レトヴィイヤの橙色

壱単位

レトヴィイヤの橙色


 レトヴィイヤのお気に入りは、だいだい色。


 冬が長く、夏らしい夏などないこの島。それでもほんのわずかな間、中天たかくのぼった太陽が、とおくとおくどこまでも真っ青の海と、恥じらうように砂浜に咲いた小さな花とをきらきら照らし出すこともあった。


 レトヴィイヤは生まれてからまだ、十五回しか季節のめぐりを経験していない。


 それでもたしかに、そういう、あらゆるものが輝いてみえる時期をいくつかは識っているのであり、橙色の薄い硝子板、どこで手に入れたものだったか彼女じしんも忘れてしまったけれど、もっとも大事なたからものであるそれを空にかざしたのなら、そうして彼女のこころが光を求めたのなら、美しい季節の記憶はいつでもそのちいさな胸に去来したのである。

 たとえそれが、暗く垂れ込めた分厚い雪雲の下で行われるものだとしても、外気が氷点を二十度ほど下回った、今日のような日の行為だとしても。


 レトヴィイヤは硝子板を下ろし、背嚢に丁寧に仕舞って、背負い直した。身体を包む革の外衣をきゅっと前であわせる。しばらく同じ場所にたっていたから、時折り吹き付ける重い雪がすでに足首までを埋めている。


 もう一度、空を見上げる。

 春まではまだ三月ほどあるはずだ。


 いのちを繋ぐための物資には、充分な余裕がある。そして倉庫は、彼女の住まいに隣接している。だから、今日のような日にわざわざ、吹き曝しの海岸にまで出てくる必要はないのだ。

 ないのだが、彼女は、それを止めようとしない。

 週に一度、木曜日。

 あのひとが立ち去った、この海岸から船を出した、木曜日。その、午後二時十八分二十三秒。

 ここに立っていれば、会えるような気がしているからだ。待たせたね、と、むかしと変わらぬ笑顔で戻ってきてくれるように思うからだ。


 レトヴィイヤはわずかに、ふっと笑うような、あるいはため息のような音をつくってみせた。俯き、ゆっくりと首を左右に振って、踵を返した。

 鉄製の靴が深く雪に沈み込む。

 しんとした白い世界に、じじ、じじ、と、動力装置の作動音が沁みてゆく。


 最終作戦に参加した上司からの連絡は、その出発の二十日後に途絶えた。

 同時に祖国からの情報網も、あるいは傍受していた敵国の通信も、すべて消滅した。

 急激な気候の変動と大気成分の変化が、どのような兵器がこの大戦において使用されたか、そして世界がどういう状況に置かれているかを明瞭に物語っていた。

 

 それでも、レトヴィイヤは仕事を続けた。

 補給基地のすべての機能を、いつでも使用可能な状態に維持し続けた。故障すれば修繕し、汚れれば清掃し、所属する全隊員分の食料を求められればすぐ提供できるように管理した。

 それが、後方支援アンドロイドとしての、レトヴィイヤの任務だったからだ。


 彼女が最後に受けた十三年前の命令は、いまだ変更されていない。

 


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