中編 猫化け公爵と計算令嬢

「祖先の呪い?」


「ああ」


 私に抱っこされたまま、猫のローレンス閣下は憮然として答えた。


「始まりは何代か前のメイレン公が魔女を娶ったことだと伝えられている。

 以来、メイレン家には産まれながらにして魔法をひとつだけ使うことができる者が現れる。

 時おりだけどな」


「呪いというよりは、祝福のようにも聞こえます。

 魔女が子孫を慮って、魔法の力が授かるようにしたのかも」


「そこはまあ、考え方次第だろうが……ともかく、そうした因縁があるんだ。

 現当主の私が使えるのはこの通り、猫への変身術だ」


 ローレンス閣下は膝の上でふんすとふんぞり返っている。

 ちょっと自慢気だ。

 可愛いな。


 でも、喋るとあの陰険な公爵閣下そのものだ。

 ……なんだか頭が混乱してきた。


「それで、どうしてあんな所で傷だらけで倒れていたんです?」


「ああそのことか……。

 なに、暗殺されかかっただけだ」


「暗殺?」


「メイレンの家じゃ珍しいことでもない」


 ローレンス閣下が断言してみせた。

 けれど、傍らに控えていた従者の男の人が呆れたように補足する。


「そんな訳ないでしょう。

 そりゃ御家の内実がドロドロの政争まみれなのは確かです。

 けど、潮目が変わったのはついこの間だ」


 私の腕の中で、ローレンス閣下が耳を伏せてぎろりと従者さんを睨んだ。


「テオ! 余計なことを言うな!」


「ここまで巻き込んでおいて、隠し立てもできませんって」


「ぬう……」


「という訳で、――アメリア様」


 不意に居住まいを正した従者さんから名を呼ばれる。


「はい」


「見ての通り、そこのローレンス様は猫に変身しています」


「そうですね……?」


「そして、元の姿に戻れなくなっています」


「……なるほど」


 だから私が逃げ出さないようにしっかり抱き上げていても、彼はされるがままなのだ。

 本当だったら、猫の姿になれる人間は、人の姿に戻ることもできて当然なのに。


「本来、猫に変身できるのは一日一度だけ。夜寝る前には必ず変身を解かねばなりません。

 ですがローレンス様はあの日、賊から逃れるために二度目の猫になる魔法を使ってしまいまして」


「全部言うじゃないか……」


「そりゃそうでしょう、これからはアメリア様にも協力していただかなければ」


 だとするとローレンス公爵はずっと猫の姿のままなのだろうか?

 こんなに小さくて、お耳が三角で、尻尾は真っすぐな……こんなに可愛い猫ちゃんに……。


「……私、閣下を大切にお守りします。

 幸せな一生を送らせてあげることをここに誓います」


 私の決意を目にした従者さんがぱちぱちと拍手する。


「おお! 熱烈な告白だ!」


「アメリアさん、私を猫のまま飼い続ける気なのでは?」


「……そう、ですけど」


「いや待ってくれ! 人の姿に戻る手段はある!」


「そうなんですか!

 早とちりを失礼いたしました……」


 少しだけ残念なのは秘密だ。


 ローレンス閣下が、前脚をピッと上げて説明を始めてくれる。

 ピンク色の肉球が見えて、少し嬉しい。


「今の私は体内の魔力が枯渇している。猫から元の姿に戻れなくなったのもそのためだ。


 よって、魔の力の源である月光を浴びて少しずつ身の内に魔力を貯めている。

 次の満月を迎える頃には元の姿に戻れるだろう」


「血が薄くなったせいか、魔力を身にとどめることも難しくなりましたねえ。

 俺のような魔法使い、それか魔女なら一週間も休養すれば全快するのに」


「ぬう……」


(それにしてもこの従者さん、ずけずけと話すのね)


 主従の間柄なのに、ずいぶんと気安い雰囲気だ。

 私がそういぶかしんでいると、ローレンス閣下と言い合っていた従者さんがこちらを見た。


「あ、因みに俺はテオ。こう見えてローレンスの親類です」


「そうだったのですね! すみません、てっきり……」


「表向きは単なる従者として振る舞っていますからね。


 実際、俺はお貴族様のような尊い立場でもない。

 かつてメイレン公に嫁いだ魔女の血筋に連なるものです。

 役割としては、まあ表沙汰にできない仕事に色々と協力をね」


「……もしかして、情報収集なさる役回りを?」


「理解が早くて助かります。

 そう、俺たち魔女の係累がメイレン公子飼いの諜報員って訳です」


「良いように言うな。

 諜報なら私自身も動いているだろうが」


「そうなんですよアメリア様~!」


 テオさんは突然、私の方へと話を向けてきた。


「このひと、この調子であちこち潜り込んで調査に乗り出すんです。

 そういう危険な役回りは俺ら一族の仕事なのに。

 あなたからも何とか言ってやってください」


「俺の立場でなければ入り込めない場所、見れない物もあるだろうが!」


「……私が何か言ったところで、ローレンス様を止められるとは思えませんけれど」


 だって、私のことは平気で置き去りにするのだから。

 ローレンス閣下はぺたりと耳を伏せてそっぽを向いている。


「そうでもないと思いますがねえ」


 テオさんがそう言って首をかしげている。

 なにをそんなに不思議がることがあるのだろう?


「ともかく、アメリア様には引き続きローレンス様を匿っていて欲しいんです」


「もちろんです。

 いちど拾った猫ちゃんを途中で放り出したりしません!」


「……中身はれっきとした人の男なんだが」


 私に抱っこされたままのローレンス様が何かごにょごにょ言っている。

 けれども、私は聞き流す。


 だって、他にもっと重要なことがあるのだから。


「ですけれど、それだけで構わないのですか?」


「と、いうと?」


「ローレンス様を襲った犯人を私は知っています」


「ふむ?」


 ローレンス様のおひげがピクリと動く。


「暗殺の手引きをしたのはローレンス様の伯父上ですよね。

 継承権を失った」


「!?」

「へえ!」


 何故そんなことを知っているんだ。

 一人と一匹お二人がそんな表情でこちらを見ていた。


 私からしてみれば、不思議がられることこそが不思議だ。

 数の変動を見守っていれば、簡単にわかることだもの。




 きっかけは、小麦相場が妙な動きをしていたことだった。


 ――と、話し始めたところでローレンス閣下の耳が動いた。


「……待ってくれ、小麦の? 相場を監視していたのか? 令嬢である貴方が」


「いえ、そこまで大したことは。

 ただ出入りの商人さんが、数好きの私へのお土産に色々と情報をくださるんです。


 たとえば面白い値動きがあると、写しをくださって『どう思う?』と謎解きさせてくれたり」


「それもう所見を聞いてるんじゃねえかなあ」


 テオさんがそう言いますが、それは買いかぶりというものです。

 私は首を振って訂正します。


「いえ、私がしているのはただのお遊びなので……。

 現場を知る方々からは勉強させてもらってばかりです。


 では本題に戻りますね」


「済まないがつぶさに聞くと夜が明けそうだ。

 要点だけかいつまんで貰えないか?」


 ここからが楽しい所でしたのに。

 ですが、ここはローレンス閣下に従いましょう。




「……蹄鉄の値上がり、小麦相場の変動、店員の世間話に母君から聞くうわさ話。

 それらを元にこれだけの精査を?」


「はい。おかしな数字の動きが出ていたので追いかけました。

 そうしたら綺麗に重なった先が、くだんの方――閣下の伯父上でしたので」


「良くもまあ……」


 ローレンス閣下は呆れた様子で尻尾をぱたんと動かしていた。

 私が数遊びの話をすると、家族以外の人たちは大抵こんな風になる。

 黙ってしまうか、怒ってしまうか、笑われるかだ。


 だけど次の瞬間。


「やはり俺の目に狂いはなかった!

 大臣たちが数多の部下を使役してこなす仕事をたった一人で賄っているじゃないか!」


「アメリア様、ローレンス様のこの言い様はですね。

 貴方様のことをとってもとっても褒めちぎっているんです」


 ローレンス閣下は興奮した様子で喋り始め、テオさんが補足する。


「そうなのですか?」


 私は思わず、ゆっくりと瞬きをしてから問い返した。

 ローレンス閣下は、はっとした様子でぐしぐしと顔を洗い、こちらを仰ぎ見る。


「そう受け取ってもらって構わない」


「……ありがとうございます」


 私のただの遊びを、そんな風に評価してもらえるだなんて。

 なんだか不思議です。

 心がほこほこと温かくなってきて、じっとしていられなくなってきました。


 けれどもローレンス閣下は「しかし」と言葉を続けます。


「当然ながら我々もその程度の情報は掴んでいる。

 これ以上の冒険は控えて、貴方は安全な場所にいればよろしい」


「いいえローレンス様。

 私も事態の解決にご協力いたします」


「お断りします。

 貴方は私に十分に力を示してくださった」


「求婚してくださったのは、私の数遊びが有用だったからなのでしょう?

 でしたら、今こそ使い時だと……」


「いえ、結構!」


 この方は、どうしてそんなに頑ななのでしょう!


「退けません。私にだって、意地があります」


「ほう? 深窓の令嬢の意地ときたか!」


「たった一種類のステッチを知らないばかりに、刺繍を台なしにしそうなお友達が居るのです。

 そっと伝えるくらいの親切心はあります」


「……ッ!

 我らの隠密行動を手遊びの刺繍になぞらえるとは!」


「だって、見当違いのことをなさりそうで危なっかしくて」


「……ッ、…………!!」


 ローレンス閣下の毛は逆立ち、突っ張った脚がぶるぶると振るえている。

 ……かなりお怒りのようだ。


「アメリア様、ローレンス様は……」


 テオさんが取りなしてくれようとします。


 ですが、私も退けません。

 だって今の閣下は無力で小さな生き物、ただの猫なのですから。


「ローレンス様の伯父上は、近々に結婚するはずです。かなりの確度で」


「!?」


「母が贔屓にしている宝飾品店の店員が、世間話として教えてくれました。

 つい先ごろ、あるブランドにアクセサリーの注文があったのだと。

 特急料金も積まれて、工房は大喜び。


 なんでも黒真珠と黄金でかたどった小鈴草がモチーフだとか。


 ――そんな注文をされた工房が八つあると」


「黒い小鈴草、それも八輪か」


「うち一つの工房は唐草の台座を彫金するようにも求められたそうです」


「……組み合わせれば、黒い枝垂れ小鈴草になるな」


 メイレン家の略式紋章は黒の地に金の連星。

 連なる黒い花はメイレン家との関係をほのめかすものでもある。


「注文者の名義はどれも別。

 ですが、支払いの流れの源流を辿るとどれもローレンス様の伯父上でした。


 そして、この宝飾品は言うまでもなく女性用。

 誰かへの贅を凝らした贈り物でしょうね」


「ローレンス様、この折にそんな動きをするってことは……」


「ああ。連中は近々メイレン領に攻め入り……すっかり勝ったつもりな訳だ!」


「結婚式は戦勝記念も兼ねているのかしら」


 そしてそれは、次の満月よりも先に訪れることだろう。

 残された猶予は少ない。


「ですからローレンス様、本当のことを教えて欲しいです」


「……なんのことだ」


「何故、ローレンス様の居所を知りながら私の元に預けようとしたのか。


 閣下はメイレン公爵家のご当主です。

 それなのにテオさんのような部下が丁重にお迎えに来ないのは……。

 ご領内が安全な場所ではないからなのですね?」


 ローレンス閣下からの答えはなかった。

 それを私は、消極的な肯定と受け取って言葉を続ける。


「でしたら使えるものは使ってください。

 私や私の家には黒いつながりなどはなにもありません。

 求婚時に身上調査もなさったでしょうから、今更でしょうが……。


 なにしろ19回はお誘いくださったのです。

 そこのところはご承知でしょう?」


「……正確には20回だ。

 あなたは、私が婚約を申し出た際に茶会の出席を断ったから」


「すみません……読みたかった舶来本が届いた日だったもので」


 ローレンス閣下はため息をついた。

 その小さな身体のどこにそんなに空気を詰めていたかのように、長く、深く。


 そして私の腕に前脚を添えて「降りても?」と問う。

 私は彼を抱き上げていた腕をゆるめ、閣下はぴょんと床へと飛び降りた。


 ローレンス公爵閣下は、綺麗に前脚を揃えると、仕上げにくるりと尾を両前脚の前に巻きつける。

 そうして厳かな口調でこう告げた。


「貴方の言う通りだ。

 今の私は追い詰められて、確実な味方は少なく、敵の潜む場所も判然としない。

 ……そうだな、助けが必要なんだ。


 ――アメリア・デウィット嬢。改めて、貴殿に協力をお願いしたい」


「謹んでお受けいたします」


 私は立ち上がると、カーテシーと共に返答した。

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