本編

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 西門と書いてある前で僕は立ち止まり、フウと息を吐き出した。門をくぐり、廻船かいせん問屋どんや瀧田家たきたけの休憩所へと向かう。

 そこで、カランと倒れた杖を拾ってあげたのがきっかけだった。


「ありがとう」


 僕は目を丸くした。その人はお爺さんではなくて、オジサンだったのだ。しかも、袴姿で、頭には小ぶりな麦わら帽子みたいなものをかぶっている。まるで古い時代から出てきた人みたいだった。

「君、ひとり?」

 聞かれて、僕はコクリと頷く。

 オジサンは不思議そうな顔をした。

「どうしてひとりなんだい?」

「夏休みで爺ちゃん婆ちゃんの家に帰省してて、宿題のためにこのやきもの散歩道に来たんだ。でも、案内するって張り切ってた爺ちゃんが疲れちゃって。違う日にまた来ようって言われたけど、僕はもう一度来るなんて嫌なんだ。宿題なんて、今日一日でさっさと片付けちゃいたいんだ!」

 それを聞いて、オジサンは納得した表情を浮かべた。

「なるほど、ちゃっさっさと、ね。あっちの瀧田家たきたけは見学してきたのかい?」

 僕は首を振る。

「爺ちゃんが待ってるし、登窯のぼりがまっていうのだけ見て、引き返すよ」


 ピクリ。オジサンが何かに反応した気がした。顎に手を当て、しばらく考え込み、それから、「よし!」と僕に笑顔を向けた。

「では、私が君の爺ちゃんの代わりに案内をしよう。私も孫たちに会いに来たようなものでね。それに、ステッキを拾ってくれたお礼だ」

「いや――」

 いいです、と断ろうとしたのを遮って、オジサンは主屋おもやの方を指さした。

「廻船っていうのは荷物を運んでまわる船のことだ。船があったもんで、常滑焼とこなめやきは日本全国に運ぶことができたんだよ。常滑とこなめはやきものの町であると同時に、港町でもあったんだ」

「へぇ」

 思わず声が出てしまった。


 知らない人についていくのは危ないけど、周りは観光客でいっぱいだし……まあ、宿題がはかどるなら良っか。


 そういうわけで、僕はオジサンに案内をしてもらうことになった。




 開け放たれた通用門から、壁一面に埋め込まれた何かが見える。茶色で、人の頭くらいで、茶碗をひっくり返したような形の真ん中には穴があいている。


 門を出てみると、坂道にそって、その壁がずっと続いていた。

「ここはでんでん坂。壁を埋め尽くしているのは常滑焼とこなめやきの焼酎瓶だ。足下のモザイク画みたいなものも見てごらん」

 言われて見下ろすと、上から見た植木鉢のへりみたいなものが、これもずっと坂道に敷き詰められている。

「土管を焼くときに使った敷き輪だよ。歩くときの滑り止めにしてあるんだ」


 へえ、と言いながら、僕はなんとなく、片目をつぶって焼酎瓶の穴を覗いてみた。

 すると、そこには暗闇のはずなのに、白く潤んだ目玉があって……


「ウワアッ!」


 パチリと目が合って、僕は叫んで尻餅をついた。


「こら、駄目だよ」

 そんな小声が聞こえた気がした後、オジサンは「大丈夫かい?」と僕を立ち上がらせてくれた。


 暴れる心臓に胸をドカドカ殴られながら、僕はもう一度、焼酎瓶の壁を見た。

 でも、整然と並んでいる穴はどれも、真っ暗な闇で満たされているだけだった。




 ドキドキがおさまらないうちに、また別の坂にたどり着いた。

「今度は土管坂だ」

 細い上り坂の両側が高い壁ではさまれている。右はでんでん坂と同じ焼酎瓶、左はなるほど。積み上げた土管に埋め尽くされている。

「坂道にこうしたやきものの壁があるのは、斜面が崩れてくるのを防ぐためなんだ」


 説明を聞きながら、僕は焼酎瓶の壁から距離をとった。

 一面に並んだ全部の穴から一斉に目玉が現れて、ギョロギョロ僕を見つめてくるんじゃないか。そんな想像がまとわりついて、ゾゾッと全身の毛が逆立った。


 でもオジサンはそんな僕の様子には気づかず、スラスラと語り続ける。

「明治時代になって、街の整備のために土管が必要になった。だもんで、常滑とこなめでは木型が開発されて、同じ形の土管を効率良くつくるようになったんだ。常滑は土管の町でもあったんだよ。全国に運ばれていった土管は下水道なんかに使われたのだけど……」


 そこで、オジサンの声のトーンが一段下がった気がした。


「当時は一体、どんなものがこの中を流れていったのだろうね?」


 急に、僕のすぐ後ろから、サアーという音が聞こえ始めた。

 恐る恐る振り返ると、そこにあるのは土管の壁だけ。音はその中から聞こえてくるようだった。まるで止めどなく水が流れているような音だ。


 あり得ない!

 この土管は壁に埋められているだけで、どことも繋がっていないのに。


 次第に、サアーという音に、何か別の音が混ざる。それはボソ……ボソ……と途切れ途切れで――


 まるで人の声のよう。


 ゾッとしたところに、追い討ちのようにコツ、コツという音が響いた。それはノックの音に違いなくて……僕の脳裏に、さっき見た目玉がハッキリとよみがえった。


 この中に、何かいる!


 声のない悲鳴をあげて腰を抜かしそうになるのを、オジサンが支えてくれた。

「大丈夫かい?」

 その微笑みに、邪悪な影がさしている気がした。



 

「坂ばかりでえらく疲れてないかい?」

 禰宜殿ねぎどのの坂をくだっていると、オジサンが気づかうように言った。

 やきもの散歩道はとにかく、上がったり下がったり、坂が多い。

 だから、爺ちゃんは途中でギブアップしちゃったんだ。


「坂なんてなければ良かったのに……」

 ぼそっと呟いたのを聞いて、オジサンがハハッと笑った。

「でも、丘陵地だったもんで、常滑とこなめはやきものができたんだよ。この斜面があったおかげで、それを利用してやきものを焼く窯をつくれたんだ」

「ふぅん……」


 きっとオジサンは僕の爺ちゃんよりやきもの散歩道に詳しい。教えてもらったことをそのまま書くだけで、よくできた宿題を提出できるだろう。

 でも、オジサンと会ってから何かがおかしいんだ。


 垂れてきた汗を拭う僕を見て、「お茶が飲みたくなるねえ」とオジサンは話を続けた。

「お茶といえば、常滑とこなめの急須で淹れたお茶は一味違うと専らの評判だ。朱泥しゅでい急須というのは知っているかい?」

 僕は前を向いたまま、首を振った。

「朱泥は鉄分を含んだ粒子の細かい土で、焼くと名前のとおり朱色になるんだ」


 カツン――


 その時、何か足に引っ掛かったような感じがして、僕は転びそうになった。

「わっ、危なかったあ!」

「大丈夫かい? 怪我をしなくて良かった」


 地面を見回してみたけど、躓くようなものは何もない。それでも、確かに何かが足に触れたはずだと探し続ける僕のうなじに、ポツ、とオジサンの声が降ってきた。

「血の赤より、もう少し黄色っぽい赤が、朱色だね」

 ギョッとして顔を上げると、オジサンはもう歩き始めていた。ステッキが地面を突く、カツンという音が響いた。




「ここが登窯のぼりがま陶栄窯とうえいがまだ」

 目の前には連房れんぼう式登窯についての説明の看板がたっている。その後ろには黒っぽい板でできた小屋の壁があって、傾斜地の奥の方へ続いている。この傾斜は約二十度あるらしい。

「あの、この看板を読めばわかるので、案内はここまでで大丈夫です……色々教えてくれてありがとうございました!」

 僕は早口にそう言うと、ペコッと頭をさげた。


 いつの間にか周りには僕たち以外誰もいない。

 メモ代わりに看板の写真を撮って、サッと踵を返す。


 でも、一歩踏み出そうとしたところに、カツンとオジサンのステッキが伸ばされた。

「せめて十本の煙突は見ていった方がいい」

 オジサンの指差した先には小道がのびていて、青々とした木や草に囲まれている。

 僕の背中をヒヤリとしたものがつたった。

「爺ちゃんが待ってるので……」

 か細い声で断ってみたけど、オジサンは何も言わない。

 ここで走って逃げても、さっき坂で転びそうになった時みたいに、何かよくわからない力がはたらく気がする。


 僕はオジサンの言うことを聞くしかなかった。


 立ち並ぶ煙突を見上げる。

 十本の煙突は、小道の途中にあった案内板のとおり、両隅にいくにつれて次第に高くなっていた。空を突くようにそびえていて、迫力がある。

 ふと、オジサンがうわ言のように呟いた。

「明治二十年に生まれ、昭和四十九年で役目を終えました」

「え?」

「……私はここで子供たちを焼きました」


 パチン。


 気づけば周りが壁に囲まれ、薄暗い。僕はなぜか登窯のぼりがまの中にいるのだと直感した。


 どこからかゴウという音が聞こえる。キャンプファイヤーをしている時のような音だ。

 勢いを増していくそれと共に、僕のいる空間が何かの燃えている臭いに濃く満たされていく。

「えっ、えっ、なんだこれ!? 助けてっ……!」

 熱もどんどん迫ってくる気がして、僕は出口を求めて壁に手を伸ばした。

 すると、触れたところにプツリと小さな切れ目が入る。そこから青白い光がこぼれるようにして、キョロと、あの目玉が浮かび上がった。

「ワアーッ!?」

 それが合図だったみたいに、壁一面を目玉が覆い尽くす。現れた目玉たちは、僕をジイッと見つめてきた。


 いや、薄闇のままのところもあるぞ。

 縋るようにそっちに視線を逃していると、ハッと気づいた。これは、目玉がないんじゃない。僕のすぐ隣に何かが立っていて、壁を遮っているんだ。


 呼吸が荒くなる。

 恐る恐る視線を上げる。

 そこにはギラリと目を光らせた――


「おーい!」


 パチン。


 気づけば、僕は元いた煙突の下に立っていた。オジサンは、いない。


「あー、おったおった!」

 聞き慣れた声がして、ゆっくりとした足音が僕の方に近づいてくる。

「……爺ちゃん!」

「良かったー。なかなか帰ってこんもんで、迷子か誘拐されとらんかって心配で。あー、イタタ。足腰がえらいしんどい!」

 膝に手をついてゼエゼエいってる爺ちゃんに、僕は全力で駆け寄った。優しい笑顔に、全身から恐怖が溶け去る。


 おもむろに爺ちゃんが煙突を見上げた。

「立派だらあ? 役目を終えて、もう五十年たつなんて信じられん」

 役目を終えて。その言葉に僕はハッとした。


『孫たちに会いに来たようなもの』

『子供たちを焼きました』


 立ち並ぶ煙突を、僕も見上げた。

 登窯のぼりがまを……常滑とこなめのことをもっと知っていったら、いつか今日起きたことを理解できる日が来るんだろうか。


「……爺ちゃん、ひとりじゃよくわからなかったから、やっぱまた爺ちゃんと来たい」

 煙突を見上げたまま、僕は言った。

 その言葉に応えるようにして、眠りについているはずの煙突から一瞬、柔らかな煙が棚引いた気がした。

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怪異散歩! ~やきものと共に歩むまち・常滑~ きみどり @kimid0r1

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