第3話 猫の神様?

 霞が晴れる。


 気が付けば一同が立っているのは、石造りの室内ではなく、こんもりとした森林を背後にした、草原の片隅だった。


「あれー、座標がずれちゃいましたー。やっぱり神様を運ぶの、難しいんですねー」

 猫少女があっけらかんとそう述べる。


「いやいや、あたしたちを運べる、ってだけで、大したもんだけど。場所が判ってるなら、このまま案内してくれるんでいいのよね?」

 シャキヤールがくるりと辺りを見回してから、そう訊ねる。


「はいー、大丈夫ですー。ただちょっとずれが大きいので、結構歩くことになっちゃいましたー申し訳ございません。こちらですねー」

 猫少女はそう答えると、草原の中ほどに向かって歩き始めた。

 土地勘も何もない一同は、おとなしくそのままついていく。


 猫少女の向かった先には、森から続く一本の小道。

 森から離れる方向に歩き始める猫少女に、全員でぞろぞろと付いて歩く。


「あの森林は、古代の植生を再現した自然林風の植林がされていますー。樹種が偏ると、あまりいいことがありませんからー」

 昔、花粉症とかいうコワイ病気があったそうですしー、と猫少女。


「花粉症か、あれは酷い人はほんと可哀そうだったからねえ……」

 かつての記憶に何かあったらしく、シーリーンが眉を寄せる。腕の中の白猫は気持ちよさそうにくんにゃりぽやんとしている。


「今もないわけではありませんよ、我々は流石に罹りませんけど」

 セルファムフィーズが注釈を入れる。


「そうね、あれってアレルギー反応だから、ゼロにはならないのよねえ。季節性のくしゃみと鼻水と涙と、あと酷い人は熱も出るっけ、あれ」

 シャキヤールがそう付け加えると、


「あー、集落にもふたりくらい、春先になると毎年それと同じ症状になる人がいたよ、エスロさんの息子さんとか、木こりなのにその時期になると仕事にならないってよくぼやいてた」

「いたいた、春じゃなくて秋に牧草に混ざってる何かで症状出る人もいたわ、確か犬追いさんちのおかーさん」

 兄妹が口々にそう返す。それぞれが違う人を挙げているのは、彼らが集落で暮らしていた当時、昼間いる場所がだいたいそんな風に分かれていたせいだろう。


「ああ、つまり枯草熱か。幻里だと秋口の患者が多かったな。花粉症という呼び名もあるのか、あれ」

 ハルムレクまでそういうので、案外まだ一般的な病ではあるらしい。


「極東だと針葉樹花粉症が一番多かったけど、やっぱ草原だと草原因が増えるのね」

 感心した顔のシャキヤール。


「発症する原因物質に触れる頻度が高いほうが発症しやすいのですから、そうでしょうねえ」

 セルファムフィーズはしたり顔だ。


「動物性の、例えば猫アレルギーってのもあってね。まあこの世界で発症する可能性があるのは、ここでくらいでしょうけど」

 龍の姫が付け加える。


「あー、きみの父上がそうだった気がしてきた」

 シャキヤールが、思い出した、という顔。


「そーなのよ、猫自体は好きなのにね、とーさん。あ、帰るときに気を付けてね、皆も。今は寝てるとはいえ、あれ毛とかで反応しちゃうから」

 その言葉に、何故かシーリーンがしょんぼり顔になる。どうやらこんなにいるなら一匹くらい家で飼えないだろうか、なんて思っていたらしい。


「シィ、帰ったらマーナガルムを思う存分もふっていいから」

 あまりにしょんぼりした顔だったので、兄が思わずそんな許可を出す。無論もふられる方の許可は得ていない。まあ彼の性格なら、最終的には許すだろうが。


「ほんと!?わあい!約束ね!」

 兄に対してだけは、見た目の歳相応の反応をする現金な妹。何も知らない猫少女と、あまり妹のほうとは深い付き合いがないハルムレクは、兄妹のやり取りを微笑まし気に見ているが、他の面子は些か白けた顔になっている。


 それなりに賑やかに、草原を歩いていると、何やら大きな動物が見える。


「……なんで牛いるの。あれ復活禁止してたよねあたし」

 シャキヤールが思いがけないことを言い出した。


「禁止?そこまでしないとダメな理由ありました?」

「増やし過ぎると今の世界だといろいろバランスが良くないのよ、大型だし……小娘、あれなんでここにいるの?」


 前を歩く猫少女に声をかけるシャキヤール。


「私のことはカミカとお呼びくださいー。あれはミルク用ですねー。お肉も食べますけど、人気はないですねー。ミルクは年代を問わず人気なのですけどー」

 私たちは魚や鶏肉のほうが好みですねー、勿体ないので食べますけどー、などと猫少女は笑う。


 なんでも数は調整されていて、極東全土でもそんなに沢山はいないのだという。

 シャキヤールも、まあここから出さない分にはいいか、などと丸め込まれている。


(でもここから出さない分には、って、極東の隔離状態を容認することになるのでは?)

(だって、せざるを得なくない?獣人がいるなんて、東はともかく大西方辺りに知られたらめんどくさいわよ絶対)

(それより、ここ妙にリソース濃度が高い気がするんだけど大丈夫かしらこれ)

 背後でこそこそと話す月勢三人。なお少年は初見の大きなゆったり動く獣に視線が釘付けだし、赤毛の男はそれを微笑ましく見守っている。


 のんびり草を食む大型獣の横を通り過ぎたところで、ようやっと目的地らしき建物が見えてきた。


 太い木の柱がぐるりと等間隔に周囲を取り囲むように立つ、高床の木造建築。嵌めこみの板壁。

 大きな三角の屋根は草を厚く敷いた上に銅板葺きで仕上げられており、緑青の色が印象的だ。


 側面のシンプルな木の扉から中に入る。


「あ、畳だー」

 少女が嬉しそうな声。そういや個室に畳を所望していたな、などと思い出す一同。新規の入手が難しくて、要望は棚上げされていたはずだ。


「土足厳禁でございますのでー、お靴はこちらへどうぞー」

 猫少女が示した場所に、靴を納める棚。大陸の客人も想定済みなのか、編み上げの長靴くらいなら余裕で入る仕様になっている。


「文化的に裸足が困るなどございましたら、内履きのご用意もございますー」

 などと少女はいうが、全員靴下は履いているし、と、特に誰も所望しなかったので、そのまま進んでいく。


 板敷の廊下を越して、畳の上に上がると、一続きの部屋の一番奥に、猫が数匹と、女性がひとり。


「シェールーハースー!!!あんたって!子は!」

 姿を見るなり低い声で唸るシャキヤール。


「えっあっあわわわわ、主神様ああああああああああ?!」

 呼ばれたほうはあわあわと慌てて立ち上がる。急に動かれたうえに騒がれたので、膝の上にいた猫たちが一斉に逃げ出す。


 立ち上がった推定シェルハスメケットは、中々のスタイルの美女だ。褐色の肌に黒髪ボブ、釣り目がちの瞳はとみれば金色に見える不思議な色。ちなみにやっぱり黒い猫耳猫尻尾つきだ。

 纏う衣装は白を基調に、直線裁ちを多用しているらしい、ゆったりした仕立てのものだ。


 逃げ出そうとしたシェルハスメケットの襟首をむんずと掴んだシャキヤール。普段のおちゃらけた態度からは想定できない素早さを発揮している。よほど腹を立てているのだろうか。


「にゃーごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「行方を晦ますくらいならまだしも!なんなのこの状況は!混乱に乗じてだかなんだか知らないけど、こっそり極東掠め取ってんじゃないわよこの泥棒猫!」


「……ねえ、しぇるはすさん?ってもともとねこだったの?」

 彼女を全く知らない少年が相方を見上げる。


「……確かそうですね、好んで獣の相を纏っていたのは彼女くらいです」

 余程古い記憶なのか、しばし考えてから答えるセルファムフィーズ。


「纏う?あれってコスプレ?」

 シーリーンがずれた感想を漏らす。


「いや、観た感じ、一応あれで本性の姿のはず?多分だけど、猫特化のカミサマじゃないかなあれ」

 龍の姫がそう言いつつ首を傾げる。彼女もこの猫娘の総領に会うのは初めてだ。


「ええ、創世時だったかに猫だけ取り扱いたいと駄々こねて、ゴネ勝ってか、最終的に本当にその地位に納まった神格ですね。昔から隅っこの好きな地味な性格の方でしたので、正直あまり印象が残っていませんけど」

 印象がないといいつつ、セルファムフィーズの口調が妙に辛辣。

 これは、『いい印象が残っていない』のほうだな、と少年は見当をつけた。まあゴネる人にいい印象ってあんまないよね、と納得しておく。


「ところであれ、止めなくていいのか」

 関節技は嫌だと反撃に出たシェルハスメケットとシャキヤールがすっかり大乱闘モードになっているのを指して、ハルムレク。

 そんな事を言いつつも、自分が止めようという気はなさそうだ。


「え、嫌です」

 とてつもなく嫌だと顔に書いて即答するセルファムフィーズ。何故か、いつの間にかケスレルを抱きかかえている。

 多分、少年が仲介に入るのを物理的に止めたいのだろうけど、またこいつは、と残された面子の視線が冷たくなる。


「あたしもちょっと嫌かな……ろくなことになる気がしませーん」

 とはいえ、シーリーンも仲介には逃げ腰。


「ほっとけばそのうち決着つくでしょ」

 龍の姫も冷淡にそっぽを向く。


 ぱん!


 突然横から、大きな柏手の音。びくりと動きを止めるシェルハスメケット、つられて止まるシャキヤール。


「お客様ー、おやかたさまー、これ以上畳に傷が入ると、交換になりますのでー」

 まったりした口調のままではあるが、猫少女が大層冷たい目で己の主とその上司を威圧している。いや待てこの子只の猫獣人じゃなかったのか?いやこの世界で猫獣人ってだけで充分只の、とは言えないはずだけど。


 困惑する一同を他所に、シェルハスメケットが慌ててシャキヤールの髪を掴んでいた手を離すとその場に正座した。

 流石に今度は釣られなかったシャキヤールだが、眉を寄せて猫少女と部下を交互に見ている。


「……なんでキミ、部下にびびってんの……」

「いやマジ怖いんですようちのカミカさん……」


 猫少女に睨まれ、更に上司にまで睨まれ、改めて縮こまる猫神。

 随分と威厳のない姿ではあるが、自分も含めカミサマ陣に威厳を特に感じない少年あたりは気にもしていないし、以前は唯一そういう辺りを気にしていたハルムレクも、最近ではすっかり慣れてしまって、まあこんなもんか、といった顔になっている。


「取り合えずお二方のお召し物を直してー、それからですね。お茶など用意させますのでー」

 猫少女がそう告げて、今度は軽くぱんぱん、と手を打ち鳴らす。

 見る間に数人の、揃いの紅白の衣装を着た猫少女たちが現れて、ささっと乱闘後の女神二人の衣装を直し、軽く髪を整え、ささっと去っていく。


 中々の早業に、極東に来て一番面白いものを見たかもしれない、と思う一同であった。


――――――――――

乙女世界の境界の神様とは全く無関係……かどうかは置いといて別神様です()

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