キケンのイロ、シアワセのイロ。
λμ
キケンのイロ、シアワセのイロ。
春も近く明るい夕方、街には胸に薄青のコサージュをつけた中高生の姿がちらちらと見当たる。きっと卒業式を終えたあと、そのままどこかで遊んだ帰りなのだろう。
『――じゃあ、付き合ってみる?』
そう聞かれた日のことが思い起こされ、僕の口元はついつい緩んだ。
途端に、僕の視界に映る数人が、危険を知らせる赤色に輝いた。
僕は慌てて顔を伏せ、口元を隠した。薄手のコートのポケットを探り、マスクを取り出し掛けておく。一つ深呼吸を入れて顔をあげると、もうそこに赤色はない。
僕の目に映った赤色は、僕が生まれつきもっている共感覚の輝きだ。
共感覚というのは特定の知覚情報に対して、通常とは異なる知覚が生じる現象だ。たとえば、素数が光って見えるとか、文字や言葉に色を感じたりとか、音と匂いが一致する、なんて人もいるらしい。
けれど僕の共感覚は少し特殊で、信号機みたいなものだった。
つまり、危険な人や物は赤く輝き、幸せや安全をくれる人や物が薄青に輝くのだ。
こんな話は大人の誰も信じてくれず、子供ならばと思っても同級生で信じてくれる人はいなかった。だから教室は常に赤く光り輝いていて、そのなかで青く光る点を見つけてじっとやり過ごすのが常だった。
当然、そんな僕に友達ができるはずもなく、けれど共感覚のおかげで痛い思いをせずに過ごして、高校生活を終えてしまった。
薄青く光る両親は、そんな僕のことを心配していて、心配が募れば募るほど、輝きを失っていった。そうなると、いずれは赤く輝きだすのではないかと思え、僕は変わることを決意した。
それが、今日のような冬の終わりで春の始まり、コサージュをつけた中高生が街中を歩いていた日だった。
その日はとても風が強くて、あちこちに赤い光が輝いていた。今にも剥がれて飛んできそうな看板(実際に十秒と経たずに飛んだ)、ふいに光りだす道路(薄青く光る電信柱に隠れると突風が砂埃を舞い上げた)、そして――大学へ向かう交差点。
僕の前に薄青く輝く女性が一人いた。実をいうと、同じキャンパスの同じ教室で何度か見かけたことのある人だった。前から薄青に輝いているのが気になっていて、たまにこうして通学途中に出くわすと、つい目で追ってしまっていたのだ。
いつも、いつも声をかけてみようと思うものの、話しかけた途端に赤く光りだすんじゃないかと怖くなり、勇気を出せずにいた。
だからいつものように、僕は彼女の青いインナーカラーを入れた髪を見つめて悶々としていた。すると、ふいに彼女が振り向いて、真っ赤に輝いたのだ。
――もちろん、彼女ではなく、彼女の背後が。
僕は咄嗟に手を伸ばして、彼女の肩を掴んだ、驚き、歪む、彼女の顔。共感覚は主観的な情報だ。彼女には理解できない。きっと真っ赤に輝き出すと、そう思った瞬間だった。猛烈な突風が吹き抜けて、彼女も僕も背中を押された。
僕は足を踏ん張って、風に巻かれる彼女を強く引き寄せた。
勢い余って、抱きとめてしまうほど強く――。
『……あ、ありがと』
と、驚いたような恥ずかしがるような、なんとも不思議な顔をしていた。
僕は慌てて彼女を離し、とにかく言い訳しようと、
『あの、僕、共感覚があって!』
『へ?』
『危ない! っていうのが、見えて』
『……なにそれ』
そう言って、彼女は薄青く輝きながら笑った。その背後で、渡るつもりだった信号が青く点滅していて、あ、と声を出す間に赤に変わった。
だから、というわけではないのだろうが、彼女は僕を紅茶に誘ってくれた。
それから僕は、彼女――
なんでだろうと焦る僕に一花さんはにっこり笑いながら言ったのだ。
『だって、
『ああ、それで――』
内心ホッと胸を撫で下ろす僕に、
『それに、いつも私のこと見てるから」
一花さんはそう言って薄青く輝いた。
僕はなんで見ていたのか理由を話さなくてはならなくなって、けれど一花さんが薄青く輝いているから、安心して喋ることができて――そうして、会話の終わりに言われたのが、
『――じゃあ、付き合ってみる?』
の一言だった。一花さんに言わせれば、幸福と安心を知らせる薄青い輝きがあるならうまくいきそうだからだそうだ。僕は迷わなかった。自分を変えたかったし、変えてくれそうな人が目の前にいたのだし、しかも薄青に輝いていたから。
あれから今日までの一年、人生でこんなに幸せだった時間はなかった。一花さんは僕の共感覚を不思議がることはあっても、気味悪がることはなかった。何が危険に見えるのか、何が幸せに、安心に見えるのか実験までした。
一花さんはいつも大げさに驚いて、うーんと唸りながら首を捻った。その一つ一つが愛おしくて、幸せで、その御礼を言いたくて。
僕は記念日の今日、贈り物を持って、初めて出会ったときのコーヒーショップにいった。
「一花さん。待たせちゃってごめんね」
「んーん。大丈夫。私も遅れてきたからさ」
「あ、そうなの?」
「うん、ほら。あのときの髪」
言って、一花さんは髪に
「本当だ」
思わず懐かしくなり、僕は笑った。それからすぐに、一花さんの薄青い輝きが消え失せてしまないように、強く輝いているうちにと、贈り物を取り出した。
「はいこれ。記念日のプレゼント。開けてみて」
「え、いいの? 私、何にも用意してないよ?」
「いいの、いいの。ほら開けてみて」
一花さんはニコニコしながら細長い箱の包み紙を破り、それを取り出した。ぱちくりと瞬く瞳が丸くなる。
「ローズクォーツのペンダント」
僕は言った。
「なんか、色がさ、一花さんにピッタリだと思って」
「……私に?」
「うん。もし気に入らなかったらアレだけど……」
「ううん。そんなことない」
言って、一花さんは髪をサラリと持ち上げ、ペンダントを首からかけた。
その色と輝きに僕は幸福と安全を感じながら言った。
「うん。一花さんと同じ色だ。似合ってる……と思う。僕は」
話すうちに恥ずかしくなり、僕は思わず紅茶に逃げた。
こういうとき大抵はからかうような言葉が飛んでくる――はずなのだが。
反応らしい反応がなくて、僕は恐る恐る顔を上げた。
一花さんはじっとローズクオーツを見つめていた。
「えっと……やっぱり、気に入らない?」
「え?」
と一花さんも顔をあげ、なんとも複雑そうに首を左右に振った。
そして。
「ねぇ、光くん」
「な、なに?」
「これって、なんていう石?」
「え? ローズクォーツだよ」
「だよね。日本語だとなんていうか知ってる?」
「えっと……」
「紅水晶」
言って、一花さんは優しげに微笑んだ。
「ずっとおかしいなって思ってたんだけどさ」
「え、なに……?」
「光くん、色覚異常があると思うよ」
「色覚……異常……?」
「そう。実験してるときから、ちょっと気になってたんだよね」
一花さんは紅茶にティースプーンを入れてくるくると回した。
「共感覚ってさ、感覚だからブレないんだよね」
「ど、どういう意味……?」
「光くん、たまに安全な色と危険な色、間違うでしょ?」
「まさか!」
僕は薄ら寒いものを感じ、思わず大きな声で否定してしまった。
慌てて口を噤むと、一花さんは僕の目をジッと見ながら言った。
「ローズクオーツはピンク色……薄い赤色なんだよ」
「……え、でも」
「光くんは、たぶん、薄青と薄いピンク色の区別ができないんだと思う」
「でも」
その色は、一花さんの輝きと同じ色のはず――
コクリ、と僕の喉が小さく鳴った。
「私といて、幸せ? それとも――」
そう微笑んで、一花さんは、紅水晶と同じ薄青に輝いていた。
キケンのイロ、シアワセのイロ。 λμ @ramdomyu
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