第2話 ねこが、いました。

 桟橋に接岸した船から降りる。陸と地続きであるという、確かな感触。


「船もたまにはいいけど、やっぱ陸地だねえ」

 少女が安心したようにそんな事をこぼす。


「帰りも船だよね、楽しみだな」

 少年のほうは、どうやら大型船が随分と気に入った様子。


 大人たちは少年少女を微笑まし気に見守る姿勢だ。


 桟橋には他には誰も居ない。連絡船は一行を降ろすと、さっさと停泊場所に帰っていったし。


「入国手続きが済んでしまえば、割と緩いんですね、ここ」

 ずっと周囲で誰かが聞き耳を立てていたようなのに。ようやっと口を開いたかと思うと、そんなふうにこぼすセルファムフィーズ。


「それにしても、人がいないねえ」

 ケスレルがきょろきょろと辺りを見回す。おのぼりさん仕草が可愛いなと、ほのぼのと思う一同。

 妹のほうも見た目は同世代だが、生憎中身がだいぶんと、スレている。


「ってあれ?なんだろう」

 何かに気付いた少年が、そっと岸壁の物陰に近づく。


 にゃー


 彼が聞いたことのない声と共に、彼の見つけた尻尾をぴんと立てた生き物が、するりと物陰から現れる。

 焦げ茶色の濃淡の縞々の毛皮を持つ生き物は、そのまま少年の足元にくると、すりっと身体をすりつけ、尻尾を巻き付ける。


「あ、猫だ!」

 シーリーンが即時に反応して、走り出そうとして、いやいや驚かしてはいけない、と、ゆっくり歩きに切り替える。


「え、ねこ?これが?」

 直ぐ近くにしゃがみこんだ妹にも挨拶しに行く猫に、興味津々になる兄。


「あらまあ、こんなとこにいたのか、猫……」

 以前いるはずなんだけどなあ、と言っていたシャキヤール自身もびっくりした顔。


「普通の猫ですね」

 しげしげと猫を眺めてそんな事を言うのはセルファムフィーズ。


「ねこ?初耳だな。小さくて繊細な虎のようではあるが」

 こちらはケスレル同様、猫を初めて見るハルムレク。


「うわあホントに猫がいる……」

 微妙に嫌そうな顔をしたのは、龍の姫。


「砂姫屋、気をつけなさい。猫がいるってことは、多分あんたが前に言ってた猫マニア、いるわよ?」

「……!……メケット、ですか」

 龍の姫の言葉にいち早く反応したのはセルファムフィーズ。そして、こちらもなんともいえない嫌そうな顔になる。


「っはー、やっぱあいつか。入国した時に領域が切り替わったから、まさかとは思ったんだけど。

 ここね、今あたしの世界から切り離されてる。月に直接戻るのは、無理よ」

 応じたシャキヤールの、爆弾発言。


「えっ?あっほんとだ、マーナガルムを呼べない」

「……ですよね。通信は辛うじて繋がっていますが……」

 月そのものと言えるはずのふたりがこれだ。


「わー……ってあれ、マジか。ここ召喚使える。いや魔力が存在しないのに変わりはないから実質使えないけど」

 妹のほうは妙なことになっているようで、あれこれ自身の確認を始めた。


 龍の姫とハルムレクは見た目平常を保っている。

 まあハルムレクは普通の人間で、そもそもそういう超常の移動手段など持っていないし、龍の姫は人目の多い場所では常時警戒心のほうが先に立つタイプで、今も周囲を気にしている。のだが。


「……ねえ、ここ、周囲に猫しかいないんだけど」

 嫌そうに、そんなことを言い出した。


 その声が発せられた途端、わらわらわら、と色も模様も尻尾の長さもさまざまな猫たちが音もなく、いやにゃーにゃー言いながら現れたではないか。

 あっという間に数えきれない猫に囲まれ身動きが取れなくなる一同。

 そんな中でも撫でて揉んで転がして、と一人でにやけながら猫相手にもふもふ無双を実行しているシーリーンがいっそ清々しい、表情以外は。


「しーちゃんしーちゃん、そこに転がすと余計邪魔に、いやもうどうでもいいわねこれ。こら登るな」

「シィ、上手いな相変わらず……ねこもお手のものかー」

 足元を埋め尽くし、龍の姫以外にはもりもりとよじ登り始める猫たち。これは歓迎されているのか、足止めをされているのかどっちだ。

 兄のほうも初めて見るうえに友好的?な生き物との触れ合いにご満悦だし、兄妹を見ている分にはほっこりするのだが。


 顔に張り付こうとした猫の後ろ首を掴んで無言で剥がすセルファムフィーズ、頭の上に乗られて垂れ下がってきた尻尾を払いのけてはまただらりを繰り返して明らかに遊ばれているハルムレク。

 シャキヤールは一匹捕まえて腕を伸ばして捧げ持ち、捕らえた猫にお説教でもするかのようなポーズだが、何を言えばいいんだろうと言う顔になって固まっている。その後頭部にも、肩にも、いつの間にか猫。


 龍の姫は人間はいないしまあいいか、で、速攻でひとり空中に逃避済みだ。


 結局小一時間、猫たちに揉まれ遊ばれていたのだが、気が付いたら一人に一匹ずつ残るかたちで、あとは皆いなくなっていた。


「なんだろうこの子。くっついたままだけど」

 肩にでろんとくっついた、最初に現れたキジトラ猫を撫でながら、ケスレル。


「気に入られたっぽい?」

 真っ白なオッドアイの美人猫をもふりながら、シーリーン。


「気に……?」

 不思議そうな顔をするハルムレクの頭の上にいるのは、緑の眼にオレンジトラの、いかにもふてぶてしそうな雄猫。


「結構ですいりませんったら」

 足元にいつまでもまとわりつく長毛のシルバータビーの猫を鬱陶しがるのはセルファムフィーズ。


「ふーん?監視役ってとこかしら?あ、これシールポイントのほうは姫ちゃん用らしいけど」

 シャキヤールは淡いシールポイントの細身の猫と、ブルーグレーのしっかりした体躯の猫二匹を抱えている。


「いらね」

 龍の姫はにべもない。


「……申し訳ないんですけどー、その子たち連れてないと、この先には入れませんのでー」

 唐突に、ヒトの声。

 さっきまでそんな人間いなかったぞ?と警戒していた組が一斉に視線を向ける。


 その先にいたのは、小柄な少女。先の入国管理官によく似た顔立ち、後頭部に赤いリボンを付けた、黒いおかっぱ頭。但し、衣装はごく普通の、というか、大西方風の赤いワンピースだ。ちょこんとそろえた足元は白い靴下に茶色の革靴、黒いチョーカーに、銀の鈴。


 但し、頭の上に、猫のような耳が見える。そして、背中の後ろで、ゆらりゆらりと左右に揺れる、耳と同じ、黒い尻尾。


「……えっ、猫獣人……?」

 一番最初に再起動したのは、前世あたりで実際に獣人種族に接触した経験のあるシーリーン。

「えっここで大西方の衣装?なんで?」

 混乱した顔のシャキヤールは混乱のポイントがちょっとずれている。


「そこらへんもあわせてー、全部説明しますからきてくださいって、うちのおやかたさまがー」

 猫耳少女はにっこりと笑ってそう続ける。


「あ、私の衣装は先祖伝来のデザインですー、大西方の人がご先祖にいたみたいで」

「……つまり、ご先祖は普通の人族であった、と?」

 訝し気な顔のセルファムフィーズに、頷く少女。


「そのへんもご説明しますってー。日が暮れちゃいますから、移動しましょうー、猫ちゃんは抱っこするなり頭や肩にのせるなり」


 置いていかれるのも困る、と、嫌そうに猫を抱えるセルファムフィーズと龍の姫。


「ファズ、それに姫さんも、ねこ、嫌い?」

 少年が気遣わし気に自分の相方を見上げる。その腕のなかでごろごろと喉を鳴らしてご満悦のキジトラ。

「いえ、特に好き嫌いはないのですが……」

 困惑した表情のセルファムフィーズも珍しいな、と、申し訳なくなりつつも、普段あまり見られない顔がちょっと嬉しい少年である。


「好きでも嫌いでもないわよ。生物にはできるだけ触りたくないだけ」

 わんこは君たちのって確定してるから触っても平気だけれど、と龍の姫。


「ああ、そこはお気になさらずにー。ここの猫は皆おやかたさまの眷属ですゆえ」

 猫少女がそう補足したので、龍の姫も諦めてシールポイントのしなやかな猫を両手で抱えなおした。


「手触りはわるくない……」

 更に片手に抱え直し、背中を撫で始める龍の姫。積極的に触れに行くことこそないが、彼女は手触りのいい生き物を結構好んでいる。

 マーナガルムの尻尾などは、特にお気に入りだ。


「眷属、ですか」

「ってことはやっぱりこれやらかしたのはシェルハスメケットで確定ね?あんにゃろこんなところに隠れてたのか……」

 古神時代を知る二人は、眉を寄せたり、憮然とした顔になったり。


「なんだ、カミサマ絡みか……ひょっとしてそれが主目的だったのか?」

 ハルムレクは、頭にオレンジの猫を載せたまま、二人を見やる。


「そうよー、なんとか目的は達成でき……たらいいなー」

 途中で投げやりな調子になるシャキヤールの頭の上にも、ブルーグレーの猫。



 猫少女に案内されて、木の壁と板葺き屋根の、背の低い家々の間を進む。屋根の上、家の間、そこかしこに、猫の姿。

「このあたりはー、私たちのような猫の獣相の民以外の、比較的普通の人が住んでいる区画でしたー。今はたまにくる旅人さんのお宿ですね」

 この少女は観光案内的なこともするらしい。通りを歩きながら、そのような説明をしてくれる。


「でした?普通の人はいないのですか」

 セルファムフィーズが首を傾げる。


「はいー。ここに長く住んで、世代を重ねるとー、だんだん私のように猫に近い姿になっていくのですー」

 まあ、耳の場所と形が変わって、尻尾が生えて、ちょっと小柄になって、敏捷性が上がるくらいですけどー。と猫少女は笑う。


「いやいや、数世代でそうなるなら、充分ちょっとじゃないからね、それ?」

 シャキヤールから、いつもの騒々しいまでの快活さが消えている。彼女としては、かなり深刻な事態であるらしい。


「あ、もしかして、船員さんが皆帽子をかぶっていたのって」

 少年が今気付いた、というような声をあげる。


「はいー。流石に私たちの存在を外の人におおっぴらにはできませんのでー。連絡船の船員さんたちは尻尾の短い人しかなれない、特別なお仕事なのですー」

 対外的な配慮は一応している、という猫少女。


「あの帽子は特別製でー、風で吹き飛んだりしないよう、なおかつ私たちの耳を優しく保護してくれる優れものなのですー。オーダーメイドなのでー、支給されるのは名誉なのですー」

 私は本土勤務のみなので持っていませんけどー、と彼女は笑った。



 暫く歩いていくと、ぽつんと佇む石造りの無骨な四角い建物。

 装飾のないシンプルな灰色の石壁が四方を囲み、屋根は片流れで薄い石の板を敷き詰めてある様子、窓は片流れの高い方のてっぺん近くに、横長に一つだけ。

 側面中央にある、これもシンプルな木の両開き扉を開けると、がらんとした広い部屋が、たった一つ。


 猫少女が一同をそこに招き入れ、内側から扉を閉める。

 その瞬間、部屋の中に霞が舞い、シャキヤールが感心した顔になる。


 霞が消えたとき、そこにはもう誰も居なかった。

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