第7話 極東の朝ごはんといえば。

 朝食も、極東の風習に従ったメニューであったのだが。


「すみません、その匂いは、ちょっと」

 セルファムフィーズが真っ先に脱落して、部屋の隅に逃げている。


「そう?まあ確かに変わった匂いだけど、美味しいよ?」

 食事の開始前に言われた通りに、糸を引く豆に添えられたタレと、刻まれた薬味葱を加え、ぐるぐると暫くかき混ぜたものを、白いご飯と一緒に匙で掬って食べている少年が首を傾げる。


「納豆って意外と美味しいわね……前前世のときはだめだったんだけど。身体が健康だと味覚も変わるのかなあ」

 妹のほうもそつなく箸で伸びる糸を切りながら食べている。箸遣いは昨夜寝る時間を削って特訓したそうだ。


「セルファ……あんた思ってた以上に好き嫌い多いわね……いや極東人がなんでも食べ過ぎるだけか……?」

 シャキヤールも特に臆することなく納豆を食しつつ、部屋の隅を見ながら考え込む。


「いやあ、これは流石に人を選ぶんじゃねえか?

 確か東方同盟の南にある、磨崖のほうだったかには、これに似たものを固めた食品があるが、これほど匂いは強くないぞ」

 ハルムレクはそう言いながら、自分の分を食べつくした少年の前に、己の前にあった手つかずのそれをそっと移動する。


「ハルムもだめかー。美味しいんだけどなあ。匂いはまあちょっと、気になるかな?とは思うけど」

 再び握り箸で納豆をかき混ぜる作業に移るケスレル少年。猫耳が楽しそうにぴこぴこしているので、どうやらこの、糸引くものをかき混ぜる作業自体が楽しいらしい。


「……猫ってこれ食べるの?」

 セルファムフィーズのいた席で、長毛猫がじっと手つかずの納豆の器を覗き込んでいるのを見て、龍の姫。彼女は食事光景を眺めながら、醤納豆しか食べたことないわね―などと言っていた訳だが。


「猫も猫獣人も、個体差ですねー。食べる人は大好物だと言いますし、匂いや味が原因で食べられない人も当然います」

 この味の為にここで猫になってもいいって言った人もいましたねえ、と猫少女は笑う。


「ああ、でも龍の方がいう醤納豆――塩辛納豆は、猫にはだめですよ。あれは塩分がとても多いですからね」

 納豆というよりあれは味噌ですよねえ、と言われて頷く龍の姫。


 納豆以外には特に誰かが食べられない、などというものは出なかった。まあ基本として、シャキヤールや兄妹は、出されたものは何でも食べるタイプであるが。


「うん、好き嫌いがないのはいいことね」

 そう言って兄妹の頭を撫でるなどしているシャキヤールを、猫少女が珍しいものを見る目で見ている。


「主神様、そんな子供好きでしたっけ……」

「いやこの子たち、見た目はコレだけど一応成人してるしカミサマだからね?」

 呟く猫少女に、即反論する女神様。じゃあその撫でた手はなんだと言いかけて、追及しない方が良い奴だと途中で気付いて止まる猫少女。


「……やっぱ、もうちょっと背が欲しかったなあ」

「そうねー、もうちょっと欲しいよね。正直大人サイズの台所が面倒」

 それを聞いて、そんな風にしょんぼりしていまう兄妹。少年の頭の猫耳が、ぺしょんと伏せる。


「……少年の猫耳、破壊力凄いな……」

 珍しく意味不明な事を呟く龍の姫。


「……これ、ホントに元に戻るのよね?」

 こちらは訝し気な顔のシャキヤール。口元を押さえているのは何故だろう。


「多分極東から出ればそのうち戻ると思うんですけどねえ。何ですかね、適応力が高すぎるのかしら」

 こちらも片耳をぺたりと伏せた格好で、猫少女。


「そういえば、そういうところもあったわね、この子」

「ですねえ。まだちょっと神気を持て余してる所があるので、それも原因でしょうけども。恐らく月に戻れば半日か、長くても二日くらいで元に戻ると思いますよ、ちょっと勿体ないですけど」

 ようやっと口を開いたと思えば、何やら一言多いのはセルファムフィーズ。

 それを聞いた少年は嫌そうな顔こそしなかったが、まあこいつだししょうがないか、みたいな顔で溜息を一つ。


「おにーちゃん、イカ耳になってる……これって不機嫌?」

「まあ、不機嫌にもなろうってものよねえ。過保護の塊が見てられない顔してるし」

 少女ふたりも耳に注視している。何せ、恐らく感情に合わせてだろうが、この耳、こまめに良く動く。

 そして、ついに龍の姫にまで過保護を代名詞にされつつある金髪の月神。


「ちなみに、このようなものを用意しておりまして。流石に動きはしませんが」

 猫少女がそっと取り出したのは、各々に渡された猫と同じ色柄の、いやにリアルな猫耳のついた細いカチューシャ。


「コスプレをせい、と?」

 龍の姫が真っ先に、嫌そうな顔。


「あ、あたし白よりおにーちゃんとお揃いのがいい」

 速攻で飛びついたのは龍の巫女。


「なんでまたそんな」

 表情の消えた顔で、それでも受け取るのは創世神。何か理由はあるんだろうなあと思っている様子。


「え?なんで」

 少年ににっこり笑いと共に自分の分を渡されて固まるセルファムフィーズ。


「おそろい」

なおもにっこり笑いで猫耳カチューシャを押し付ける少年のその一言で思わず受け取る青年。少年に甘いというか、ちょろいというか。


「じゃあオレも、って猫がどかねえんだが」

 赤毛の男の頭に張り付いたオレンジ猫は、余程その場所が気に入ったのか、離れようとしない。


「いえね、実はもう長いこと定住者が増えてないものですから、今居る住民の皆さん、普通の人間を見たことがないんですよ。

 ですから、本格的に本土を観光されるなら猫耳くらいは装備しておいていただけると、動揺が少なくて済むと申しますか。

 あと、普通の状態で案内役と知られている私はともかく、その少年連れてると、誘拐犯と間違われかねません」

 何回かにひとりふたり、いるんですよねえ、猫獣人連れ出そうとするだめなひとたち。といって肩をすくめる猫少女。


 その言葉に、渋っていた組も諦めて着用。

 セルファムフィーズは自分用と渡されたものではなく、龍の巫女が使わなくて余った白の方を付けたようだが。

 オレンジトラの猫は、カミカが剥がして、猫耳着用後にまた乗せ直していた。


「おにーさん、ほんとに気に入られてますねえ。ぬっくいのかしら」

「おとなしくて落ちる様子もないから、まあいいが、なんだろうな」


 猫も相変わらず連れて歩くことになるらしい。飽きっぽい生き物のはずだが、よく付いてくるな、と思ったら、これらは猫神の眷属の中でも、相当に古株で、中身的には猫とは最早言い難いものであるらしい。


「進化権限でもあれば、猫又か猫精霊にでもしちゃうんですけど、そこそこリソース使うし、流石にリソースは本土にお返しするほうがいいかなって」

 殊勝な事を言う少女だが。


「ん?ああ、許可するわよ。本土も今は安定しているし、諸事情でちょっとリソース余り気味だから。一気にバラ撒こうとしたら、ヒトも動物も増やせる要素が微妙に足りてなくてねえ」

 今はまだ環境の活性化の段階だから、リソースばかりあってもしょうがないのよね、と創世神。


「正直あの猫巫女分体運用し続けるより、安定した猫精霊のほうがいいんじゃない?」

「お見通しですかー。そうなんですよね。分体って結局自分なんで、数を運用すると、案外疲れるのです。

 じゃあ観光案内とか終わったら猫精霊ちゃんにしましょうかね。精霊といっても魔力はないから、所謂亜人種ですけど」

 でもそうすると、やっぱ鎖国は継続ですねえ?と、さほど困ってもいない口調で猫少女が首を傾げた。


「それもまあしょうがないから許可。少なくともヒトの出入りはこれまで通りのほうがいいわね」

 見える爆弾が多すぎるわ今の極東。と、ぼやく創世神。


「隔離されてる状態が長すぎましたしねえ。生態系自体も少々どころではなく違う感じですし。

 ところでうちはこれでいいとして、南大陸どうなってるんです?結界張られてまではいないとはいえ、あそこもいろいろおかしげですよね?」

 無邪気に訊ねる猫神。


「あー……あそこもなあ。人が見つけてからでいいかって……」

 何があるというのか、口ごもる創世神。


「南?」

「ってしまったハル君知らないんだった。他言無用でお願いします」

 首を傾げる赤毛の男に即答で口止めする創世神だったが、

「いや、月に遊びに行ったときに見たから存在は知っているし、当然他言などせんよ?」

 とのあっさりした回答に、がっくり項垂れる。肩の灰色の猫がにゃー、と鳴きながら頭をぽふぽふと撫でているのは、慰めているのだろうか。


「少年~、なんでそんなとこまで見せたー」

「え、だって一緒に見たいじゃん。ハルムは口固いから平気平気」

 矛先を向けた少年は、平然としている。


「まあハル君なら平気よ。それより観光行くんでしょ。いい加減支度しなさいな」

 龍の姫までさっくりとそんなことを言う。本人は特にする支度もないので気楽なものだが。


「そんなに慌てなくても、どうせ戻りの船はひと月しないと来ないんですし」

 龍の姫を窘めるのはセルファムフィーズ。


「どうしても船で戻らないとだめってわけでもないでしょ、今なら」

「まあ、皆さんのお戻りまでには境界はちょっと弄って、皆さまなら出入りしやすく、とはする予定ですけど、今日明日では無理ですよ?龍の御方?」

 境界絡みなので、権能のある人に手伝っていただきたいですしねえ、と、猫少女は龍の巫女のほうを見やる。


「出入りしやすくなるなら手伝うわよー。猫もふ天国……うふふ」

「シィ、その顔ちょっとやめたほうがいいんじゃないかな」

 あっという間ににやけた顔になる龍の巫女、それを注意する兄。


 その後の観光は特にこれといったトラブルもなく、平穏であったのだが。

 いや、結局長身組が目立ちすぎて、猫耳がフェイクなのは秒でばれたりもしたのだが。

 地元民は、ゆったり穏やかに、何年ぶりのお客さんだろうねえ、とのんびり笑うばかりであった。


「即バレですよね。それでもコレは付けていないとだめですか」

「おそろいじゃないとやだ」


 まあ正直、一番似合ってないのは明らかにセルファムフィーズなのだが、少年の一言で猫耳着用は継続されたのだった。

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