第6話 夜の訪問者と朝の異変。

 その夜。


 にゃあ。と、誰かの訪問を告げる、猫神お気に入りのサビ猫の声。


 猫少女ことカミカが訪れた者を見ると、突然鳴いた猫に気を取られたのか、そちらを見やる赤毛の男。今回極東を訪れた一行の中の、唯一の人間。

 ……ただ、純粋にそうか、と言われると、やや首を傾げる面も、なくはない。例えば、どこにいても人目を惹く、真っ赤な髪だとか。


 例によって頭の上には識別票代わりに渡された橙色の縞猫。だらん、と手足も尻尾も力を抜いて、今にもそのまま眠りそうだ。

 随分と気に入られたこと、と、少女は心の中でだけ、微笑まし気に猫を見やる。


「あら、こんばんは。夜這いはお受付しておりませんのよ?」

 心にもない事を言いながら、妖艶に微笑んで見せる。

 創世神が、この箱庭のような世界を創るときに参考にしたいくつかの世界で、金星と呼ばれたものは、だいたい美を現すものでもあった。

 昼間にうっかり創世神が、意味こそ違うが大金星、などという表現をしたせいか、今の彼女は、かつて取り込んだその特性がやや表に出ている様子。


「生憎、中身はどうあれ、いくら美女でも年端も行かぬ少女にときめく性分じゃあねえな。昼間の話で、少し疑問があったもんでな」

 割と見た目重視だ、とでもいわんばかりだが、全く気のない軽口をたたきながら、軽い礼をするハルムレク。


「あら、残念。御一行様で一番好みでしたのに。

 まあ冗談はさておき、カミサマ方を引き連れてやってきた人の子の貴方は、この猫神に、何をお望み?


 あの方たちに、並び立ちたいだけなら、それこそ一言お願いするだけで済みましょうに」


 その程度には、皆様に好意を持たれているのでしょう?と少女は普段の微笑みに戻しながら言うのだが。


「生憎、他者の力に引き上げられるのは御免被りたい性分でな。ぶっちゃけ、その話は嬢ちゃんと姫さんにされたが、だいぶ前に断っちまった後だ」

 肩をすくめてそんな風に言う男には、特に強い感情を見いだせない。


「あらあら。あの坊や、とっても貴方の事を大事にしていますのに?」

 あの洞窟が冥界に繋がる場所であることに真っ先に気付いて、男を護ろうとしていた少年を思い出す。小さな、けれど彼が主たる、新たなる月の片割れ。


「あいつは俺の性分も良く知ってるからな。そんなことは言わないし、下手すりゃ思いもしないだろうさ」

 何故か自慢げにそう断言する男。


「まあ、信頼のお篤い事で。

 ……最初に申し上げてしまいますけど、今の貴方では百年かかっても、あの領域には辿り着けませんよ?

 その赤い髪に琥珀の瞳、随分と異界の血の濃い、恐らく先祖返りの類のようですから、百年程度なら余裕で修練できそうではありますけれど。

 あの、可愛らしい結びの神の提言を断ってしまったのも問題ですね。せめて保留としておけば、まだもうちょっと、目はあったのでしょうけど」

 しかもあの方、言霊使いでらっしゃいますし。と、少女は真面目な顔で付け加える。


「で、死んだらそれまで、と言うのは、どこまではみ出せば無効化できるんだ?」

 どうやら、その質問のほうが、本命であるらしい男に、猫神は表情をやや柔らかく改める。


「あら、成程?……考えましたわね。

 主神様が保護してらした祖霊さんたちは御存知でらっしゃる?

 あの方たちの最古参の、今も地上に居られる方は、もうシステムからは弾かれる対象ですね。多分あのまま、あの家系の守護神的なところまで昇りつめることでしょう。古い言葉で土着神と言われる存在ですね。

 それから、紫紺の小鳥の義体を好んで使われている方も、このところずっと月の方々とご一緒で影響が強いこともあって、もう弾かれますね。カミサマとまでは行かないので、どなたかの眷属になられるのでしょうかね。

 他の方は、色の破片の影響が消えた段階で順次システムに回帰して頂いていますから、問題なし。

 霊としての存在を維持し続けた経時リソースが五百年ぶんあっても、システム的には全く問題ないのです。

 ……そして、限りある現実の肉体を持つヒトの身では、その五百年ぶんを凌駕するだけでも、百年では、到底足りません」


 管理しているシステム周りの話になると饒舌になる猫少女は、そこまでを落ち着いた口調で言い切って、男を見据える。

 聞いた男の表情に、特に変わりはない。


「多分今の貴方が、その祖の血の全てを引き出したとして、年限は恐らく今を起点として、百……いえ、百二十年くらいは行きますかね。

 今の人類の平均寿命の倍は、軽々と越えてのけるでしょう。貴方に流れる血は、その程度には強い。


 ですが、それでも、それはこの世界の人と混じり合える、「ヒト」の内に含まれるものにすぎません。

 時折、そういう風に混ざり合うことができない強さの者も落ちてくるのですけれど、混ざれないのでずっと孤独なまま。大抵の場合は壊れてしまうか、その前に人に見つかって排斥されてしまいますね。

 靄の日あたりまで、月の皆さんと時々ご一緒していた金髪のお嬢さん、あの方は例外的に上手く世界と付き合ってらっしゃいましたけど、あの方くらいですねえ、こちら側に来ることも壊れることもなく、永い年月を過ごしておられたのは」


 言われて男は思い出す。そういえば、あの耳の長い少女、月が出来てから見ていないな、と。

 雑談のような会議のような場に彼もたまに参加することがあって、その頃に一度紹介はされたのだが、それ以前の職務の折にも、彼女と話す機会は、殆どなかったので、見慣れぬ耳だな、そんな種族もいたのか、と思った事以外、印象に残っていなかったのだが。


「精神性は十二分に満点なんですけどねえ、そのおおらかさとか。

 貴方は、どうにも魂そのものがお若いのですね。その若さが、強みでもあり、弱みでもある。

 かといって、あの月の坊やのように、全てを突き抜けて駆け抜け、天に駆け上がるには、既にものを見すぎておられる。

 そう、貴方の身内という、その柵は、早めに捨てないと絶対に間に合いませんよ?」

 でも、それも全部ひっくるめて持っていこうとするのが、貴方のような人の魅力なのでしょうねえ、と猫少女は微笑む。


「そういう訳ですので、残念ですけど、貴方にとって有用な情報というのは、あまりないのですよ。わたくし、この世界全体から見れば、ただの泉下の管理者で、生きてる方には原則干渉致しませんしね。

 ですが、そうですね……貴方の向かう、困難しかないであろう道程は、しかと、このわたくしが、拝見させていただきましょう」

 まあ、観るだけですがね?と、猫神にして冥界神ともいえる少女は、ニヤリと笑った。


「ふ、神の見物なら、上等だ。見るものがいるならばこそ、見栄も張れようさ。夜更けに邪魔をしたな、失礼する」

 男も笑いを含んだ声でそう答えると、踵を返した。



「……ほんに、酔狂な方ですわね。そこがよさげ、ですけれど」

 でもまあ、わたくし本当に見るしかできませんしねーこの案件。と、傍らの猫をあやしながらの猫神の呟きは、闇に消えていった。





 翌朝。


「なにこれええええええええええ?!」


 宿に唐突に響き渡ったのは、ケスレルの声。


 なんだなんだと彼の泊まっていた部屋に集合した一同の前に、おそるおそる現れた少年の頭の上に、ねこの、耳。

 びっくり顔で、それでも肩に律儀に張り付いているキジトラ猫と同じ色合いの、柔らかそうな猫耳は、純朴そうな茶髪の少年には良く似合っているのだが。


「わー、おにいちゃんがねこみみー。可愛いー似合うーでもなんでー?」

 まだ半分寝ぼけ眼の妹があけすけに感想を述べている横で、無言で、どうやら何かの手段で記録を取っている気配の、にこやかを通り越してややにやけ顔のセルファムフィーズ。

 なお龍の姫とハルムレクはただ絶句している。どうやら事態が呑み込み切れていない、らしい。

 シャキヤールは金髪男のこっそりやってる所業は見なかったことにして、まず猫神を呼びつけるか、というところ。


「あらあ?」

 騒ぎをききつけて、呼ばれる前にやってきた猫神が、首を傾げる。


「ちょっとカミカ、いえシェルハ、どうなってんのこれ」

 猫少女を本来の神格名で呼び直す主神様はかなりお冠の模様。


「おかしいですねえ。普通の人間でも、余程変化に相性が良くても、最低でも半年はいないと、こうはならないんですけれど。ましてや新人さんとはいえ、カミサマがこうなるの、意味不明ですよ?」

 その立腹を聞き流す姿勢の猫神であるが、彼女にも謎は謎であるらしい。


「ちなみに普通の、ごく普通の人間だと、数年程度じゃ全然変化なんてしませんよ?普通は世代単位でちょっとずつ変わるんですよ?」

 しかもそのためには誓約書一式書いてもらいますし?と、あくまでも自分に落ち度はないと言い張る猫神。

 しかし、猫獣人、そんな経緯で生まれていたのか、と、戦慄する主神様。同意どころか誓約書までがっちり取ってるとか、油断も隙も無い。


「……まあそこの過保護が変態面晒して記録取ってるだけで、落ち着いてはいるから、一時的な現象なんだろうとは思うけど」

 シャキヤールはため息をつく。記録取る前にやることあるだろうがこのポンコツ、と、毒づくのが両隣にだけ聞こえた。


「……うわあ。」

 その発言で金髪青年のほうを見た龍の姫が、とてつもなく嫌そうな顔で固まる。

 なるほどこれは変態呼ばわり。などという呟き。


「いやでもマジでなんで俺だけ?シィのほうが似合うでしょこういうのなら!」

 猫耳をぴこぴこさせながら文句を言う少年。動くのかよそれ、と、ハルムレクの戸惑った声。


「まあ君に似合うんだから巫女ちゃんにも似合うだろうけど……」

 あんたたち基本の顔立ちほぼ一緒じゃん、と、表情は改めたものの、身も蓋もない事を言う龍の姫。

 なお、龍の姫視点だとそう感じる、のであって、普通の人が見た場合、絶対兄妹だろう、とは言われるが、瓜二つとまではいかない、はずだ。


「尻尾はないの?」

「ないよ、耳だけ」

「もふもふしたい」

「絶対禁止、だめったらだめ!」

 その兄妹は、短い言葉の応酬と共に、いつの間にやら、大人たちの周囲をぐるぐる回っている。

 妹のほうは、だいたいのもっふりした生き物は撫でて揉んでであっという間にぐにゃぐにゃに溶かす才能というか技術の持ち主であり、まあ少年はそれを知っているから猫耳押さえて逃げ回っている訳だが。


 最終的に、ひょい、と大人の腕でそれぞれ襟首を掴まれて、それこそ子猫のようにぶら下げられる両名。


「……判ったから狭い室内で走り回るな。シーリーン嬢、嫌がってる相手に無理に迫っちゃだめだろ、きょうだいでもだ」

 赤毛の男は苦も無く二人を両脇に抱え込む。


「……カミカどの、取り合えず朝飯を頂けるかな?あまり凝ったものでなくて良いのだが」


 おお、おっとこまえ、と口の中で呟くシャキヤール、自分がやりたかったのに、と顔に出ているセルファムフィーズ。

 猫少女は、あらあら、ご用意いたしますねえ、広間でお待ちを、と告げて、にこやかにその場を去っていった。

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