本編
本編
西門と書いてある前で僕は立ち止まり、フウと息を吐き出した。門をくぐり、
そこで、カランと倒れた杖を拾ってあげたのがきっかけだった。
「ありがとう」
僕は目を丸くした。その人はお爺さんではなくて、オジサンだったのだ。しかも、袴姿で、頭には小ぶりな麦わら帽子みたいなものをかぶっている。まるで古い時代から出てきた人みたいだった。
「君、ひとり?」
聞かれて、僕はコクリと頷く。
オジサンは不思議そうな顔をした。
「どうしてひとりなんだい?」
「夏休みで爺ちゃん婆ちゃんの家に帰省してて、宿題のためにこのやきもの散歩道に来たんだ。でも、案内するって張り切ってた爺ちゃんが疲れちゃって。違う日にまた来ようって言われたけど、僕はもう一度来るなんて嫌なんだ。宿題なんて、今日一日でさっさと片付けちゃいたいんだ!」
それを聞いて、オジサンは納得した表情を浮かべた。
「なるほど、
僕は首を振る。
「爺ちゃんが待ってるし、
ピクリ。オジサンが何かに反応した気がした。顎に手を当て、しばらく考え込み、それから、「よし!」と僕に笑顔を向けた。
「では、私が君の爺ちゃんの代わりに案内をしよう。私も孫たちに会いに来たようなものでね。それに、ステッキを拾ってくれたお礼だ」
「いや――」
いいです、と断ろうとしたのを遮って、オジサンは
「廻船っていうのは荷物を運んでまわる船のことだ。船があったもんで、
「へぇ」
思わず声が出てしまった。
知らない人についていくのは危ないけど、周りは観光客でいっぱいだし……まあ、宿題がはかどるなら良っか。
そういうわけで、僕はオジサンに案内をしてもらうことになった。
開け放たれた通用門から、壁一面に埋め込まれた何かが見える。茶色で、人の頭くらいで、茶碗をひっくり返したような形の真ん中には穴があいている。
門を出てみると、坂道にそって、その壁がずっと続いていた。
「ここはでんでん坂。壁を埋め尽くしているのは
言われて見下ろすと、上から見た植木鉢の
「土管を焼くときに使った敷き輪だよ。歩くときの滑り止めにしてあるんだ」
へえ、と言いながら、僕はなんとなく、片目をつぶって焼酎瓶の穴を覗いてみた。
すると、そこには暗闇のはずなのに、白く潤んだ目玉があって……
「ウワアッ!」
パチリと目が合って、僕は叫んで尻餅をついた。
「こら、駄目だよ」
そんな小声が聞こえた気がした後、オジサンは「大丈夫かい?」と僕を立ち上がらせてくれた。
暴れる心臓に胸をドカドカ殴られながら、僕はもう一度、焼酎瓶の壁を見た。
でも、整然と並んでいる穴はどれも、真っ暗な闇で満たされているだけだった。
ドキドキがおさまらないうちに、また別の坂にたどり着いた。
「今度は土管坂だ」
細い上り坂の両側が高い壁ではさまれている。右はでんでん坂と同じ焼酎瓶、左はなるほど。積み上げた土管に埋め尽くされている。
「坂道にこうしたやきものの壁があるのは、斜面が崩れてくるのを防ぐためなんだ」
説明を聞きながら、僕は焼酎瓶の壁から距離をとった。
一面に並んだ全部の穴から一斉に目玉が現れて、ギョロギョロ僕を見つめてくるんじゃないか。そんな想像がまとわりついて、ゾゾッと全身の毛が逆立った。
でもオジサンはそんな僕の様子には気づかず、スラスラと語り続ける。
「明治時代になって、街の整備のために土管が必要になった。だもんで、
そこで、オジサンの声のトーンが一段下がった気がした。
「当時は一体、どんなものがこの中を流れていったのだろうね?」
急に、僕のすぐ後ろから、サアーという音が聞こえ始めた。
恐る恐る振り返ると、そこにあるのは土管の壁だけ。音はその中から聞こえてくるようだった。まるで止めどなく水が流れているような音だ。
あり得ない!
この土管は壁に埋められているだけで、どことも繋がっていないのに。
次第に、サアーという音に、何か別の音が混ざる。それはボソ……ボソ……と途切れ途切れで――
まるで人の声のよう。
ゾッとしたところに、追い討ちのようにコツ、コツという音が響いた。それはノックの音に違いなくて……僕の脳裏に、さっき見た目玉がハッキリとよみがえった。
この中に、何かいる!
声のない悲鳴をあげて腰を抜かしそうになるのを、オジサンが支えてくれた。
「大丈夫かい?」
その微笑みに、邪悪な影がさしている気がした。
「坂ばかりで
やきもの散歩道はとにかく、上がったり下がったり、坂が多い。
だから、爺ちゃんは途中でギブアップしちゃったんだ。
「坂なんてなければ良かったのに……」
ぼそっと呟いたのを聞いて、オジサンがハハッと笑った。
「でも、丘陵地だったもんで、
「ふぅん……」
きっとオジサンは僕の爺ちゃんよりやきもの散歩道に詳しい。教えてもらったことをそのまま書くだけで、よくできた宿題を提出できるだろう。
でも、オジサンと会ってから何かがおかしいんだ。
垂れてきた汗を拭う僕を見て、「お茶が飲みたくなるねえ」とオジサンは話を続けた。
「お茶といえば、
僕は前を向いたまま、首を振った。
「朱泥は鉄分を含んだ粒子の細かい土で、焼くと名前のとおり朱色になるんだ」
カツン――
その時、何か足に引っ掛かったような感じがして、僕は転びそうになった。
「わっ、危なかったあ!」
「大丈夫かい? 怪我をしなくて良かった」
地面を見回してみたけど、躓くようなものは何もない。それでも、確かに何かが足に触れたはずだと探し続ける僕のうなじに、ポツ、とオジサンの声が降ってきた。
「血の赤より、もう少し黄色っぽい赤が、朱色だね」
ギョッとして顔を上げると、オジサンはもう歩き始めていた。ステッキが地面を突く、カツンという音が響いた。
「ここが
目の前には
「あの、この看板を読めばわかるので、案内はここまでで大丈夫です……色々教えてくれてありがとうございました!」
僕は早口にそう言うと、ペコッと頭をさげた。
いつの間にか周りには僕たち以外誰もいない。
メモ代わりに看板の写真を撮って、サッと踵を返す。
でも、一歩踏み出そうとしたところに、カツンとオジサンのステッキが伸ばされた。
「せめて十本の煙突は見ていった方がいい」
オジサンの指差した先には小道がのびていて、青々とした木や草に囲まれている。
僕の背中をヒヤリとしたものがつたった。
「爺ちゃんが待ってるので……」
か細い声で断ってみたけど、オジサンは何も言わない。
ここで走って逃げても、さっき坂で転びそうになった時みたいに、何かよくわからない力がはたらく気がする。
僕はオジサンの言うことを聞くしかなかった。
立ち並ぶ煙突を見上げる。
十本の煙突は、小道の途中にあった案内板のとおり、両隅にいくにつれて次第に高くなっていた。空を突くようにそびえていて、迫力がある。
ふと、オジサンがうわ言のように呟いた。
「明治二十年に生まれ、昭和四十九年で役目を終えました」
「え?」
「……私はここで子供たちを焼きました」
パチン。
気づけば周りが壁に囲まれ、薄暗い。僕はなぜか
どこからかゴウという音が聞こえる。キャンプファイヤーをしている時のような音だ。
勢いを増していくそれと共に、僕のいる空間が何かの燃えている臭いに濃く満たされていく。
「えっ、えっ、なんだこれ!? 助けてっ……!」
熱もどんどん迫ってくる気がして、僕は出口を求めて壁に手を伸ばした。
すると、触れたところにプツリと小さな切れ目が入る。そこから青白い光がこぼれるようにして、キョロと、あの目玉が浮かび上がった。
「ワアーッ!?」
それが合図だったみたいに、壁一面を目玉が覆い尽くす。現れた目玉たちは、僕をジイッと見つめてきた。
いや、薄闇のままのところもあるぞ。
縋るようにそっちに視線を逃していると、ハッと気づいた。これは、目玉がないんじゃない。僕のすぐ隣に何かが立っていて、壁を遮っているんだ。
呼吸が荒くなる。
恐る恐る視線を上げる。
そこにはギラリと目を光らせた――
「おーい!」
パチン。
気づけば、僕は元いた煙突の下に立っていた。オジサンは、いない。
「あー、おったおった!」
聞き慣れた声がして、ゆっくりとした足音が僕の方に近づいてくる。
「……爺ちゃん!」
「良かったー。なかなか帰ってこんもんで、迷子か誘拐されとらんかって心配で。あー、イタタ。足腰が
膝に手をついてゼエゼエいってる爺ちゃんに、僕は全力で駆け寄った。優しい笑顔に、全身から恐怖が溶け去る。
おもむろに爺ちゃんが煙突を見上げた。
「立派だらあ? 役目を終えて、もう五十年たつなんて信じられん」
役目を終えて。その言葉に僕はハッとした。
『孫たちに会いに来たようなもの』
『子供たちを焼きました』
立ち並ぶ煙突を、僕も見上げた。
「……爺ちゃん、ひとりじゃよくわからなかったから、やっぱまた爺ちゃんと来たい」
煙突を見上げたまま、僕は言った。
その言葉に応えるようにして、眠りについているはずの煙突から一瞬、柔らかな煙が棚引いた気がした。
怪異散歩! ~やきものと共に歩むまち・常滑~ きみどり @kimid0r1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます