探検家ロカテリアと新聞社【KAC20247】
竹部 月子
探検家ロカテリアと新聞社
「探検家ロカテリアになるので、今日で仕事辞めます。だそうですよ?」
夕暮れのオフィスで、男性記者が読み上げた辞表に、編集局長は強くデスクの天板を叩いた。
「何だって。連れ戻してくれ!」
彼が珍しく上げた大声に、新聞社の裏手の駅からピィーと汽笛が重なった。
「たぶん、アレに乗ったと思いますよ。あいつ、そういうところはやたら用意周到ですから」
慌てて編集局長が窓にとびついたところで、走り始めた蒸気機関車が止まるはずもない。
「いいじゃないですか。どうせクビにしなきゃいけない日は、そう遠く無かったですよ」
あきれたように言う男性記者は、ロカテリアの直属の上司だ。
「……うむぅ」
編集局長のほうは、まだ諦めきれないように小さくなっていく汽車を見つめている。
ロカテリアは、この新聞社で初めて採用した若手の女性記者だった。
大物政治家相手にも、物
凶悪犯のひそむ現場にも、全然嫌がらずに取材に飛び込む勇敢さ。
そして、若さの光る鮮烈な書き口の記事を、編集局長はとても買っていたのだ。
ただ、ちょうど彼の娘とロカテリアが同じ年だったということもあり、いつも部下からは「ロカテリアに甘い」と苦情が絶えなかった。
一番の被害をこうむっていたのは、教育係でもあった上司の記者だ。
「市長へのインタビューで、いきなり汚職の話題ふっかけて、ついでに茶もひっかけた時には、卒倒しそうになりましたよ」
物怖じしないどころか、彼女はどんなに社会的地位が高い人間にも
「凶悪犯の立てこもりの現場でも、いつのまにか隣にいないと思ったら、裏口から忍び込んで中で男二人をボコボコに殴ってるとか、あれはもう猛獣ですよ」
容疑者をロカテリアが追いかけ、そのロカテリアを「待て、やめろ、殴るな!」と追いかけ回すことなんか、日常茶飯事だったのだ。
思い出しただけで頭痛がしたのか、記者は額に手をあてて首を振る。
「あんな問題児、二度と面倒見るのはゴメンです。自分から辞めてくれてせいせいしました」
肩をすくめて言った記者の顔は、決して「せいせいしている」という晴れやかなものではなかった。
どちらからともなく、男ふたりはロカテリアのデスクを見つめる。
そこには、二週間前の新聞が乗っていた。
わざわざ中面が表になるよう折りたたんで、ロカテリアの手によって、小さな記事がグルグルと強く囲まれている。
田舎の村で、娘がひとり死んだ。
並べられた事実は、それだけだ。
ロカテリアが必死で調査して書いた記事は、帝都の検閲でほぼ原形をとどめないほど削られてしまった。
刷り上がってきた新聞を見た彼女は、オフィスで台風のように暴れ、大粒の涙をこぼした。
正義はどこだとほえる彼女に、飲み込め、こらえろとしか言えなかった上司二人も無力感でいっぱいだったのだ。
その後のロカテリアは、出勤するなり資料室にこもり、誰とも口をきかなくなってしまった。
記者の誰もが通る道だ、時間が解決すると、新聞社の皆は静かに見守った。
その結果が、
力なく椅子に沈み込んでしまった編集局長に「おっ」と記者が声をあげた。
「辞表に二枚目がありました……ハハハ。読みます?」
文面を見て笑った男性記者が手紙を差し出すと、編集局長は読んでくれとうながした。
「新聞の黒インク一色じゃ、伝わらない真実があると思う」
うむ、と編集長はタイプライターのキーをじっと見つめる。
「世界に溢れる本物の
窓から入り込んできた風が、男たちの肩をそっと撫でて、紙面を揺らす。
せめて「ありがとうございました」だろと、上司はそろってため息をついた。
取材から戻った記者が、疲れた顔でロッカーに上着をしまう。
「ごくろうさん」
帰り支度をしていた編集局長が声をかけると、ふと思いついたように、記者はロカテリアのロッカーを開けた。
「うわ、やっぱりアイツ、何もかもそのまんまにしていきやがった。片付けるの、今の仕事が落ち着いてからでもいいですか?」
編集局長も扉の中をのぞき込むと、中は荷物でいっぱいだった。
ほんの二年の勤務で、ボロボロになるまで使い込まれた地図や、留め具がはちきれそうにスクラップされた記事が、地層のように積み重なっている。
手紙の束は、彼女が新聞記者の枠を超えて、
「いや……片付けはいいよ。しばらくこのままにしておいてくれ」
しんみりとしている編集局長の横顔に、記者は少し笑って尋ねる。
「あいつ、絶対に戻ってきませんよ。いつまでこのままにしとくんです?」
「そうだね……ほんの、しばらくの間だけだよ」
探検家ロカテリアと新聞社【KAC20247】 竹部 月子 @tukiko-t
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