は猫ちゃんだったのに」


「アメリアさん。

 物事には責任を取るべき場面というものがあるのです」


 私が思わず口を挟むと、ローレンス様は静かに首を横に振った。


「……では話の続きを」


 ――勝負が決し、首魁たるギルバート氏を探し当てた先は奥の間の寝室だった。

 その隣には件の愛人も居て、一目で全ての状況を察したらしい。


 縋りつくギルバート氏をきっぱりと振り払うと、宝石箱からアクセサリーを取り出して全て返して見せたのだという。


「此度のことは私もあずかり知らないで起こったことです」


「……この期に及んでその弁明が通ると?」


「この宝飾品もお返しします。

 公爵の妻でもないのに、このようなものを身に着けるのは畏れ多いことです」


 そう言って、愛人は連なる黒い花の首飾りを捧げ持ち、ローレンス様(の、影武者)に差し出す。


「待ってくれイルセ!」


「お腹の子の父親も、ギルバート様ではございません」


「――! そんな、嘘だ……」


 イルセさんは、そこでようやっとギルバート氏の顔をまともに見たそうだ。


「そういうことにしてくださる?

 ……私、あなたとだったら地獄行きでも別に構わない。


 でも、この子まで道連れにはできない。


 それは全く別の話なの。わかって、ね?」


 ギルバート氏はがっくりとうなだれ、それ以上、抗弁することはなかったそうだ。

 その後の裁判でも、処刑時にも、一切の申し開きはしなかったという。


「――では、イルセさんは」


「念書を取った上で国外追放だな。

『後からご落胤だなんだと決して主張しないこと』という条件を盛り込んで、な」


「そうですか……」


「甘い対処かもしれんがな、実際に婚姻していた訳でもない、陰謀に加担した様子も一切ないのではな。

 これで四角四面の裁きを加えるのじゃ却ってこちらの格が落ちる」


「そういうものなのですね」


「時勢もあるな。

 ……この王国は大きな変革期を迎えている。

 が、そこのところにどう対応していくかは高位貴族の間でも見解が割れている。


 今回のクーデターもどきも、そうした歪みの一環だろう」


 語り終えたローレンス様は、ほうっと息をつく。

 ようやっと手元のティーカップの存在に気付いたかのように持ち上げて、唇をいくぶんか湿らせている。


 何かを言いたそうな素振りだった。

 私がそう気付けたのは、猫の姿だった頃の閣下も、言いづらいことを話す時前に顔を洗っていたからだ。


 なので、次の言葉を私はじっと待つ。


「――ここメイレン領は魔の巣窟。

 誰が味方で誰が敵かも判然としない土地だ。

 貴方はそんな所に、本当に嫁いでくれるのですか? 今ならまだ間に合います」


「ひとつだけ、お聞きしても?」


「ああ。なんなりと」


「あの日の夕方、閣下は何故、温室にいらしたのですか?」


 私の問いかけに、ローレンス様は絶句していた。


 そう。

 何故危険を押してまで安全な場所ではなく、わざわざすっぽかしたデート先に戻ったのだろう?

 そのことは、私にとって解けない疑問だった。


「――最期に一目、貴方の姿を見たかったと言ったら笑いますか」


「へ?」


 一瞬、私の頭は完全に働くことを放棄していた。

 なんで? 私を?


「だから半年前のあの日も、私は猫に変じて必死に逃げて……。

 ようやっと追っ手を撒いて、気が付けば温室に足が向いていた。


 もしも、万が一、彼女に危機が及ぶようならそいつの喉笛を噛み裂いてやろうとも思っていた」


 急に私はこの場から逃げ出したくなった。

 ……そうでなければ、胸の底から湧きおこるむずむずする気持ちを抑えきれなくなりそうだったから。


「ええっと、恋い慕う方は私の他にいらっしゃるのでは……?」


 私がおずおずと切り出すと、ローレンス様は口をあんぐりと開けて「はァ~?」と言った。


「居やしませんよ、そんな者!

 公爵業ってのはただでさえ執務だ外交だとうんざりする仕事まみれ。

 それに加えて猫の姿であちこち潜り込んでの諜報もこなさなきゃならない。


 ――こう見えて多忙なんですよ、私は! これでも! 王国内でもかなりの方で!」


「すみません!」


「――いや、貴方が謝ることではない。

 私は……なんというか、貴方の前では格好をつけていましたから」


 そうだったのですね、という言葉は慌てて飲み込んだ。

 人間の姿に戻ったローレンス様と、猫の閣下の豊かな感情表現が、今にしてだぶって見えてきた。


 もしかすると、これがこの男の人の素顔なのかもしれない。


「ええ、そうです。

 私は貴方に惚れこんでいる」


「う」


「ああ、貴方が数学の天才だからじゃないぞ?

 そりゃあ最初、本当に最初に興味を抱いたのはそれがきっかけだったが」


「ふぇ」


「でも違うんです。

 私がおかしくなったのは、あなたの心根と、芯の強さにすっかり参ってしまったからだ」


「あ、あわわ……」


「どうしたんですか?

 いつもの舌鋒が鳴りを潜めて、まるで子猫かなにかみたいに」


「……そのくらいで勘弁してください……」


「ああ、済まない。少々調子に乗ってしまった。


 婚姻の件も、答えは急ぎません。どうぞゆっくり考えてください」


 ローレンス様はそう告げたけれど、私の心は決まっていた。

 ……彼の心を占める別人が存在しないと知ったら、もう気持ちに嘘はつけなかった。


「いえ。お受けいたします」


「いいのですか?」


「はい」


「……数で存分に遊べるから?」


「それは……少しはありますけれど」


 やっぱりそうなのか、とローレンス様がむっと唇を真一文字にする。

 でも、私は構わずに続けた。

 こちらの言い分にも続きがあるからだ。


「ですが、流れる数字を眺め、統計の世界に遊ぶだけなら家でもできます。


 それより、ご領内がローレンス様の仰るような、そんな厳しく寂しい場所なのだとしたら。

 なおさら独りぼっちにはさせられません」


 私は彼に負けないくらいに背筋をぴんと伸ばして、こう告げました。


「言いましたでしょう?

 閣下を大切にお守りして、幸せな一生を送らせてあげると。誓いに嘘はありません」


「……ならば私は、貴方を守ろう。

 この荒波を共に越える同志として。

 そして貴方を愛する者として。


 改めてねがう。アメリア、どうかこの私と結婚して欲しい」


「喜んで!」


◇◇◇


 血みどろの権力闘争に明け暮れた、その次代。

 ローレンス・ファン・メイレンは領内の安定、ひいては国内の平和維持に力を注いだ。

 努力は実を結び、彼の領民は皆豊かに、安穏と暮らしたという。


 アメリア公爵夫人もまた、公私にわたって彼を支え――時には振り回してすらいた。

 と、後世の記録は伝えている。

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計算令嬢の誤算~陰険な公爵閣下との婚約を解消するつもりが何故か猫を飼っていた~ 納戸丁字 @pincta

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