新種発見メガネザメ

ハル

 

 私は釣りが趣味で、その日もひとり海に釣り糸を垂らしていた。自宅から徒歩二十分ほどの、ほかの釣り人を見かけたことのない穴場スポットで。


 釣りを始めて一時間ほど経ったとき、強い手応えがあった。釣り糸が切れそうなほどピンと張りつめる。


 でかいぞ!


 胸を躍らせてリールのハンドルを回すと、糸の先でもがいていたのは見たこともない魚だった。


 大きさは六十センチほど、形はドチザメによく似ているが、鱗が虹色に輝いていて、目のまわりだけ色が濃く眼鏡をかけているように見える。


 何て綺麗なんだろう……しかも間違いなく新種だ!


 私の胸は躍るのを通り越して飛び跳ねはじめた。


 ウオズミニジイロメガネザメとでも命名しようか。いや、「ニジイロ」では安直すぎるから「オパール」か「ラデン」のほうがいいか。なお魚住というのは私の姓で、いかにも釣り人らしくて気に入っていた。


「すごい、すごい」と子どものように繰り返しながら、クーラーボックスに魚を入れる。確か、近所の大学に海洋生物学科があったはずなので、そこに持っていくことにした。


 幸い電車はいていた。端の座席に腰を下ろし、クーラーボックスをのせたキャリーカートのハンドルをしっかりと握る。窓から差しこむ麗らかな春の日差しに、いつの間にかうとうとしていた。


 と、足元にあの魚がいて、じっと私を見つめていた。


(お願いします、わたしを大学になんて連れていかないでください……)


 魚がしゃべるはずもないのに、なぜか私にはその声が魚のものだとわかった。


(何千年ものあいだ、わたしたちの種は人類の目を逃れてひっそりと生き延びてきたのです。この鱗の色はたいへん人類に好まれます。発見されたが最後、乱獲されて絶滅してしまうでしょう。お願いします、お願いします……)


(大丈夫だよ。今の人類はそんなに愚かじゃない)


 私も魚の言葉に真面目に答えていた。


(愚かではない人もいるでしょう。でも愚かな人もいます。愚かなのに悪知恵は働く人が……)


 ぐっと言葉に詰まる。


(……わかったよ。そこまで言うなら君を大学に連れていくのはやめる。海に帰してあげよう)


(ありがとうございます、ありがとうございます。お礼にわたしの鱗をひとかけ差し上げます。細かく砕いて飲んでください。きっとあなたに福をもたらすでしょう……)


 そこではっと目が覚めた。


 少しだけクーラーボックスの蓋を開けると、夢の中と同じように魚が私を見つめていた。


 馬鹿馬鹿しい、あんなのはただの夢だ……。


 自分に言い聞かせたが、どうしても魚の目に感情と知性を見てしまう。


 迷ったあげくに二つ先の駅で降り、反対方向の電車に飛び乗った。


 海に戻って再びクーラーボックスの蓋を開けると、水中に鱗がひとかけ漂っていた。


 つまみ上げると、魚は小さく首を縦に振る。もう、あれをただの夢として片づけることなんてできない。


「二度と釣られるんじゃないぞ。仲間にも、ああいう餌には気をつけるように言いなさい」


 忠告して海に帰してやった。


 釣りを再開する気にはならずに帰宅し、さっそく鱗を細かく砕いて飲んでみた。――だが、何事も起こらない。


 がっかりしなかったといえば嘘になるが、


 まぁいいさ。お礼のためにやったことじゃないんだから。


 すぐに気を取り直す。音楽を聴いたり料理をしたり晩酌をしたりして一日の残りを過ごし、良いことをしたときならではの清々しい気分で眠りに就いた。


     ***


 目が覚めると、異常に視界がくっきりしていた。驚いて起き上がると、向こうの壁のカレンダーのいちばん小さな文字までやすやすと読める。


 年々目が悪くなり、今では分厚い眼鏡が手放せなくなっていたというのに――。もしかして、これが魚の言っていた「福」なのか。


 メガネザメなのに鱗を飲んだら目が良くなるなんて――いや、メガネザメだからこそ鱗を飲んだら目が良くなるのだろうかなどと考えてから、私はあの神々しいほど美しい姿を思い出して「ありがとう……」とつぶやいた。

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