第8話 おうちにかえろう。

 北部から南部へ順番に。

 北部寄りにある極東最高峰は、一応頂上を確認した。死火山だそうで、静かなものだった。

 極東を構成する島々の最大のものの南東部にある大きな瓢箪型の淡水湖も見学し、名産だという長くてにょろにょろした魚や、小さな黒い貝を食したり。

 その湖の南から流れる大河沿いにあるコトという街では、最初に会った国境管理官の喋っていた方言を本当に皆が喋っていて、語調に翻弄されてみたり。


 そのコトから西に暫くいったところ、海を見下ろす高台に、今は名も喪った、古い街の跡がある。

 そこを目的地に選んだ龍の姫は、街があった、と言うことすら判らなくなった、草原と林が入り混じる光景を、じっと眺めている。


「変わった場所を選ばれましたね?此処は異変当時から殆ど人がいない場所だったと思うのですけど」

 案内人として同道している猫少女が首を傾げる。


「そうね、あの頃から、ほぼゴーストタウンみたいな感じだったわね」

 うちの学校の研究室があったくらいで、観光も産業もなんもなかったしねー、とシャキヤール。


「あら、主神様もここを御存知なのですか」

「ヒトタイプの分体作って、その分体がフツーに歳とって死ぬまではここにいたわねえ」

 ナノマシン理論とかやってた分体で、大災害一個前の奴だけど。と主神様は宣う。


「ここはねえ、姫ちゃんの故郷でもあるの。生まれた場所的意味でよ。

 ただ、あんまいい思い出はないらしいのよねえ、よく来る気になったわね」

 誰に言うとでもない呟き。龍の姫は聞いているのかいないのか、それに特に反応はしない。


「……寂しい場所だねえ」

「そういえば、もうちょっと森林が進出しててもいいのに、草っ原ね、ここ」

 兄妹がそれぞれに所感を述べる。


「この草、幻理の国境のアレとちょっと似ているな?随分と青々としてはいるが」

 足元の、草原を構成する草を見て不思議そうにそう言うハルムレク。


「ああうん、それが原種よ。あそこにも生えられる植物探したら、これしかなかったのよね。助手を派遣して取り寄せて、雨量が違うから乾燥地向けに改良したのが、あの枯野の草ってわけ」

 どうやら、あの植物を育成したのもシャキヤールであったらしい。


「創世神さまだからその場でちゃちゃっと作ったのかと」

 龍の巫女が茶化すようにそう言う。


「そんなリソースなかったから、真面目に品種改良しましたともさ、専門外だったのに」

「……これを?よく手を入れられたわね。私の血を受けて変質していたのに」

 突然龍の姫が会話に割り込んでくる。血とはまた物騒な、という顔の一同。


「その変質が必要だったから、しょうがないのよ。まあ確かに手はかかったわねえ」

「ここにはもう流石にコレは必要ないみたいだけど、どうしよう?別にこのまま放っておいても、問題はないのだけど」

 草を一本摘み取り、陽に透かす龍の姫。


「このままで結構ですよ。土地は街にもしっかり余ってますから。無理に開発するような企画もないですし」

 神社とか神殿とか置きたいのなら考慮致しますけど、と、猫少女は微笑む。


「じゃあ放置でいいか。生まれた場所だから見ておきたかっただけで、特に思い入れもないしね」

 ああでもとーさんとかーさんには話さないといけないかなあ、と呟く銀の髪の少女。




 そんな風に、唯一行先を指定していた龍の姫の訪問先を後にしてからは、また南にゆっくりと向かう旅路。

 最大の島の南に、三つ連なる中くらいの島々には、連絡船で。

 東側の島は、本島より更に小柄な猫獣人たち。素潜り漁で生計を立てているとのことで、名産は貝や雲丹。


「猫ってアワビとかダメじゃないの?」

「猫はそうなのであげちゃいけませんけど、猫獣人は普通に人間と同じ食性ですから平気ですよ?」

 主神の質問にそう答えて、穫れたてアワビを桂剥きにしたものをもぐもぐと頬張る猫神。


 南側にぽつんと浮かぶ、通称中の島は、逆にやけに大柄な男性が目立つ。それでもセルファムフィーズやハルムレクは頭一つ抜けてしまうが。

 なんでまた、と思ったら、この島には複数の鉱山があるのだそうだ。


「なので住民の方は鉱山関係者と出稼ぎの力自慢さんたちですね。安全性には気を遣ってますから、事故は滅多にないんですよ」

 採れるのは主に鉄と金銀であるらしい。


「鉄と金は本島でも採れるのですけど、銀はここくらいですねえ。埋蔵量はそれなりだし、使うほうが微妙なのでまだ当分稼働できますが」

 副産物だという水晶や蛍石の欠片をお土産に如何ですか、と言われて何個か選ぶなどしたくらいで、ここは早々に離れた。

 地元男性陣が妙な視線を此方に投げている風に感じたので。


「やっぱもう少し職業婦人増やしたほうがよさげですかねえこれは」

 溜息をつく猫耳少女である。


 西の島は農業が主体の、温暖でのんびりした島だった。美味しいものがたくさん!と喜ぶ兄妹。

 海流の加減で、他の島より暖かいのだそうで、鳳梨だとか甘芭蕉だとか釈迦頭だとか、初めて見る果物に一同興味津々である。


「甘いものが多いのねえ」

 御試食どうぞ、と差し出された果物の盛り合わせをほおばりながら、龍の巫女はご満悦。


「酸っぱいものは本土の柑橘類で間に合ってるし、ってこの島の方は良く言いますね」

 お砂糖もこの島が一番沢山作ってるんですよー、と猫少女。


 つまりなにか、ここの住民は甘党一派か、と、妙な納得をする一行。困ったことに、それでだいたいあっている、そうだ。



 東周りで南の端まで行ったなら、あとは西周りで北へと向かう。

 こちら側の旅程も、だいたい基本は食べ歩きだ。

 案外とその土地によって、好みが分かれるものであるのか、名産品が微妙に違っていたりして、意外と飽きが来ない。

 なお、少年には折り返し頃に縞々のすんなりした猫尻尾も生えたので、兄妹で尻尾防衛戦がしょっちゅう開催されては、その度にハルムレクが仲裁していた。

 保護者というなら、本来それも役目であろうに、セルファムフィーズはにこにことその様子を眺めているだけで、まるで役に立たなかったので。


 ほんとだめだなこの変態、とは創世神の御言葉であるが、言われた本人を含めて、誰一人否定しなかった。

 もう本人も駄目だという自覚自体はあるらしいのが、始末に負えない。



 そうこうしていたら、もうあっという間に戻りの船の来る日がやってきていた。

 このままじゃ帰りの船には乗れないよね、と本人は困っていた少年の猫耳猫尻尾は、切り離されていた境界を調整して一部を繋ぎ直すことで、ひっそり行き来できるようになった月に、三日ほど戻されていたら、元に戻った。本当に一時的な変化であったらしい。

 なら別に船で戻らなくても、と言いたいものも居たようだが、入国記録があるからには出国記録もないといけないので、という極めて事務的な理由で、再びの北の小島の港である。


 猫耳カチューシャは、希望者にはそのまま渡された。但し月以外で出すなとのお達し付きだったが。

 まあそれはしょうがないよね、と思う一同である。

 これは素材は絹の起毛織物などだそうで、猫アレルギーにも安心ですよ、とは猫少女談。


「絹……道理でやけに手触りがいいと……」

 龍の巫女が、キジトラ柄の猫耳をしきりと撫でていた。

「そりゃもう手触りには限界まで拘りましたから。幸い素材には事欠きませんので、この島は」

 媒染が一番面倒ですけどねえ、などと猫少女は語る。それもまあ、猫耳であればそう素っ頓狂な色や、鮮やかな色彩は必要ではないので、問題ないということらしい。


「無事再接続もできたし、今後はちゃんと連絡取ってね。あたしもできるだけ対応できるようにしとくから」

 珍しく、やや事務的な口調で猫神に言うシャキヤール。


「承知しております。流石に連絡がちゃんと取れるのにさぼるような不義理は致しませんとも」

 返す猫神も、真面目な顔だ。


「まあなんにせよ、無事に目的は達成できたようで何よりだ。オレは帰ってからが本番だがなあ」

 恐らく、極東の内情を知りたい輩からの質問攻めを想定しているのであろうハルムレクは、やや渋い顔だ。

 流石にもう帰るということで、小島に戻った彼らのもとに、猫たちはいない。


「……やべえ、ほぼ一か月、猫乗せっぱだったから、なんか違和感が」

「ハルムも?なんかこう、寂しいよねえ」

 ほぼ常時頭の上に張り付いていた猫が居ないのが、どうも落ち着かないらしいハルムレクに、こちらは居ないことがなんとなく寂しい、というケスレル。

「うう、魅惑のもふもふがー。また遊びに来てもいいかしら」

 シーリーンはどれだけもふってもモフり足りないらしく、手をわきわきさせている。


「境界管理ももうちょっと手を入れたいとこがありますから、お手伝いがてらでおいでくださいな」

 猫神はにこやかに少女にそう持ち掛けている。


「いやしかし、初日と翌日以外は、本当に平穏でしたね」

 セルファムフィーズはそんな感想を漏らす。確かに、旅の後半は、ただ普通に食べ歩きしながら遊んでいただけだ。しかも、御足労頂いたので、と、滞在費用は猫神持ちである。

「たまにはこういうのもいいじゃない?こんな旅行、昔憧れてたから、ほんと楽しかった!」

「だねえ、楽しかった!ファズもハルムもずっと一緒ってはじめてだったし!」

 龍の巫女の言葉に、兄も同意する。猫耳経験も、戻ってしまえば別に嫌なわけではなかったようだ。


「まあ、たまには、いいかもね」

 龍の姫も一応、といった様子で同意している。

 大人勢も頷いているので、この旅は、楽しみとしても成功だったのだろう。



 帰りの船は、予定通りにやってきて、予定通りに海渕国に到着した。

 行きより半日くらい余分にかかって、到着は真夜中だったが、どうやら海流の都合であるらしい。

 それでも今回の航海は行きも帰りも本当に順調でよかったなあ、と、乗せた客の正体を知らない船員たちは上機嫌であったが。


「真夜中なのはありがたいな、出待ちがいねえ。ってあれは」

 ハルムレクが目ざとく桟橋の端にいる人物を見つける。ひょろりとした長身の、夜ゆえ色は判りかねるが、ここらの船員たちよりも、やや明るい色の髪。


「え?嘘、あれ相談役じゃ」

 夜目の利く少年が目をぱちくりさせる。へ?あの人桃里にいるんじゃなかったの、と、妹の呟き。


「……先に行くわ。酒場にでも引っ張りこんでしまえばいいだろ。じゃ、皆、またな」

 誤魔化しかたを即決したハルムレクが、一同の返事も待たずに、さっと人影に駆け寄り、そのまま何やら言いながら待ち受けていた男を抱えてその場を去っていく。


「助かる……今色々問い詰められたら、喋らない自信、ない……」

 取り残された少年が、大きく息をつく。

「まあ最悪あたしが誤魔化すって手もあるけど、しないに越したことはないしねえ。ハル君離脱して丁度いいし、このまま帰るかー」


 そのシャキヤールの言葉と共に、紫がかった霞が一行を覆う。

 人の認識を狂わせる霞が消えたとき、その姿を見ていたはずの船員たちや港湾関係者からも、その記憶は消え去っている。



 しないに越したことはと言ってる傍からこれだが、これがこの創世神の平常進行なので、関係者は誰も最早気にしていないのだった。


――――――――――

というわけで無事に旅行はおしまい。本話もこれでおしまいです。

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