宝の色彩
空峯千代
君の見ている景色を知ってみたいと思うから
春になると、人は変化を求めやすいらしい。
とはいえ、この歳になってまさか髪を染めることになるとは思ってもみなかった。
子どもの頃以来、一度も来ていなかった美容院。
久しぶりに訪れたここは、シャンプーや薬剤の混じった清潔な香りがする。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。座ってたら終わるって」
気軽に言ってくれるな。
苦手だったから、今日まで自分のハサミで髪を切ってたんだぞ。
「大丈夫だから。ほんとに」
宝の声は、半ば言い聞かせる母親のような声音だった。
僕はさすがに観念して、深呼吸をする。
すると、息を吐ききらないうちに担当らしき美容師さんが来た。
「こんにちは~! 今日はどんな感じにしますか?」
「えっと......」
鏡越しに見る美容師さんは明らかに僕と正反対のタイプだった。
しっかりセットされたパーマに、金の入った茶髪。
にこりと向けられた笑顔の爽やかさと口調の明るさに気圧されそうになった。
「あの。俺、彼の友達なんですけど。彼人見知りなんで、俺も話に混ぜてもらっていいですか?」
隣に座った宝があろうことか、僕と美容師さんの会話に割り込んできた。
「え、あ。もちろん大丈夫ですよ~!」
美容師さんは戸惑っていたものの、順応が早い。
そしてなぜか宝の担当についた方も会話に参加して、四人(マイナス一人)の不思議なコミュニケーションが成立していた。
「彼、初めて髪染めるんですよ」
「え~! それはワクワクしますね! なんで染めようと思ったんですか?」
担当のお兄さんがハサミを動かしながら聞いてくる。
「それは、髪を染めたら、気分も変わるかなって。思ったので」
家で宝のアルバムを見たとき。
大学生の頃、金髪にしている宝の写真を見て驚いたことがあった。
その時に言われた「髪の色が明るくなると気分も明るくなる」なんて言葉に影響された。
理由はただそれだけだった。
「なら、僕もいい気分に変わってもらえるように頑張りますね」
担当のお兄さんはごく自然にそう言ってくれた。
「こんな感じですけど、どうですか?」
頭全体が見えるように、鏡を後頭部に向けてもらう。
すると、あまり目立たないが黒髪が濃いめの茶色に変わっている。
ハッキリとした変化ではないけど、たしかに髪色が明るい。
「綺麗,,,ですね」
一見すると、黒髪と変わらない。
けれど、光に当たれば茶色い髪の毛がきらきらと輝くような気がする。
たしかに、髪色が明るいと気分も明るくなるのかもしれない。
「今の髪色、いいじゃん」
髪をカットしてもらった宝は、隣から僕の髪をまじまじと見ている。
「よく似合ってる」
「なんか照れくさいけど。ありがと」
今、同じ景色が見えてるといいな。
鏡に映ったまだ見慣れない後頭部に少しだけ触れてみた。
宝の色彩 空峯千代 @niconico_chiyo1125
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