【KAC #7】そういうところが好きじゃない
二八 鯉市(にはち りいち)
そういうところが好きじゃない
喫茶『スリーミニッツ』の店内は、至る所に花やレースの飾りが施されている。かわいい店だ。
その店を一人で切り盛りしているのが、
「あぁうん、元は兄貴の店なんだよ」
ある日何気なくこの店を始めた理由を聞いたとき、七瀬は「なんてことない」というように笑った。
「兄貴、ある日失踪しちまってさ。で、まあこの店さえ続けてればいつか帰ってくるかな、なんて思いながら引き継いだカンジ。ってかさ、その時俺たまたま無職だったからこう、『店主の消えた店』と、『職の無い俺』が丁度マッチングした、みたいな?」
笑顔の奥に、何か底知れない淋しさのようなものを感じた。
――好きじゃない、と。
***
鳥の装飾のついたベルが鳴る。
「いらっしゃい」
「ん」
八谷はカウンターの右端のいつもの席に座った。
「カフェオレ、甘さ控えめで」
「はいどうも」
注文する前から、『いつものね』という顔で微笑んでいる。
――こういうのも好きじゃない。
八谷は鞄からスマホを取り出しながら、そんなことを思った。
いつものソシャゲを起動する。
「またイベント期間?」
「うん」
そっか。いやあ夢中になれるものがあって何よりだよ。
そんな目で見てくるのも、やだ。
そう思いながら八谷は、呟くように言う。
「今回のイベントは、前回よりは走り切れそう」
「へぇ、いいじゃん」
他人のソシャゲのイベントの進捗状況なんて、心底どうでもいい。だから普段、誰かに話す事なんてない。だけど、この人には思わず伝えたくなる。
なんで全部受け止めるんだろう、この人。
八谷は目を伏せ、ソシャゲに向き合う。敵の討伐に、一刻の猶予も無い。
***
「お待たせしました」
「ありがとう」
湯気の立つカフェオレ。熱さも甘さも丁度いい。
この店に通う事を決めた理由は、初めて飲んだ時に、『他と違う』と思ったから。きっと何か隠し味がある。
ちび、と一口飲む。あったかい、甘い、落ち着く、好き。
そう。この店に来る理由は、このカフェオレゆえである。
他に何も理由はない。
ないのだ。
***
「はぁー」
「……」
グループで来ていた客が帰って、店の中には、八谷と七瀬とで二人きり。カフェオレを提供した七瀬は、先程からカウンターの向こうで何事かを手帳に書きこんでいる。
「……ため息、どうかしたの」
なんで聞いてしまうんだろう、私。八谷は小さく唇を噛む。
「いや、大したことないんだけどさ」
へらり、と七瀬は笑う。
「赤ペン切れちゃった」
「……え?」
「いや、赤ペン切れちゃってさ。しょんぼりーみたいな」
「ふぅん」
いや、それでそんなため息?
七瀬が、「ほら」と見せてくれたのはシンプルな黒のスケジュール帳だった。なるほど、こまごまとメモが書いてある。4色のペンを使い分けているらしい。
「今日中に仕入れの予定立てたかったんだよなぁ。残念、残念」
「いや……別の色使ったら?」
「仕入れは赤って決めてるんだよなあこれが。しかも俺、書き味も重要なんだよ。トリアエズって文具メーカーの赤のボールペン。これ、って決めてるワケ」
「……そう」
こだわりが色々あるのだろう。
そうか。
八谷はふと、白いカップの中で揺れるカフェオレを見つめる。
もしかしたら彼をとりまき形成する色々なこだわりが、柔らかくて落ち着くカフェオレの秘訣なのかもしれない。
「はーあ。手帳はまた今度にするか」
七瀬はため息をつき、カウンターから出ると、店の一角のテーブルへと向かった。前の客が飲んでいたカップを片付け始める。
八谷はソシャゲのリザルト画面を軽快にタップしながら、『今度来るときには、事前に百貨店の文具コーナーに寄ろうか』などと考えた。それで、そのナントカとか言うメーカーの赤いペンを買ってきてやろうか。そうしたら七瀬がああやって困ることは無くなる――
「んんっ」
小さく喚き、八谷は首を振った。一体何を考えているの、あたしは。
はぁ、とため息をつきながら七瀬の方をちらりと振り返った八谷は。
「えっ」
危うく、スマホを落としそうになった。
「え、何?」
声に驚いて振り返った七瀬に、八谷は言った。
「……あのさ、靴下の色違うけど」
「えぇー?」
七瀬はカップを置いた盆を持ったまま、足元を見下ろした。左が赤、右が黄色である。
「うわ、ホントだ。はずかしー」
そしてケラケラと笑った。
「いやまあ、誰も見てないから気にしないっしょ。俺こういうのこだわり無いし」
八谷は。
絶対に赤ペンなど買ってきてやらない、と心に決めた。
こういうところが、好きじゃないのだ!
【KAC #7】そういうところが好きじゃない 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo
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