けれど紅く陽は昇り

鷹羽 玖洋

1.スクランブル

 緊急迎撃スクランブル

 けたたましい警報が危急を叫ぶ以前から、犬たちは察していた。いまだに狗頭くとうは、その直観がどこから来るのか理解しえない。犬たちは人間には感知できぬ兆しをその嗅覚で、聴覚で、触覚で、第六感で感じ取り、精神と肉体の緊張の形で狗頭に送信した。狗頭の側も十年来の同期シンクにより、彼らの興奮パターンから意味を類推できるようになった。同期シンクを通して指示を出し、兵舎の拡声器が最初の空電を放つより速く、硬い毛布を撥ねのけて部屋を飛び出していた。

 黒い奔流となり、五頭の犬が狗頭を追い抜いていく。遠くない武装室へなだれ込み、トンネル型の戦術装具装着機へ我先にと駆け込んだ。機械は三台だけだから、順番待ちが発生する。そんなときも彼らは絶対に無駄吠えしたりしない。ただ興奮して全身を震えさせ、同期シンクを通して狗頭に溢れんばかりの情熱を伝えてくる。側頭に埋めたインプラントが熱くなるくらいに。来る戦闘への期待と、狩りの喜び。

「四つ足野郎。なんでいつもお前らが一番乗りだ」

 天井の丸穴から舌打ちが降ってきた。ブラドが滑り棒を下りきる前に、穴から無数の蝙蝠こうもりが溢れ出る。嫌がらせのように蝙蝠たちが自分と犬の周囲を飛び交っても、狗頭は相手にしなかった。侵脳神経同期ディープシンクされ、もはや無意識下で一体となっている犬たちの直観について、人の言葉で他人に理解させることなどできない。そんなのはブラドも承知の上だ。彼は蝙蝠の群れの王。それにいくら狗頭チームが早く準備を終えようと、先発するのはブラドの偵察隊だった。

 蝙蝠は武装しない。ブラドの戦術スーツ着用と同時に、黒い雲霞は先立って隣のトラム駅へ飛び、一人用射出ポッドに一気に流れ込む。パズルのように隙なく収まった蝙蝠たちの中央に、暗色のスーツを纏った痩躯のブラドがぴったり嵌まると、古びたポッドはまるで戦前世界の棺桶だ。非常灯のみの暗い連絡路へカタパルト射出されていくそれを見送りつつ、いつも抱く感慨を狗頭は当然ブラドに伝えたことはない。

『司令部から各合成獣キメラ小隊ユニットへ。第七区〈博物館〉において監視部が不審な動体を検知した。以前〈廃都〉に侵入した新型の可能性が高い。防御周回を突破されていた場合、即時交戦を許可。発見次第、無力化せよ。なお作戦地にはダークナイト隊が先行している。司令部、以上』

 ——新型か。

 搬送トラムに乗り込む狗頭の足が、ほんのわずか鈍った。途端、つかえた後ろの小隊から文句が飛ぶ。

「なあに、フェンリル1。怖じ気づいたの、お姫様」

 狗頭は無視して着座。だが鼻白んだ女はわざわざ彼の正面席に陣取った。隊長の苛立ちを感応し、犬たちがベルトで固定された無理な姿勢から首をよじって相手を睨む。同様に壁に繋がれながらも、女——金華ジンファの隊の隊員たちは興味なさげにあくびした。二頭の巨大な雄獅子と、一頭ずつの虎と黒豹。

 他小隊も続々乗り込み、トラムが出発。煤で汚れた小窓から後続車両を待つ別隊を見かけ、狗頭は金華ジンファに顎をしゃくった。

「ラミア隊も来てる。奇襲好き同士、あっちに乗ったほうが良かったんじゃないか」

「怖いのもわかるよ、またられないか心配だよね。でもいい加減、犬を補充してくれないとさ。パラノイア気味の人間と組みたくないわけ」

アオは——フェンリル6は、戦闘中行方不明M I Aだ。戦死K I Aじゃない」

「死んだよ」金華の鮮やかな緑眼が薄闇に底光りする。「あの爆発で大勢死んだ。生きてたとしても水で潰れたでしょ」

 唸り始めた犬たちを狗頭は思念で宥めた。正面では黒豹が頭をもたげ、喉を鳴らしながら隊長に擦りつけている。第二区〈廃都〉の放棄と共に、金華はその雌豹以外の猫を失った。艶のある黒い頭を撫でる女を見ながら、だが、と狗頭は思う。俺の隊の損耗はわずかだ。青は斥候と囮役が得意な中型犬だった。金華のように新入りを迎えずとも戦力に影響はない。それに新隊員との完璧な同期シンクには時間もかかる。

 トラムの騒音と荒い揺れが沈黙と沈着を強いた。各隊の隊長がGX電磁ガンの調整を行う間に、車両は二カ所の転車台を通過。やがて長い悲鳴を上げて急停車する。駅という名の虚ろな大空間は、弱い照明で赤く霧がかって見える。狗頭の視覚拡張ゴーグルと犬たちの鼻が異常なしを告げ、正面、第七区〈博物館〉へ入る隔壁扉に侵入の形跡はなかった。レール上に残された、乗り手のない単座ポッド。

『司令部から派遣各隊へ。先遣隊の報告では敵性反応は一体のみ。分析班は、やはり新型と結論づけた。施設全体の圧壊を防ぐため、これより第七区の完全封鎖を行う。皆にはすまないが、危険を考慮して封鎖解除は任務完了後に限られる。ただ監視部とダークナイト1によると今回、爆発物は未検出だ。敵性体の無力化後は、残存物を回収せず速やかに帰還するように。各隊長、了解か?』

「フェンリル1、了解」人間たちが応答。訓練通りに自隊を展開。

 ラミア隊の大蛇が身をくねらせながら隔壁に伸び上がり、わずかな振動も逃さず内部を探ろうとする。そのとき、

『こちらダークナイト1』ヘッドセットにブラドから通信が入った。『隔壁から二ブロックは綺麗だ。みんな入って来いよ』

 原始の本能か、犬たちは味方といえどラミア隊の蛇に嫌悪を抱く。一方、狗頭は冷たく静かな蛇よりも、頭に血を上らせた闘牛のほうが苦手だった。久々に突入役を任されたマタドール隊が、味方を蹴散らさんばかりの勢いで扉へ詰める。

 ひしゃげた酷い軋み音と共に、巨大隔壁が左右へ開いてゆく。背後では区画封鎖を告げる警報が鳴り響き、背の粟立つような不協和音になった。ふと犬たちは、いつにない人間たちの不安を嗅ぎ取った。狗頭の鼻腔に塩辛い刺激臭のある汗が、じわりと臭ったのだ。

 人間の一万倍の感度で、あらゆる臭気を実際に検出するのは高度に軍用開発された犬たちだ。狗頭はインプラントを介してその信号を、電気的に脳の嗅覚野に受け取るにすぎない。だがここが侵脳神経同期ディープシンクの不思議さで、強い刺激の場合、狗頭は自身の感覚器が直接に刺激を受けるように錯覚する。

 ——落ち着け。訓練通りだ。

 不安の理由を探ろうとする犬たちに、狗頭は思念で声をかけた。

 ——アカクロサビギントウ……。

 出撃前の決まった儀式ルーティン。一頭一頭の名をゆっくり呼ぶ。狩りの時間だぞ、みんな。それで犬たちのわずかな疑念は消え、闘争心が戻る。赤の両目がきらきら輝き、不安げに鼻を舐めていた黒の舌が引っ込んだ。全員の両耳がぴんと立って前を向き、尾は水平に疾駆の準備に入る。

 だが、何かが欠けていた。——アオだ。

 狗頭の不安が同期シンクごしに漏れる寸前、前衛で闘牛たちの筋肉が発熱した。

 昂揚。恐るべき凶器の両角を下げ、強固な肉壁と化した群れが長い通路を突進する。ただ一頭純白の巨牛の背に、踊るような隊長を乗せて。

「合図もなしって」

 金華の愚痴を聞き流し、地響きを立てて先行する牛を狗頭は悠々と追った。獣たちの脚は速いが、人間兵の軍靴には跳躍底スプリングの補助がある。いずれの隊長も思い出していたはずの半年前の悪夢は、すでに背後の闇に沈んだ。

『新型に動きなし』再度ブラドから連絡。『中央から西に一ブロック、〈美の殿堂〉ゾーンだ』

『どんな様子だ?』誰かが訊いた。

『だから動いてねえよ。前みたいにうろうろ爆薬を仕掛けるでもない。罠だろうな』

機蟲きちゅうもなしか? バグがいれば俺たちが蹴散らしてやる』

『俺の仕事にケチつけるな、マタドール。新型は単独だ。隅々まで蝙蝠を飛ばしたが、他のガラクタは一体もねえよ』

「妙だな」狗頭が口を挟むと、

『だから罠だって言ってんだろ』ブラドの冷笑が返った。

 機蟲を踏み砕く機会を失い、〈博物館〉に入るとマタドール隊はしぶしぶ第七区入口を守る半円の陣形を組んだ。狗頭は遙かな天井を見上げた。小さな輝点は、規則的な並びでそれが星でないとあかしている。あの闇に張り巡らされた梁の上のどこかにブラドがいるはずだった。

 ダークナイト1とは個人的にそりが合わない。だが蝙蝠の探知音波は信頼できる。敵は本当に一体らしい。天井には最低限の光源以外、灯りらしい灯りもない。それも狗頭は気に食わなかった。半透過性剛圧ドームの下で繰り広げられる戦闘の振動に引き寄せられ、いつも頭上で胡乱な冷光を放つ深海生物が一頭もいない。ぼんやりした影しか見せない巨大変異魚類は気味悪いものの、あれらの朧光は犬たちの視力を補完してくれるのだが。

 司令部に確認し、部隊はまずラミア隊を送り出した。同時に狗頭のフェンリル隊が鼻で綿密な狩り出しを行う。金華ほか待機組は不満げだったが、犬たちの鼻は彼らの微かな安堵の呼気を嗅ぎ取っていた。半年前は大型機蟲を含めた大部隊との混戦で、各隊が〈廃都〉全域に散っていたため損害が広まったのだ。同じ轍は踏まない。

 通称どおり廃棄された居住施設が街をなす第二区と異なり、第七区〈博物館〉には敵が身を潜められる場所は少ない。剛圧ケース内に陳列された戦前の貴重な遺産は、ガラスの反射と相まって人間の眼を眩ませるが犬の鼻に意味は無い。剥製たちの死んだ視線が見守る中、角から角へ犬たちが確認していく。乾いたほこりの臭い。昔の戦闘で流れた血と灰と機械油オイル凝積ぎょうせき

『ラミア1、標的目視』

 やがてかすれ声の通信が入った。ラミア1本人の声だが、目視できるほど接敵しているなら視線入力の合成音声だ。

『最低だわ、〈管理者アドミン〉め。新型は有機体よ』

 それは前回の戦闘記録から分析班が予測していた。だが味方が実際に接敵し、臭いや熱や電磁波で裏付けた事実となると、狗頭の胸には少なからぬ嫌悪感が湧いた。しかも、ラミア1は続けた。

『やつは首無し鳥女ハーピー像の足下にうずくまってる。赤外線でるかぎり、頭一つ、腕二本、足二本。完璧に人間の形。それから周囲に三匹、蝙蝠が死んでるわ』

『また無駄に死なせたの、ブラド』

 金華の噛みつきに、ブラドは冷ややかに返す。

『意外と素早いとわかったろ。こいつも俺からのお知らせだが、やつはなぜか非武装だ。どうする?』

『こちら司令部。フェンリル1、状況は』

「偵察続行中。天文ゾーンより東は全域クリア」

『ふむ……。監視部はその新型以外の動体を変わらず検知していない。ダークナイト隊も〈博物館〉全域探査を二度行い、異常なしと言っている。よし、攻撃しよう』

 ただし、と司令部は続けた。

『実行はラミア隊に一任。ダークナイトはそのまま監視を続行せよ。フェンリルは距離を取って標的を包囲。他は持ち場を守れ』

 金華の歯ぎしりが聞こえてきそうだった。

 犬たちは先陣を外され、やや気を抜いた。だがちょうど換気風の風下に当たる桃が敵の体臭を嗅ぎつけると全員が毛を逆立てた。人間の皮脂そっくりの臭いだ。狗頭は吐き気を覚える。管理者アドミンがついに有機兵の製造まで始めたとは。とはいえそれは確実に肉と脂をまとっただけの木偶でく人形で、中枢の大部分はバグと同じく機械に違いない。敵の目的が不明なのは不安だったが、司令部の決断があり、またラミア隊ならうまくやるだろう。

〈美の殿堂〉ゾーンには旧世界の人類が文明文化の極致として守った美術品や工芸品が飾られている。ラミア1の言ったハーピー像とは頭部と腕の欠損した、翼ある女神の彫像だ。教養講座でその像を初めて画像で見たとき、狗頭は彼女が何の合成獣キメラかと教師に尋ね笑われた。そんなことを思い出しつつ敵の退路となる通路すべてに犬を配置し、息を潜めた。

 相手が機蟲一匹なら、ラミアは易々と任務を果たすだろう。バグの索敵能力は低く、虫めいた華奢な鋼骨格シャシーも強化アナコンダの筋力の前には子犬の骨に等しい。ただ、新型は有機体だ。自分たちキメラ同様、何か特異な能力があるかもしれない。

 ラミア2とラミア3が敵の真上にある足場に辿り着く。蛇たちは巌もどきの厚鱗こうりんに覆われた巨頭を音もなく垂らし、動かぬ敵に落ちかかろうとした。その直前だった。

『どうしたリッパー1、応答しろ』

 司令部の呼びかけ。とっさに狗頭は視線入力でゴーグル表示を拡大する。味方位置を示す輝点にリッパー隊の略号がない。馬鹿な、奇襲か? しかしリッパーは他部隊と共に待機していたはずで、彼らに気づかれず一小隊丸ごとが消失するなどありえない。であれば、隊が自ら位置信号を断ったのだ。突然、南北に雌伏中のフェンリル3と5が驚愕し、慌てて横に跳び退いた。

 錆と銀に覆いかぶさるように、巨影が跳躍して通りすぎる。爪が硬い床をえぐる音。二頭の大獅子が立ち上がりかけた敵に牙をかけ、両足の腱を裂いて片腕をもぎ取った。呆気にとられる狗頭の目前に、何か金色の陽炎めいたものが揺らめき降りる。電磁ガンを撃ち込まれ、敵が青白い火花を発して痙攣した。狗頭の頭上から降り立ったリッパー1は、ラミア隊より高い足場に潜んでいたらしかった。

「これは死んだみんなのぶん」

 軍装メットを片手に、たてがみめいて乱れた金髪を掻き上げて金華ジンファは言った。生物によく似た鮮血を噴き、人間によく似た呻きをあげる新型を冷徹に見下ろしながら。

「そしてこれは、わたしの家族のぶんだよ」

 闇から現れた黒豹が新型ののどを一撃で喰い破る。虎は静かに狗頭を見ていた。尾の先をゆっくり左右に振り、邪魔は許さないと言うように。

 狗頭は嘆息し、ラミア1は報告を入れた。

 司令部は任務成功を労ったものの、リッパー隊には医療班が到着するまでの待機を厳命した。敵の絶命後、すぐ第七区を出た狗頭ら他部隊も簡易な防疫処置を施されたが、有機体の新型敵にに接した金華と猫たちには、入念な検査が行われるらしかった。

 任務中に死んだ蝙蝠三匹は焼却処分となり、ブラドはすぐさま新たな三匹との同期シンクを申請した。

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けれど紅く陽は昇り 鷹羽 玖洋 @gunblue

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