おまけ・寝台争奪戦線

「僕と慈雲じうんが寝台で寝るから、永膳えいぜんさんと涼麗りょうれいさんは床で寝てね」


『愛らしい』と評される笑みと紡がれたのは、どこからどう聞いても暴論だった。


 あまりにも平然と吐かれたその台詞せりふに、永膳は思わず『ハッ』と嘲笑を向け返す。


「俺が使うに決まってんだろ。で、俺が使うなら隣は涼麗だ。まぁ、入るなら慈雲も入れてやってもいい。だからお前が床で寝ろ」

「無理でしょ。自分と慈雲の大きさ、分かってるの?」


 大抵の人間ならば、永膳のさげすむような語調と笑みを前に萎縮し、永膳に従う。反論などもってのほかだ。


 だがこの程度の圧では浮かべた微笑みさえ揺らがさないのが、今目の前にいるこう貴陽きようという小生意気な後輩だった。


「ここの家主は慈雲なんだよ? だったら当然、慈雲は寝台で寝るべきじゃない? で、慈雲の体格だと、一緒に寝れるのは精々あと一人。一番小柄な僕が一緒に寝るのは、妥当な考えだと思うけど?」


 そんなことをのたまう貴陽は、すでにしれっと寝台に上がり込んでいる。


「……」


 そのままどさくさに紛れて寝てしまうのだろうと読んだ永膳は、無言のまま貴陽を押しのけるように寝台に膝をついた。そんな永膳を貴陽は行儀悪く足で押し返す。


 だが力勝負になれば、年下かつひ弱な貴陽は永膳の敵ではない。


 永膳は太腿と腹筋に力を込めて貴陽の足を押し返す。その力の差に不利を感じたのか、貴陽は腕でも抵抗しながら、さらに退魔術まで繰り出そうと唇を開く。


「壊れるぞ」


 その瞬間、背後からボソリと声が落ちた。


「そんなに暴れると、寝台が壊れる」


 争う二人の後ろからスルリと寝台に上がった涼麗は、我関せずとばかりに空いた空間に丸くなると、組み合ったまま動きを止めた二人にチラリと視線を向けた。


「争うのは勝手だが、寝台を壊したとなれば、慈雲に怒られる」

「……」


 ──……だろうな。


 淡々とした、だが納得せざるを得ない言葉に、貴陽と永膳は同時に力を緩める。その隙に永膳が力を流すように寝台に倒れ込むと、貴陽はすかさず永膳を遠ざけるように腕を突っ張った。だが体重の差がありすぎたのか、結局永膳の体は動かず、貴陽の体の方が壁際へずっていく。その無駄な抵抗に貴陽が小さく舌打ちをしたのが分かった。


 ──テメェ……慈雲の前じゃ可愛い子ぶって舌打ちなんかしねぇくせに。


 どうにもこの後輩はいけ好かない。恐らく、根っこの部分が自分に近すぎると、本能的に分かってしまっているからだろう。


 結局、三人で寝台に並ぶ形になってしまった。貴陽を叩き出したいのは山々だが、何だか自覚していた以上に落ち着いてしまったのか、体を動かそうという気力が体の端から抜けていく。


 ──こんなこと……滅多にねぇはずなのに……


 かく家という大家に、才を持つ者として生まれた。それだけで物心ついた頃から命と立場を狙われ、常に気を張って生きてきた。


 たとえ血を同じくする者達の前であろうとも、気を抜けばどんな目に遭うかは分からない。貴族の家というのは、そういう場所だ。だからこそ永膳は、自邸の内であろうが外であろうが、常に戦える状態を保ち続けてきた。


 その警戒が、なぜか今はホロホロと解けていってしまっている。ここは郭家に比べるまでもないボロ屋で、貸し与えられた衣も寝台もお粗末な物で、隣にはいけ好かない後輩まで転がっているというのに。


 永膳は己の不可解な状況にぼんやりと思いを馳せる。その間に足元からはスゥ、スゥ、という安らかな寝息が上がっていた。どうやら人一倍警戒心が強いはずである涼麗までもが無防備に寝入ってしまったらしい。


 ──あぁ、そうか……


 その寝息と、薄い天井から響く雨の音に耳を澄ましている間に、永膳は答えを見つけた。


 ──ここは、慈雲の気配が強いから……


 歳上の同期。


 前代未聞の十四歳という幼さで入省した永膳にとって、同期はすべからく『歳上の同期』だが、永膳が『歳上』と認めているのも『同期』と認めているのも、慈雲だけだった。


 他の有象無象は、皆クズだ。存在を認識する価値さえなく、ましてや同期の座に並べる必要性など存在しない。


 ──なんか、この場所は、……慈雲に、守られてるって、感じがして……


 この自分が、唯一、『こいつになら頼ってやってもいい』と思った相手。監督者という立場から物を言われても何となく許せるし、向こうから頼られれば応えてやってもいいと、ほんのちょっとでも思っている相手。


 自分がそう思ってしまうのはきっと、慈雲が永膳の実力を認めていながら、どこまでも永膳を『ただの永膳』として扱っているからなのだろう。


 永膳もただの十八歳のガキで、ずば抜けた退魔の才を持っていながら、まだまだ間違ったことをしたらぶん殴ってでも止めてやらなければならないクソガキであると……いざとなったら歳上である自分が守ってやらなければならい存在であると、慈雲が無意識に考えて、日々そう扱っているから。


 ──ほんっと、バカなやつ……


 永膳は、呪術大家『四鳥しちょう』が一角、郭家の時期当主だ。同腹・異腹を含めて数人いる兄達を押しのけて、幼くしてその座を我が物にした傑物だ。そんな人間がただの『子供』であるはずがない。


 だが誰が利権問題から永膳を利用し、裏切ろうとも、慈雲だけはそんな真似をしないだろう。


 いざとなれば慈雲は、損得勘定を度外視して永膳を助けてくれる。疑い深い自分が、この四年の間に、無条件にそう信じてしまうようになった。


 恐らく他に懐かない涼麗が慈雲にだけは興味を示し、人並みの反応をするのも。貴陽が並々ならぬ執着を慈雲に向けるのも。


 根本的な理由はきっと、同じ場所にあるのだろう。


 そんな相手の気配が色濃くただよう場所だから。そんな気配に包まれるようにして、寝転んでいるから。


 だからこそ自分は……いや、は、こんなにもあっさりと眠りの淵に落ちようとしているのだろう。


 ──背丈はほとんど追いついたのに……体の厚み、やっぱ違ぇのな。


 借りた衣は、着丈はほぼ合っているのに、着付けてみるとなぜかかなり余裕があって、体に沿うことはなかった。貴陽や涼麗の姿を見て、それが体の厚みの違いから来ているのだと気付いた。


 その気付きが、少しだけ、嬉しかった……なんて。


『保護者』と認めてやらんこともない『歳上の同期』の自宅に招かれたことが。普段は見えない一面を見れたことが。


 他の人間にこんなことをされていたら、この雷雨の中を歩いて帰る道を選んだくらい、今の自分を取り巻いている全てが、普段の己の身の丈よりもはるかに下だというのに。


 今、自分の身を包んでいる全てが、楽しくて、嬉しかった、なんて。


 ──言って、なんか……やん、ね……


 スルスルと、信じられないくらい呆気なく、意識が眠りに落ちていく。


 目が覚めたら、この部屋を、もっと快適な空間に変えてやる。


 その決意を胸に刻んだのを最後に、永膳の意識はストンッと眠りの世界に落ちていった。

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